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【オリエンタルランド秘史#11】筆頭株主「京成電鉄」ディズニーランド誘致直前の躓き

食い尽くされ遺産は自宅だけとなった創業株主

  • 高橋政知 オリエンタルランド第2代社長。1913年生まれ。東京帝国大学法学部卒。61年、オリエンタルランドに専務として入社。
  • 川崎千春 オリエンタルランド初代社長、京成電鉄社長。1903年生まれ。旧制水戸高校を経て、東京帝国大学経済学部卒。58年京成電鉄社長、60年オリエンタルランド初代社長。
  • 江戸英雄 三井不動産社長。1903年生まれ。旧制水戸高校を経て、東京帝国大学法学部卒。55年に三井不動産社長に就任。74年会長に退く。

オリエンタルランドは京成電鉄、三井不動産、朝日土地興業が32%ずつ、山師の藤生実太郎が残りの4%を出資する形でスタートした。まもなく藤生が脱落し、その4%を持つことになった京成電鉄が筆頭株主になる#4参照。その後、朝日土地興業も離脱に追い込まれる。社長・丹沢善利が政商の小佐野賢治や、自民党池田勇人の陣営(宏池会=現岸田派)の手先となってカネ集めに奔走していたパクリ屋(手形詐欺師)の吹原弘宣らに嵌められ、1965年オリエンタルランド株をついに手放す。

朝日土地興業保有のオリエンタルランド株は小佐野、日綿実業(現双日)を経て、京成電鉄と三井不動産が買い戻し、出資比率は京成52%対三井不動産48%となり、以降、この2社だけが株主という体制が続くことになる。一方、抜け殻のようになった丹沢は4年後の69年、79歳で亡くなったのは#10で触れた通りだ。

1969年5月22日、東京・青山の斎場で開かれた丹沢の通夜には首相の佐藤栄作、自民党ナンバー2の川島正次郎をはじめ、政界の重鎮たちの供花が所狭しと並べられた。新聞に掲載された死亡広告には友人代表として三井不動産社長の江戸英雄、京成電鉄社長の川崎千春らが名を連ねた。故人を送り出すと、あとは淡々と相続作業が進められた。遺族に遺されたのは東京・新宿区中井の土地400坪・建坪40坪の自宅だけだった。

朝日土地興業は1970年1月、社名を船橋ヘルスセンター(現三井不動産商業マネジメント)と変え、三井不動産の100%子会社になる。娯楽施設としての船橋ヘルスセンターも1977年に閉鎖。その跡地には三井不動産グループが展開するショッピングセンター「ららぽーと」が建設された。小佐野に騙され掴まされた東京・虎ノ門公園跡地も三井不動産に渡り、そこには「虎の門三井ビルディング」が建った。京成電鉄にも朝日土地興業が持つ千葉市や市川市の土地が渡った。丹沢が生きた証はかつての盟友たちに瞬く間に食い尽くされていったのである。

かつての船橋ヘルスセンター
(現在のららぽーとTOKYO-BAY)

千葉県知事の三井不動産への不信感

1975年11月、千葉県浦安の埋め立て工事がようやく完了した。漁民の説得から始まって県との折衝まで実動部隊としてすべてを担ってきた高橋政知もお役御免になるはずだった。それが江戸英雄との約束だったからだ。ディズニーランドの誘致に向け、すでにウォルト・ディズニー・プロダクションズ(現ウォルト・ディズニー・カンパニー)との交渉も始まり、高橋も駆り出されていたが、本人はあくまでも補助的な役割だけをこなすつもりだった。様子を見ながら、オリエンタルランドを去るタイミングを計っていたのだ。

1977年夏、休暇をとり欧州で美術館巡りをしている時だった。数日かけてルーヴル美術館の絵画をじっくり見ようとパリに滞在していると、ホテルに日本から電話がかかってきた。川崎千春だった。すぐに戻ってこいという。嫌な予感がして急いで帰国すると、川崎は社長を降りるという。日本にディズニーランドをつくるのは川崎の夢である。そのためにオリエンタルランドを立ち上げたのだ。言い出した張本人が身を退くというのはよほどのことだった。

もうひとつの社長を務める京成電鉄の業績が急速に悪化していたのだ。特に子会社の京成百貨店の不振が深刻だった。1972年に開業した上野店はオイルショックの影響を受け、毎年赤字を計上し、回復の兆しは見られなかった。川崎はメインバンクの三井信託銀行から「ディズニーランドなどにうつつを抜かす前に本業に身を入れてほしい」と釘を刺された。暗にオリエンタルランドの社長を降りることを求められたのである。

1977年8月、川崎が退任したあとは社長ポストは空席のまま、高橋と三井信託銀行出身の川上義雄の2人が代表取締役副社長に就任した。オリエンタルランドに残ること自体、もともと気が進まなかった高橋だが、川崎からはさらに気分を害することを言われた。ディズニーランドの件は手を出さず三井不動産に任せておけというのだ。代表取締役に就けておきながらどういうことだと高橋は訝しがった。川崎は三井グループに遠慮したのである。結局、副社長2人の双頭体制はうまくいかなかった。ウォルト・ディズニー・プロダクションズとの交渉は遅々として進まなかった。

前任の友納武人#7参照の後を襲って1975年に千葉県知事に就任した川上紀一は、三井不動産が主導権をとっていると聞いて不信感を持った。ディズニーランド建設計画を潰して土地を売って儲けようとしているのではないかと疑ったのだ。ディズニーランド誘致を公約に掲げ知事に当選した川上はオリエンタルランドに、もっと積極的に米側との交渉を進める責任者を置くように要求した。

この圧力によって、双頭体制はわずか7カ月で終焉を迎える。川上義雄は相談役に退き、高橋が2代目の社長に就任することになった。1978年3月のことである。

(文中敬称略、#12に続く

シリーズ#1はこちら 時価総額上昇も解消しない「資本…
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