求められる「ぬるま湯構造」からの脱却
3つ目の理由は、企業の横並び意識である。
「持ちつ持たれつ」の日本独自の株式の持ち合い文化は、特に海外の投資家からの理解は得られてこなかった。現に世界の機関投資家が参加するアジア・コーポレートガバナンス協会(ACGA)が2024年4月末に、日本企業に対して「政策保有株式の縮減を加速し、原則として保有をゼロにすべき」との提言をまとめているが、これもむべなるかなというところだろう。
こうした指摘が盛んに行われ、さらに実際に政策保有株を削減する企業が目立つようになってきたことで、「そろそろ政策保有株は減らす方向に動くべきではないか」と考える企業が増えた。それによって、「削減の活性化」が可視化されているということになる。
これら3つの理由に加え、もうひとつ、大きな背景も指摘しておきたい。今回の「政策保有株削減の動き」は、実のところ企業自ら自分たちの尺度や判断で削減を“選択”したというよりも、「投資家の監視やコーポレートガバナンスが強まりつつある中、保有株についても説明責任を問われかねない」「どうやら削減の流れになりつつあるらしい」との、空気を読んでの判断ではないだろうか。
実際、政策保有株を手放すとはいっても、メインバンクとの間の持ち合いは解消しないなど、“本丸”には手を付けない体質や、株式を持ち合うことで成立する取引関係を暗黙の裡に維持したいという意図が透けて見える。真に政策保有株の問題を解消するためというのではなく、他の企業もやり始めたから、というのが実際のところではないか。
日本経済は戦後の高度成長期、冷戦構造も相俟って、従業員の愛社精神や勤勉さに支えられ、相応にやっていればどんな企業でも成長する状況にあった。逆に言えば、経営者によるリーダーシップが高度成長に寄与した割合は相対的に低かったのではないだろうか。
ところが、バブル崩壊で一気にどん底へ落ち込んだ後、「真の起業家精神とは何か」を見つけられないまま、「失われた30年」を過ごしてしまった。経営者としてのあるべき姿を模索するどころか、従業員の賃金上昇を抑え、リストラやコストカットを徹底し、勝負に打って出てリターンを得るよりも、「リスク回避してこそ経営だ」という後ろ向き姿勢が強まったのである。
日本はこれまで、株の持ち合いのような問題を、資本主義における構造的な所与の条件として、容認し続けてきた経緯がある。そのため、問題提起もなされず、それに甘んじて経営者も当然のように株の持ち合いを行ってきた。
こうしたぬるま湯構造からいよいよ脱却できるのか。政策保有株式の削減活性化が、ぬるま湯脱却への端緒となることを願う。
取材・構成=梶原麻衣子