旧京成本社で机わずか3脚だけのスタート
- 高橋政知 オリエンタルランド第2代社長。三井不動産社長、江戸英雄に誘われる形でオリエンタルランドに専務として入社。
- 江戸英雄 三井不動産社長。
- 川崎千春 オリエンタルランド初代社長、京成電鉄社長。米ディズニーランドを視察し、日本版ディズニーランドを夢想。#2、#4参照。
話にも出なかった「ディズニー誘致」
オリエンタルランドが1960年7月に設立された時点では、出資した京成電鉄、朝日土地興業、三井不動産の3社がどこまで“本気モード”だったかは怪しい。社屋どころか、事務所すらなかった。東京・上野のアメ横入口に隣接する京成電鉄本社(現在は千葉県市川市に移転)の3階フロアの一角で他の部署と同居する形でスタートした。机は3つしかなかった。

京成電鉄社長の川崎千春は、ディズニーランドのようなレジャー施設を日本でもつくりたいとことあるごとに口にしながら、本当に実現できると思っていたようには見えなかった。あくまでも夢物語だった。まずは目の前の埋め立て事業をこなすことが先決だった。そのために、旧制水戸高校の同窓である三井不動産社長の江戸英雄まで巻き込んだのだ。だが、川崎は自らオリエンタルランドの初代社長に就任しながらも、しばらくは片手間の域を出なかった。でなければ、少なくとも専用の部屋くらいは用意したはずだ。
オリエンタルランドが本格的に始動するのは1961年初夏、江戸英雄の命を受けた高橋政知が加わってからだ。高橋と初めて会った川崎は上野の割烹でアメリカで視察したディズニーランドのスライドを映しながら「これを日本人にも見せたいんだ」と熱く語った。のちにウォルト・ディズニー・カンパニーとの交渉に奔走する高橋だが、この時は相槌を打ちながらも、ほとんど聞き流していた。
もし、ディズニーを誘致するにしても、はるか遠い話だった。やらなければならないことが山積みだった。江戸から聞いていたのは浦安の漁民の説得、埋め立て、千葉県からの払い下げ交渉……。ディズニー誘致についての話は江戸と高橋の間ではまったく出てこなかった。オリエンタルランド設立後、江戸が事業の進め方に積極的に介入することはなかったが、ディズニー誘致は三井不動産のやるべき仕事ではないと、江戸は思っていた。
江戸から「酒を飲むのが君の仕事だ」といわれ、渋々引き受けることにした高橋。底なしの酒豪である。まずは、漁民との交渉に当たった。
製紙会社から垂れ流された「黒い水」
江戸英雄からの要請に、最初は逡巡していた高橋政知。別の仕事を抱えていたからだが、もうひとつ理由があった。埋め立てのために、海を生業としている漁民から漁業権を放棄させる。それが正当なのか、どこか釈然としないものを高橋は感じていた。遠浅の浦安の海はアオヤギ(バカ貝)やアサリがいくらでも採れた。
豊かな漁場を自分たちの都合で奪っていいのか。躊躇する高橋を江戸は「あの海は汚れていて漁業は続けられないんだ」と説明した。それは千葉県が東京湾の埋め立て事業を推し進める理由にもなっていた。工場廃水等によって海苔や貝が壊滅していると――。そんな時、浦安で大騒動が巻き起こった。
本州製紙(現王子ホールディングス)江戸川工場による汚水垂れ流し事件が起こったのは1958年だった。工場から出される廃水が旧江戸川にそのまま流され、浦安の海はどす黒く淀んでいた。浦安町漁業組合はたびたび抗議した。4月、今までに見たことのない真っ黒な廃水が海に流れ込んでいた。抗議しても工場はそのまま操業を続け、垂れ流しを続けた。怒った漁民たちはついに実力行使に出る。6月10日、約1000人が押しかけ、工場内になだれ込んだのだ。漁民8人が逮捕された。マスコミも騒ぎだし、本州製紙はやっと対策に乗り出す。汚水の除外装置を設け、漁民に補償を出すことで決着した。
黒い水の正体はパルプ屑のリグニンだった。人工的な物質ではないこの樹木の成分が実際、海の生態系にどれだけの影響を及ぼしたのかは判然としなかった。除外装置がつけられる前と後で、魚貝類の水揚げ量が大きく変わることはなかった。ずっと豊饒な海は保たれていたのである。浦安東側に残された猫の額ほどの干潟では今でもバカ貝などが面白いように採れるという。
一本気な高橋は江戸の話を少しも疑うことなく、漁民たちの説得に乗り出すのである。
(文中敬称略、#6に続く)