三菱地所も誘致合戦に参入
1971年10月、DISはカリフォルニアのディズニーランドに続く2カ所目のテーマパーク「ディズニー・ワールド」をフロリダにオープンさせていた。外国観光客の入園者も増え、米国以外でもうまくいくと考えた経営陣は海外進出を視野に入れ始めていた。ドン・テイタム会長とカードン・ウォーカー社長が視察のために来日したのは74年12月のことだった。だが、彼らが最初に訪れたのは、オリエンタルランドが熱心に誘致活動をしてきた千葉県浦安ではなかった。
まず一行が姿を現したのは富士山麓だった。誘致に動いていたのはオリエンタルランドだけではなかったのだ。富士山麓に広がる300万坪の土地にディズニーランドを呼び込もうとしていたのはオリエンタルランドの大株主、三井不動産のライバル、三菱地所である。ディズニー映画の配給を担う東宝を窓口にしてDISと接触していたのだ。
富士山麓に続いて浦安を視察したDIS経営陣が交渉相手に選んだのはオリエンタルランドだった。彼らにとって日本を代表する富士山を眼前に臨む300万坪は魅力だったが、三菱地所が土地は提供しても建設費用を出す気がないと知ると、すぐに候補から除外した。DISはリスクを一切、負う気がなかったのだ。カネは出さず、提供するのはノウハウだけというのが、DISの日本進出プランだった。しかも、ロイヤルティーとして入園料や飲食・物品販売の10%を払えという。
一方的な要求に、頭に血をのぼらせたのが高橋政知だった。この時点ではまだ、オリエンタルランドの社長の座はバトンタッチされておらず、京成電鉄の川崎千春がその椅子に座っていた。浦安の埋め立て事業を成功させるのが自分の役目だと思っていた高橋は、DISが何をほざこうが知ったことではないと自身に言い聞かせ、平静を装おうとした。幸い、もう少しで埋め立ては完了する。これが終われば、オリエンタルランドを去るつもりだった。
役員会でDISとの契約についての見解を求められた高橋は「こんな不公平な条件を呑む必要はない。ロイヤルティー10%は高すぎる」と述べた。とにかく自分の夢を叶えたい一心の川崎は「仕方ないじゃないか。向こうの言うことを聞かなければ、ディズニーランドは永遠にできないんだから」という。どんな不利な条件でも受け入れる構えだった。江戸英雄に代わって三井不動産社長に就いていた坪井東(はじめ)は特に意見を表明することはなかった。日本にディズニーランドを呼ぼうと思ったら、ロイヤルティー10%を受け入れざるを得ないという結論しか出しようがなかったのである。
ディズニー会長を怒らせた三井不・坪井東の手紙
しかし、それでDISとの交渉がトントン拍子に進むというわけにはいかなかった。1977年8月、川崎千春がオリエンタルランドの社長を退任(#11参照)すると、「主導権は三井不動産がとる」と社長の坪井東が宣言。「東京ディズニーランド設立準備委員会」が新設され、委員長に坪井が就任した。また、事務局長にはオリエンタルランド設立で重要な役割を果たした朝日土地興業の創業者・丹沢善利の子息・丹沢章浩が就いた。朝日土地興業は三井不動産に吸収され、丹沢は坪井の言うなりだった。
江戸英雄の盟友だった川崎がオリエンタルランドからいなくなると、三井不動産は遠慮がなかった。坪井の命を受けた丹沢が渡米。DISにロイヤルティーを5%に下げてほしいと申し入れた。相手は激怒した。1976年7月すでに、DISとオリエンタルランドの間でロイヤルティー10%で合意していたからだ。
1978年9月、その前月にオリエンタルランドの社長に就任したばかりの高橋が急遽、渡米。DISとのこじれた関係を修復するためだった。ところが、さらにその関係は悪化してしまう。坪井から託された手紙をドン・テイタム会長に渡すと、みるみる険しい顔になった。そこにはロイヤルティーの減額を求める旨が書かれていたのだ。10%は高すぎると思っていた高橋だが、手紙の内容を知らされておらず、この段階になってそれはないだろうと、坪井に対する怒りが込み上げてきた。
高橋は帰国すると、憤然とした気持ちをそのまま坪井にぶつけ、「今度はあなたが米国に行って、ケリをつけてきてください」と激しい口調で言った。ただ、「もし壊したりしたら、千葉県も浦安町(現・浦安市)も黙っていないでしょう」とつけ加えることも忘れなかった。この言葉は効果てきめんだった。事実、ディズニーランド誘致を公約に知事に当選した川上紀一は後ろ向きな三井不動産に不信感を募らせていた(#11参照)。千葉県の開発を進める三井不動産としても、県と敵対するわけにはいかなかった。
坪井が渡米し、なんとか交渉は再開。その後、紆余曲折はあったものの、1979年4月、前述したようにオリエンタルランドとDISは契約締結に漕ぎ着けた。そして1983年4月15日、東京ディズニーランドはついにグランドオープニングを迎えた――。

(高橋政知の墓地にある記念碑、筆者撮影)
(文中敬称略、#14に続く)