栗下直也:コラムニスト
「こんなとこにもガバナンス!」とは(連載概要ページ)
「私が知りたいのは下の名前だ」
田中角栄(たなか・かくえい、政治家・元首相)
1918~1993年。47年、衆議院議員に当選、72年に首相に就任し、日中国交回復を実現した。76年ロッキード事件で逮捕・起訴され、83年一審で実刑判決を受けて、上告中に死去した。膨大な知識と抜群の実行力から「コンピュータ付きブルドーザ」とも呼ばれた。
角栄流「どうやって人心を掌握するか」
少子高齢化で企業は業界を問わず、人手不足に悩んでいる。人材をいかに確保して、定着させるかはどこの組織にとっても大きな課題だ。マネジメントでも、管理職は部下の心をどうつかむかがこれまで以上に問われる時代になっている。
こんな時代においても参考になるのが、人心掌握の天才と言われた政治家、田中角栄だ。
彼はとにかく多くの人と会った。若い頃は1日10件以上の宴席に顔を出すことも珍しくなかった。大臣になってからも掛け持ちは当たり前で、通商産業大臣(現経済産業省大臣)時代は週3日は1日に3つの宴席を掛け持ちしていた。午後6時、7時、8時のトリプルヘッダーである。
ひとつの宴席を1時間弱で切り上げ、3つの席を回った。主賓の角栄がひとこと挨拶して会は始まるが、用意された食事には一口もつけずに、宴席にいる十人前後のひとたちひとりひとりに自ら近寄り、酒を注いだ。
角栄は常に自ら動いた。役所の職員との宴席でも自ら動き、分け隔てなく酒を次いだ。恐ろしいことに、事前に家族構成などを調べさせ、その内容を頭に叩き込んで、話題を振った。
ただ、これだけ人と会っていれば、角栄とて、時に対面する相手が誰か思い出せない時もある。
「先生!」と支援者が親し気に近寄ってきても、その顔にまったく覚えがない。角栄は「えっと……、お名前なんでしたか?」と尋ねると、支援者は「佐藤ですよ」と答える。角栄はそこで、「違う、違う。佐藤は分かっているよ。私は下の名前を尋ねているんだよ」と返す。
凡百の“上司”には通用しないかも…
もちろん名字も忘れているか、そもそも最初から知らないのだが、天下の角栄にこう言われたら、「私のことを覚えていてくれていたのか!!!」と感激して、その支援者はますます応援してくれるようになる。
「おっ、ちょっと試してみよう」と思った人もいるかもしれないが、安易に真似るのは危険だ。
この手法が有効なのは自分の立場が相手よりも明らかに“上”でなければいけない。しかも、単に立場が上なだけでなく、「フルネームを覚えようとしてくれているんだ」と相手を喜ばせることができる立場に限られる。
ただ、役職が上だからと「知りたいのは下の名前だよ!」と言ってみても、「いや、あなたにフルネームで覚えてもらわなくても……」で終わる可能性が高いだろう。
あるいは、角栄の場合でも、「角さん、自分の名前を忘れていたな」と相手に思われていたかもしれない。とはいえ、それを当意即妙に返す、田中角栄の気遣いに感じ入ったはずだ。組織もガバナンスという機構だけでは回らない、こうした気遣いが潤滑油になるのである。
(月・水・金連載、#16に続く)