栗下直也:コラムニスト
「こんなとこにもガバナンス!」とは(連載概要ページ)
「誠心誠意、嘘をつく」
三木武吉(みき・ぶきち、日本の政治家)
1884~1956年。衆議院議員を長く務めた。第二次世界大戦後、日本自由党の結成に関わり、さらに鳩山一郎を擁して日本民主党を結成して同内閣の発足に成功する。その後、保守合同を推進して、今の自由民主党の結成に参画した。
収賄事件で逮捕され妾婦は5人いた“鳩山一郎の盟友”
嘘は良くないが、嘘も方便であるのもまた事実だろう。
就職の採用試験で「仕事の内容はまったく興味ないのですが、給料が高いから入りたいです」、仕事のコンペで「御社の企業理念とかどうでもいいから、なるべく高値で受注したいです」と言ったら、うまくいくものもいかない。
まったく思っていないことを口にするのは褒められたものでないが、人間、生きていれば嘘を言わなくてはいけない場面がある。問題はその時の姿勢だ。一生懸命訴えれば、相手もその嘘を嘘と分かりながらも受け入れる時がある。
三木武吉という政治家がいた。いまの自民党の生みの親だ。
清廉潔白の政治家ではなかった。市議時代には収賄事件で逮捕された。かなりの艶福家でもあった。政治家が妾を持つのが当たり前の時代だったが、1人や2人ではなかった。
1946(昭和21)年の衆院選で「4人も妾がいるなんてとんでもない」とライバルに糾弾された時、「いや、それは間違っている。事実は5人だ」と反論し、続けて「いずれも老来廃馬、捨て去るごとき不人情はできません」と語り、株を上げたエピソードは有名だ。
「椅子」を求めるとガバナンスは効かなくなる
当選11回。「寝業師」「大狸」と言われながらも、最後まで入閣は一度もしなかった。自ら策略を練り、誕生させた鳩山一郎内閣でも総務会長にとどまった。彼には大きな夢があった。
占領軍政策を改革し、憲法を変える。
そのためには自分が所属する日本民主党と自由党の保守合同が不可欠と考えた。なりふり構わなかった。政敵だった自由党の大野伴睦を涙ながらに口説いた。
「天地神明に誓って私利私欲を去り、救国の大業を成就させる決心だ」
”椅子”にこだわらなかった三木だからこそ、1955(昭和30)年の保守合同は実現できたのだろう。
あれから70年。自民党総裁選の悲喜こもごもの報道にうんざりした人もいるだろう。大義のために“椅子”にこだわらない政治家がどれだけいるだろうか。ガバナンスはきれいごとでは機能しない、だが、欲に塗れていたら、なおさら機能しない。
(月・水・金連載、#20に続く)