【オリエンタルランド秘史#6】高橋政知「高額接待」伝票を処理した加賀見俊夫

浦安の漁民を身銭を切って高額接待

  • 高橋政知 オリエンタルランド第2代社長。三井不動産社長、江戸英雄に誘われる形でオリエンタルランドに専務として入社。
  • 加賀見俊夫 現・オリエンタルランド代表取締役取締役会議長同社第5代社長。1936年生まれ。58年京成電鉄入社、60年のオリエンタルランド設立時に出向。
  • 江戸英雄 三井不動産社長
  • 川崎千春 オリエンタルランド初代社長、京成電鉄社長。米ディズニーランドを視察し、日本版ディズニーランドを夢想。

三井不動産社長の江戸英雄に酒の強さを見込まれ、オリエンタルランドに専務として入った高橋政知が本格的に始動するのは入社半年後の1961年秋のことである。浦安の漁民たちに漁業権を手放してもらうための交渉に入った。相手の懐に飛び込むために、とにかく一緒に飲みに飲みまくるのが高橋の仕事である。

江戸からは安い居酒屋で二級酒でも飲ませておけばいいと言われていた。高橋は半年間、浦安を見てきて、漁師を馬鹿にしていたら、しっぺ返しを食らうと感じていた。日銭が入ってくる彼らはカネ遣いが荒かった。舌も肥えていた。それだけではない。当時、「五井(ごい)様」という言葉があった。1950年代後半、千葉県は千葉市の南側沿岸を埋め立て、石油コンビナートを中心とした京葉臨海工業地帯を建設する計画を進めていた。そして、五井町(現市原市)の沿岸にあった9つの漁業組合に対し、漁業権を全面放棄する代償として合計で約126億円が支払われた。漁民1戸あたりの補償額は400万円。1960年と現在の大卒初任給で比較すると約16倍の違いがある。単純計算すると、その価値は6000万円を超えることになる。漁師たちは札束を持って千葉市の繁華街に繰り出しキャバレーでカネをばら撒き、ホステスたちは陰で「五井様」と呼んだ。

それを横目で見ていた浦安の漁民を安酒で誤魔化そうとしたら、逆に怒りを買うだけである。高橋は彼らのプライドを傷つけないように心がけた。元々、下手な小細工は苦手なタイプである。腹を割って真摯に向き合う以外に方法はなかった。

漁民たちを連日、築地や新橋の料亭に連れていった。最初の1カ月で80万円を使った。現在の貨幣価値に直して軽く1000万円を超える。伝票を総務部長に渡そうとすると、その額に怖じ気づいたのか、社長のサインは自分でもらってきてくれという。京成電鉄とオリエンタルランドの社長を兼任する川崎千春の部屋に行き、高橋は伝票を机の上に置いた。

浦安から千葉・市原方面を望む

新入社員「加賀見俊夫」の登場

この時、高橋政知が漁民たちを招待した店からの請求書や領収書の処理をして伝票を作成したのが、のちにオリエンタルランドでワンマン体制を築く現代表取締役会議長の加賀見俊夫である。1958年、慶応大法学部を卒業した加賀見は京成電鉄に入社。経理部に配属された。1960年にオリエンタルランドが設立されると、経理部に所属したまま出向して、両社の仕事をこなしていた。

高橋が京成電鉄社長室に持ってきた伝票の束を前にしても、川崎千春は一言も文句を口にしなかった。あまりの高額にも驚く素振りを一切見せず、淡々と伝票にサインしていった。何か言われるようだったら、高橋は退職するつもりだった。川崎の大人ぶりを目の当たりにして、浦安の埋め立て事業をなんとしても成功させなければと気持ちが高揚した。

高橋は漁民の接待に惜しげもなくカネを使うようになった。なかには領収書をもらえないようなものもたくさん含まれていた。そのたびに自腹を切った。こうなると、いくらあっても足りない。その費用の捻出のために高橋はとうとう、渋谷区神山町にあった1600坪の屋敷を手放してしまう。隣には吉田茂邸が建つ都内屈指の高級住宅街である。高橋がいくらで売却したかは定かではないないが、このあたりの現在の公示地価は坪約440万円。総額70億円にもなる。

元々、この屋敷は高橋が婿養子に入った妻・弘子の実家だった。それを大胆にも売り払ってしまったのだ。その後、そこにはニュージーランド大使館が建った。夫婦で前を通るたび、弘子は目をそむけ、夫には一言も発しようとはしなかった。

(文中敬称略、#7に続く