“奴隷契約”だと激怒した三井不動産社長
- 坪井東(はじめ) 三井不動産社長。1915年生まれ。東京商科大学(現一橋大学)卒。38年三井合名入社。オリエンタルランド創設の立役者の一人、江戸英雄の後を受けて74年、三井不動産社長に就任。
- 高橋政知 オリエンタルランド第2代社長。1913年生まれ。東京帝国大学法学部卒。61年、オリエンタルランドに専務として入社。私財を投じた接待攻勢で浦安漁民の漁業権放棄交渉をまとめ上げた。初代社長の川崎千春(京成電鉄社長を兼務)の後を受けて78年、社長に就任。
- 川上紀一 千葉県知事(1975~81年)。1919年生まれ。東京帝国大学法学部卒。44年内務省入省。「開発大明神」と称された友納武人・千葉県知事のもとで副知事を経て75年、知事に初当選(#11参照)。
1983年4月15日、開園を迎えた東京ディズニーランド(TDL)だが、そこに至るまでにオリエンタルランドは何度も三井不動産に足を引っ張られた。交渉相手のウォルト・ディズニー・プロダクションズ(DIS=現ウォルト・ディズニー・カンパニー)をたびたび怒らせ、その動きは計画をいかにご破算に持っていくか、腐心しているように映った。
DISに支払うロイヤルティーは入園料の10%と決着したものの、新たな問題が起こっていた。ライセンス契約の期間である。DISは50年を主張。これに不満をあらわにしたのが東京ディズニーランド設立準備委員会の委員長に就いていた三井不動産社長の坪井東(はじめ)だった。50年も10%のロイヤルティーを払い続ける奴隷契約は受け入れられない。契約期間は20年以内にするべきだと反発したのだ。DISは譲歩する姿勢を見せた。50年を45年に短縮するという。たった5年――。坪井は態度を硬化させ、契約期間20年は絶対譲れないと言いだした。一方、DISも怒っていた。優越した立場にある自分たちが折れているのに、彼らは何様のつもりだと。ドン・テイタム会長は「交渉を打ち切る」と通告してきた。
坪井からないがしろにされがちだったオリエンタルランド社長の高橋政知が尻拭いのために渡米したのは1979年1月のことである。今度は日本からの雑音を無視して、すべて自分で決めるつもりだった。45年を受け入れる代わりに、さらなる譲歩を引き出した。オリエンタルランドが経営危機に陥った際は契約解除について協議するとの合意を取りつけ、交渉は妥結した。
この合意を受け、三井不動産では経営会議が開かれた。結論は、契約期間45年は受け入れ難く、半ば手を引くというものだった。TDLプロジェクトに対する支援はオリエンタルランドへの出資比率48%に応じた債務保証しかできないというのだ。残りの52%を出資するのは銀行団の支配下に置かれる瀕死の京成電鉄(#12参照)である。滞在するロスアンゼルスのホテルで連絡を受けた高橋はその晩、ウイスキーを浴びるように飲んだ。
「業務停止命令」に踏み切った千葉県知事
高橋政知は帰国すると、坪井東と会った。だが、坪井は「経営会議で決まったものだから」の一点張りだった。報告のために、高橋は千葉県知事公舎を訪れた。交渉が妥結したと聞くと、知事の川上紀一は飛び上がらんばかりに喜んだ。2カ月後に2期目の知事選を控えていた。TDL誘致を公約に掲げて初当選した川上にとって、高橋のもたらしたニュースは大きな追い風になるはずだった。
ところが、川上の表情はみるみる険しくなる。三井不動産が実質的にTDL建設から撤退するかもしれないと聞かされたからだ。三井不動産の担当者を呼びつけ、経営会議の結論を確認した川上は怒りに任せて1979年3月、思い切った行動に出る。三井不動産が千葉県で関わる許認可事業をすべて停止させてしまったのだ。この処分は5カ月にも及んだ。
4月に当選を果たした川上は高橋を呼んで、今後の対策を話し合った。結局、銀行から融資を受けるしかないという見解で一致した。三井不動産の債務保証が限られている状況では簡単な話ではないが、知事に再選されたばかりの川上が自ら動くわけにもいかない。代わりに、副知事の沼田武を全面的に協力させることを約束した。なお、その後川上は最初の知事選に出馬した際の汚職が発覚。1981年2月に辞任し、代わって沼田が知事に当選。同年4月から5期20年務めた。
DISとの最終契約の期限は4月末。ほんのわずかな時間しか残されていなかった。高橋は川上と面談した翌日から、沼田を伴って資金調達に奔走した。まず訪れたのはオリエンタルランドのメインバンクの三井信託銀行(現三井住友信託銀行)。生野専吉社長はTDLの実現に懐疑的な一人で、取りつく島もなかった。
次に訪れたのは日本興業銀行(現・みずほ銀行)だった。向かう車の中で高橋は沼田に「この事業に千葉県が全責任を持つと言ってください」と頼んだ。実際にそれが可能かどうかはともかく、県の覚悟を見せなければ、うまくいくとは思えなかったのだ。応対した菅谷隆介副頭取に沼田が用意した口上を述べると、あとはトントン拍子に進んでいった。菅谷も米国でディズニーランドを体験した一人だった。
(文中敬称略、#15に続く)