【オリエンタルランド秘史#8】遊園地用地100万坪を求めた京成電鉄社長

液状化現象が懸念される埋め立て地

  • 高橋政知 オリエンタルランド第2代社長。1913年生まれ。東京帝国大学法学部卒。61年、オリエンタルランドに専務として入社し浦安漁民の漁業権放棄交渉をまとめる。
  • 川崎千春 オリエンタルランド初代社長、京成電鉄社長。1903年生まれ。旧制水戸高校を経て、東京帝国大学経済学部卒。58年京成電鉄社長、60年オリエンタルランド初代社長。
  • 加賀見俊夫 現・オリエンタルランド代表取締役取締役会議長、同社第5代社長。1936年生まれ。慶應大学法学部卒。58年京成電鉄入社、60年のオリエンタルランド設立時に出向。
  • 友納武人 千葉県知事(1963~75年)。1914年生まれ。東京帝国大学法学部卒。37年内務省入省。63年、加納久朗・千葉県知事のもとで副知事、加納の急死を受けて同年知事当選。埋め立て等の土地開発を推進し「開発大明神」と称される。#7参照

1962年春、浦安漁民との交渉をまとめた高橋政知だが、息をつく暇はなかった。これから行われる埋め立て工事が終わったあとに、その土地をどれだけ払い下げてもらうか、あらかじめ千葉県と交渉する必要があったからだ。実質的な実動部隊は高橋ひとりである。京成電鉄に入社して5年目の加賀見俊夫は出向先のオリエンタルランドではまだ活躍の場はなかった。

高橋が社長の川崎千春から与えられたミッションは100万坪の確保。1955年にロサンゼルス近郊のアナハイムに誕生した初代ディズニーランドは9万坪である。川崎に尋ねると、「とにかく広いほうがいいんだ」という。千葉県庁を訪れ副知事の宮澤弘(1995~1996年、法務大臣)と会うと、高橋自身が訝しがったのとやはり反応は同じである。なぜ、そんなに広い土地が必要なのか不審を持った様子だった。

川崎はアナハイムのディズニーランドを反面教師にしていたのだ。アナハイムの場合は、あとで拡張しようとしたり近くにホテルをつくろうと思っても、すでに周辺の土地は別の業者に買収されていて手遅れだった。そうした二の舞にならないようにという川崎の深謀遠慮だったのである。

結局、100万坪までは無理だったが、宮澤をなんとか説得し、75万坪の払い下げで合意。持ち帰った高橋は誉められるものとばかり思っていたが、川崎は「なぜ100万坪ではないのか」と不満をあらわにした。そして1962年7月、千葉県とオリエンタルランドは「浦安地区土地造成事業および分譲に関する協定」を締結した。

この協定の中には遊園地用地としての75万坪以外に住宅用地40万坪の分譲が盛り込まれていた。この40万坪は、もともと千葉県が売り出すつもりの土地だった。ところが、県が不動産業者に当たってみると、埋め立て地は地盤が悪いから住宅には向いていないと及び腰だった。事実、2011年3月の東日本大震災の際には浦安市の住宅街の一部で液状化現象が起こり、道路が陥没したり隆起して、家が傾いたり、水道が破裂して水が噴き出すなどの被害が出た。

40万坪の処理に困った県は高橋に「そちらで買ってくれないか」と泣きついてきた。川崎の「買ってやれ」の鶴の一声で、オリエンタルランドは公有水面の埋め立て地200万坪のうち115万坪を占有することになった。

舞浜駅周辺もクリスマスの装い

友納知事を怒鳴りつけた高橋政知

とにかく埋め立て工事を始める段階まで漕ぎ着けたオリエンタルランドだったが、すぐに行き詰まった。浚渫(しゅんせつ)業者に払う工事費に加え、浦安漁民への漁業補償もオリエンタルランドが立て替えなければならない。将来、分譲される土地の代金を前納する形で、諸々の費用を進出企業が負担するのである。75万坪の埋め立てにかかる費用は計60億円。1962年当時と2023年の大卒初任給をもとに現在の価値に直すと、860億円ほどになる。

千葉県からは前納金の催促がしつこく来ていた。大株主の京成電鉄も三井不動産も工面できないという話だった。これからここを埋め立てるのだと銀行の融資担当を呼んで海を見せても相手にされなかった。事業主体はあくまでも県なのだ。京成電鉄とオリエンタルランドの社長を兼任する川崎千春は「しばらく放っておけ」と言うばかり。面倒なことは高橋政知に任せきりだった。

頭を悩ませていた高橋がある朝、新聞に目を通していると、藤田観光が千葉県富津沖の埋め立て工事を請け負う計画が閣議で了承されたという記事が出ていた。高橋は「これだ」とひざを打った。県営工事の委託を受けられれば、前納金の工事費の部分をすぐに用意する必要がなくなる。さらには、オリエンタルランドが主導権をとれれば、さまざまな面で融通が利く。埋め立てが完了した土地を担保に融資を受け、次の地区の埋め立てに取りかかれるというわけだ。千葉県議会に請願を出すと、幸甚にも採択された。

ところが、県の担当部長や課長に委託してほしいと申し入れると「出来ない」の一点張り。どうしても主導権を手放したくない様子だった。にっちもさっちもいかなくなった高橋は友納武人知事と直接、面会することにした。社長の川崎にも同行するように頼むと、「忙しいから君が会っといて」という。

結局、高橋がひとりで知事室を訪ねると、最初から決裂モード。説明をひと通り聞いた友納の答えは「お断りする」というつれないものだった。県議会でも採択されたと食い下がっても、「千葉行政の責任は自分にある」とけんもほろろ。頭に血がのぼった高橋は「そんなくだらない話を聞きにきたのではない」と言い捨て、知事室から出ていった。

(文中敬称略、#9に続く