なぜ今、ガバナンスを議論しなければならないのか?【ガバナンス時評#1】
日本の監査役も拒絶した米国流「内部統制」
そもそも、日本で「会計監査」というと、帳簿の整理や簿記の技術を連想する人が少なくないが、本来は、真実な情報の開示を担保するために法令遵守や企業判断の妥当性など、企業のあり方を様々な角度からチェックするという、より広い概念が含まれる。
しかし、私がアメリカでの議論を紹介した1990年代初頭当時の日本での受け止めは、総じて冷ややかなものだった。学者仲間からは「八田先生はやっぱり、“出羽守”ですねぇ」と嫌味を言われたほど。ちなみに、“出羽守(でわのかみ)”とは、私が内部統制をめぐって、「アメリカでは……となっている」と解説していたことへの当て擦りである。
日本の会計周りの学者がそんな様子だったのに加え、当時の日本の経営トップの考え方は内部統制自体を真っ向から否定するものだった。先述のとおり、「経営トップである自分が、なぜ統制を受けなければならないのか」というのである。あくまでも、統制するのは経営者であり、統制を受けるのは自分以外の従業員である、という認識だった。
ここには「翻訳」という日本ならではの問題も絡む。アメリカでは、内部統制はインターナル・コントロール(internal control)と呼ばれ、内部が組織自体を方向付け、目的を達成するための仕組みを指す。また、1990年代当時は人口に膾炙していなかったコーポレートガバナンス議論が本格化したのは、イギリスで具体的な規程(コード)が策定されたことによる。そもそもこのgovernanceという用語には「統治」という意味があるものの、組織の管理や運営、さらには方向付けの他、義務や規則の規定・適用といった意味を含んでいる。
本来、言葉というものは、その国の背景や事情の下に独特の意味合いやニュアンスを含むものであり、それを日本語に訳してしまうと、本来その言葉が有する意味内容は薄れてしまう場合も多い。結果、「統制」「統治」という言葉から連想される、「上に立つものが下々を統べる」という支配的色合いの濃いものとなるため、誤解を招いてきた面は否定できない。
翻訳の問題で言えば、accountingを「会計」と訳したことにも同種の誤解が生じている。第一に説明・報告を意味する単語だが、これを会計と訳したために、単なる“銭勘定”“帳尻合わせ”と認識している人が多いのではないか。だが、accountingの持つ本来の意味は、会社や組織の事業成績を、財務諸表を使って説明する一連のプロセスを指す。account for~は「説明責任を負う」、accountabilityが「説明責任」「報告義務」と解されていることを考えれば、accountingの真の目的が見えてくるだろう。
ところで、企業がガバナンスを機能させるうえで、さらには、内部統制の有効性を評価するために、今なお日本特有の監査役が果たすべき役割と責任は大きい。取締役の職務執行状況を監査する役職を担うのが監査役だが、その監査役ですら、当時、いかにアメリカ型の内部統制を忌避したかという実体験がある。
1997年に大学の研究休暇での米イリノイ大学留学を終えた私は、単にアメリカ型の輸入ではなく、日本の実情に合った内部統制の枠組みを作ろうという研究会に参加した。しかし、それは企業の執行側のみならず、監査役にすら、受け入れられることはなかった。その研究会の活動を支援していた日本監査役協会の幹部が「経営トップが内部統制の網にかかるなんてあり得ない」ということで、我々の報告書を反故にする有り様だったのだ。ここにはバブルが数年前に崩壊したとはいえ、いまだ日本企業、とりわけその経営層が抱えていた驕りを垣間見る気がした。しかし、それよりも問題だったのは、そうした経営層を監視すべき監査役の立場にある者が、内部統制は経営層の行動を規制するものではないといった旧態依然とした感覚が蔓延っていたことである。
しかし、この1997年こそ、日本経済にとって長く七転八倒する真の苦しみの始まりの年になろうとは、当時の財界人は知る由もなかったのである。
(次回#2に続く)
取材・構成=梶原麻衣子
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