私を不祥事研究に誘った「経営倫理」との出会い
会社で不祥事と関わるようになってから4年後の1994年、その関係性をより深化させる出会いがありました。大学教授の友人に誘われて前年に設立されたばかりの日本経営倫理学会の研究会に出席したのです。
その際、学会会長の水谷雅一先生(当時、神奈川大学教授)がいらっしゃって、「学会に入ってください」とお誘いを受けました。私は会社勤めの身で、とても学術的な学会に入る立場でなく、お断りしました。すると、水谷先生は「この学会は企業や組織の倫理を扱います。経営倫理については、道徳哲学、経営学といった学術的なアプローチに加え、企業内部からのアプローチが不可欠です。学者だけではダメなんです。だから、企業人として井上さんに参加してもらいたい」とおっしゃる。なるほどと私なりに得心し、日本経営倫理学会の会員になりました。
ちょうどその頃、大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件(1995年発覚)がありました。アメリカで起きた事件ですが、当時の日本では企業不祥事はほとんど表沙汰にならなかった。今のように不祥事が発生すると、第三者委員会を立ち上げて調査を行い、その結果を公表するという仕組みもなく、企業のスキャンダルは、せいぜいが断片的に週刊誌のネタにしかならない時代でした。
ところが、大和銀行事件は情報公開先進国のアメリカで起きたがゆえに、その詳細が白日のもとに晒されることになります。現地の検察が起訴状を全文公表していたのです。英文でしたが、ネット上でその内容を見ると、不祥事をめぐる銀行内部の杜撰な内部管理の実態、経営者の間違った判断などが赤裸々に記述されており、私は驚くとともに、夜が明けるのも忘れて読み耽りました。それを分析して、初めて学会に論文として提出し、そのときから学会で企業不祥事の研究を主として行い、その活動は今でも続いています。
他社の「企業不祥事」を“我が事”として学ぶ意味
些か長くなりましたが、これが私と企業不祥事との関係の原点です。以来、日本では企業に限らず、不祥事は増えこそすれ、減ることがありません。実際、ほとんど毎日のように企業をはじめ、官公庁、芸能事務所や大学といった諸団体の不正や不祥事が報道されて、私たちを辟易させています。
一方、不祥事は一旦起こると、その影響には凄まじいものがあります。組織とその関係者を傷つけ、直接・間接に関係した役職員は退場させられ、場合によっては、その組織の存続そのものが否定されます。そして、家族を含む多くの人が不幸に見舞われる。どのような不祥事にも、「もしあのとき、英知を働かせてくれれば」という瞬間が必ずあるものです。
というのも、当事者が変わりこそすれ、今日起きている不祥事は、間違いなく、過去にも似たようなものが起きているということに注意しなければなりません。同じような原因で、同じような経過をたどり、同じような結果を招く――驚くべきことに、そんな問題事象が何度も何度も繰り返されている。
だからこそ、過去に発生した重大な不祥事の原因と経過、そして結果を詳しく学ぶことで、今自分たちが直面している諸問題に対しても容易に判断がつき、失敗した人々の判断と行為を参考にして、対策を立てること、あるいは、回避することさえもできるのではないかと考え得るのです。仮に完全に同じではないにしても、本質的には同じであるから、現在の問題への処し方も、容易に見通しがつくはずなのです。
企業不祥事は会社ではなく、人間が引き起こす
そもそも、企業不祥事という現象は、会社という無機質なものによってではなく、生きている人間によって引き起こされます。そこがわからないと、企業不祥事の本質は理解できません。
一般に「企業不祥事」という言葉を見聞きしたときに、「企業=(イコール)代表取締役を頂点とする経営陣」をイメージして、従業員層と言う存在が意識から欠落してしまうことが往々にして起こります。しかし、不祥事の多くは従業員の日常的業務レベルの失敗から発生しており、本来は、不祥事責任の追及に当たり、従業員の果たした役割や行動を俎上に上げざるを得ないものなのです。
ところが、ややもすると、従業員の悪行や不始末もすべてひっくるめて経営陣のコンプライアンス意識やリスクマネジメント体制の欠如・不足に帰着させて説明される傾向があります。そこでは、従業員は経営陣の“犠牲者”的な取り扱いをされることはあっても、責任の主体として認識されることがほとんどない。これでは、企業不祥事の原因の正しい分析は不可能であり、その結果、打ち出される再発防止策も皮相なものになりかねないというのが、私の考えです。
経営者としては、自らの責任は当然ながら、該当する部門や従業員がなぜ不祥事を引き起こすような行動に及んだのかを深く考え、仕事の仕組みや枠組みが正しかったのかという問いを常に持ち続けることが求められます。
次回#2では、具体的に不祥事を防止する方策を挙げていきたいと思います。
(#2に続く)