埋め立て事業を牽引した「千葉方式」
- 江戸英雄 三井不動産社長。1903年生まれ。旧制水戸高校を経て、東京帝国大学法学部卒。1955年に三井不動産社長に就任。
- 川崎千春 オリエンタルランド初代社長、京成電鉄社長。1903年生まれ。旧制水戸高校を経て、東京帝国大学経済学部卒。1958年に京成電鉄社長に就任。
- 高橋政知 オリエンタルランド第2代社長。1913年生まれ。東京帝国大学法学部卒。1961年、オリエンタルランドに専務として入社し浦安漁民の漁業権放棄交渉に従事。
オリエンタルランドの設立に三井不動産が加わったのは、単に社長の江戸英雄が京成電鉄社長・川崎千春の旧制水戸高校の同窓という理由からだけではなかった。川崎はどうしても三井不動産の力を必要としていたのだ。すでに千葉県に深く食い込んでいたからである。
千葉県副知事の友納武人が東京・日本橋室町の三井不動産本社に江戸を訪ねてきたのは1957年のことだった。千葉市の南側の五井町(現市原市)の埋め立てをやってもらえないか打診にきたのだ。直前に友納は当時デベロッパートップの三菱地所に声をかけていたが、色よい返事がなく、三井不動産を頼ったのである。
戦前、内務官僚だった友納は1951年、千葉県に総務部長として入庁した。同年秋、急死した副知事の後任となり、1963年からは知事に就き、3期12年務めた。1954 ~1973年、千葉県は臨海地区で埋め立てによって工業用地6155.2万㎡、都市再開発等用地1904.7万㎡を造成している。いずれも、この時期に都道府県が手がけた臨界土地造成面積では最大だ。2位以下は工業用地では愛知県4801.9万㎡、大阪府2886.6万㎡……、都市再開発等では東京都1839.2万㎡、神奈川県802.6万㎡…となっており、千葉県の埋め立て事業が突出していたことが分かる。副知事時代も含め、「開発大明神」と呼ばれた友納が中心になって推進したものだ。それをパートナーとして支えたのが三井不動産の江戸だった。
千葉県が埋め立て事業を進め出すのは、日本がまだ高度成長期に入る前である。県に財政の余裕があるわけではなかった。そこで友納が編み出したのが「千葉方式」と呼ばれる手法だった。県が埋め立て権を持ち、造成工事の事業主体という形をとりながら、埋め立て工事費、漁業補償費、付帯施設費は進出予定企業が立て替えるという予納金方式である。要するに、自治体側がカネをかけずに埋め立て事業を進められるというわけだ。この千葉方式は他の都道府県でも次々に採用され、埋め立て事業のモデルとなった。
ただ、この千葉方式だと、実質、かかる費用をすべて用意しなければならない企業側の負担も大きい。業績が悪化すると、埋め立て工事の途中で頓挫することにもなりかねない。そこで友納が考え出したのが「出洲(でず)方式」だった。県と企業側が総事業費を1対2の割合で負担するというもの。造成地の3分の2が企業に分譲される。三井不動産を想定した方式だった。千葉方式と出洲方式を駆使した結果、巨額の利益が三井不動産にもたらされた。同社によって1968年に竣工した当時日本一の高さを持つ霞が関ビルディング(東京・千代田)は別名「友納ビル」と呼ばれた。千葉県で稼いだ資金がなければ、完成しなかったと言われている。

2年想定の漁民交渉を半年でまとめた高橋政知
高橋政知による浦安漁民との交渉は、着々と進んでいた。自腹を切って高級料亭に連れて行くのだから、漁師たちも感激するばかりだった。だが、一筋縄ではいかなかった。浦安には漁業協同組合が2つあり、反目し合っていたからだ。
最初はどこを攻めれば有効なのか、高橋にもさっぱり分からなかった。とりあえず、一人ひとり連れては闇雲に酒を飲んだ。そのうち、最高意思決定機関である総代会を納得させればなんとかなりそうだと気づいた。といっても、総代会のメンバーはそれぞれ50人もいる。すでに一度は顔を合わせ飲ませていたが、全員を口説き落としていくのは効率的ではない。誰が総代会の親分的な存在なのか見極めようとした。
総代を務めているからボスというわけではなかった。漁師の間で古くから信頼を置かれている人物を見つけなければならなかった。ようやく2つの漁協のそれぞれの真のボスにたどり着いた高橋は、酒席をたびたび設けながら説得に当たった。ここまでくれば、あとはそれほど難しくなかった。つまるところ、漁業補償の金額だった。ボスたちからは漁民の同意を取り付けるにはどれだけ出せるかが肝心だと聞かされた。
漁民との交渉がまとまったのは1962年3月である。高橋が本腰を入れてからわずか半年。川崎千春や江戸英雄は2年で決着すれば上出来と考えていただけに、そのあまりの早さに舌を巻いた。酒飲みの気持ちが分かる高橋ならではの成果だった。
漁民1戸当たりの補償額は50万円。先に五井町の漁民に支払われた400万円に比べると、ずいぶん安い。五井町は漁業権の全面放棄だったが、浦安のこの段階では一部放棄。それでも50万円は少なすぎるが、千葉県、オリエンタルランド、三井不動産に資金を出す余裕がなくなっていたという事情もあった。そこで、漁民1戸に対して現金以外に造成地100坪を譲渡する約束が取り交わされた。なお1971年、第2期埋め立て工事の際に浦安漁民は漁業権の全面放棄に応じ、1戸当たり800万円が支払われた。 漁民の説得に成功したオリエンタルランドは埋め立て工事に取りかかることになるが、資金調達や造成後の土地払い下げを巡って千葉県と紛糾する。その矢面に立ったのもやはり高橋政知だった。知事になったばかりの友納武人を怒鳴りつけてしまうのである。
(文中敬称略、#8に続く)