アインシュタイン「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」の巻【こんなとこにもガバナンス!#34】

栗下直也:コラムニスト
「こんなとこにもガバナンス!」とは(連載概要ページ)

「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」
アルベルト・アインシュタイン(物理学者)

1879~1955年。特殊相対性理論、一般相対性理論、光量子説など数々の理論を打ち立てた。1921年ノーベル物理学賞を受賞。ヨーロッパ各地の大学教授や独カイザー・ヴィルヘルム研究所物理学部長を歴任した後、33年にナチスに追われて渡米。プリンストン高等学術研究所教授に就任。自身の研究が政府の原爆開発につながったこともあり、第二次大戦後は平和活動に取り組む。

スイスの特許局で働きながら「ノーベル賞論文」を執筆

アインシュタインは「天才」の代名詞で知られる。20世紀最大の物理学者の一人でもあるが、経歴は非エリートとまでは言えないまでも、どちらかというと、ピカピカのエリートであるとは言い難い。

ドイツの中等教育機関であるギムナジウムを15歳で中退。傑出した数学の才能を頼りにスイス・チューリヒ工科大学(連邦工科大)を受験したが、失敗する。

1896年、2回目の挑戦で何とか数理物理の学生になるが、在学中の成績も振るわなかった。そのため、卒業時に大学に研究職を求めるも、当然、かなわなかった。その後は高校の臨時教員など、職を転々としながら、在野の研究者として論文を書く。

物理学の世界で1905年は「奇跡の年」と呼ばれている。アインシュタインが「特殊相対性理論」や「光電効果」など後世に残る論文を次々と書き上げ、現代物理学の扉を開いたからだ。

ただ、当時、彼は物理学の研究とはまったく関係のない仕事に就いていた。スイスの特許局の職員で、その本業の合間に、のちにノーベル賞を受賞する光電効果を含む論文を書き上げた。

自分、そして自社の“常識”は古くなっていないか

彼が「研究は研究職でなければできない」という常識にとらわれていたら、現代の私たちの社会を支える研究が世に出るのは何年もあとになっていたことだろう。

“常識”は時代と場所によって変わる。決して絶対的なものではなく、最近は、数年で常識が一変することも珍しくない。

コンプライアンスやリスクマネジメントは言うに及ばず、コーポレートガバナンスに至るまで、企業の常識も絶えず変化しいている。自分の常識は古くなっていないか。自社の常識も古くなっていないか。そして常識に縛られて、可能性を狭めていないか。

「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」――。ビジネスパーソンのみならず、企業自身も自問自答する必要があるだろう。

(月・水・金連載、#35に続く)