冬の風物詩、ポインセチアは12月のクリスマスシーズンに最も華やかに色づき、鮮烈な“赤い花”と深い緑の葉が人々の目を奪う。ただ実は、赤い花に見えるのは、「苞葉(ほうよう)」と言われる特別な葉なのである。この華やかさは単なる表層の飾りではなく、しっかりと地中に張られた見えない根と、栄養を運び支える芯の強さのバランスの上に成り立つものである。
もし根が弱ければどれだけ鮮やかな苞葉も長持ちせず、一時の飾りに過ぎなくなるのだ。つまり、華やかな外観の背後にある「見えない根と芯」が、全体の生命力と持続性の要となっている。
そんな12月のポインセチアを見ていて、ふと、取締役のスキルマトリクスのことに思いが至った。
コーポレートガバナンス・コードで推奨される取締役のスキルマトリクスは、取締役会のスキル・経験を一覧化し、多様性と実効性を確保するものである。これにより企業は長期成長戦略に沿った最適な取締役構成を実現し、ガバナンスの質を向上させることを企図している。しかし、スキルマトリクスの運用実態を注意深く見ると、このポインセチアのメタファーが示唆する本質的な課題が浮かび上がる。
すなわち、問題は「誰がそのスキルを持っているか」ではなく、「どこに所属していたか」が評価基準となってしまうという倒錯である。これは、見た目の華やかさばかりを評価し、根本にある実質的なスキルや経験を顧みない態度に等しい。このままでは、取締役会の多様性・実効性は形式に陥り、ガバナンスの質の向上に結びつかないリスクがある。
「看板」で評価されるスキルマトリクスの病理
スキルマトリクスは取締役のグローバル経験、M&A、法務・財務などの専門性を「○印」で視覚化し、投資家に取締役会の魅力を伝えるものである。各社の公開例を見れば、企業経営・グローバル・法務項目でバランスを示し、表面的多様性を超えた実質的監督力をアピールしているように見える。
しかし、ここに深刻な落とし穴がある。スキル評価の基準が「何ができるか」ではなく「どこに所属していたか」にすり替わっている企業が少なからずあるという疑いがあるからだ。例えば、「グローバル経営」のスキルは、外資系企業や大手商社の出身であれば自動的に認められる。「財務・会計」は、監査法人のパートナー経験があれば疑いなく○が付く。「法務」は、大手法律事務所や法務省出身であれば無条件で評価される。
これでは、ポインセチアの苞葉の鮮やかな赤――12月のクリスマスを象徴する「聖夜」「幸運を祈る」という花言葉を持つ色――だけを見て、その下にある真の花や根の実態を確認しない行為と等しいのではないか。
筆者が社外取締役や内部通報窓口、あるいは講演会などで企業と関わる中で痛感するのは、この“看板主義”がいかに浸透しているかである。
ある上場企業の社外取締役は大手監査法人出身で、「財務・会計」のスキル保有者として○印を付けられていた。しかし実際の取締役会では、複雑な会計処理や内部統制の議論において、ほとんど発言がないのである。
後日、本人に話を聞くと、その社外取締役の専門は税務であり、財務報告や監査の実務経験は限定的というのだ。専門家ほど、専門外の発言には慎重になるものである(自戒の念を含めて、筆者も人のことはいえないと感じている)。監査法人という“看板”が、本来多様であるはずの専門性を一括りにしてしまう。
この看板主義は、日本社会に深く根付いた「権威への依存」と表裏一体であろう。
スキルマトリクスでも、「元○○省審議官」「元××銀行副頭取」「△△大学教授」「●●法律事務所」「◆◆監査法人」「外資系金融機関」などの肩書が、その人物が実際に何を成し遂げたか、どのような専門性を持つかという実質的評価を不要にしてしまう。指名委員会での取締役候補者の選定プロセスでも、「この肩書なら株主総会で説明しやすい」という発想が先行し、自社の経営課題に真に必要なスキルは何かという本質的議論が後回しにされる。
ポインセチアには「私の心は燃えている」という花言葉もあるそうで、12月のその華やかさは外見の輝きが内なる情熱を移しているかのようだ。しかし、スキルマトリクスではこの内実が軽視されているように感じられる。
企業は「大手企業出身」「著名な組織の所属歴」という目立つ看板ばかりに注意を向け、肝心の「そのスキルが実際に取締役会で発揮されているか」「その人物が自社の課題解決に貢献できるか」という本質を見落としていないか。投資家も、マトリクスに並ぶ華々しい経歴に目を奪われ、実質的な機能不全に気づかないのではないか。
より深刻なのは、看板主義が“同質性”を生み出すことである。大手企業、官公庁、大手法律事務所、大手監査法人――こうした組織の出身者は、似たような教育を受け、似たような組織文化の中で育ってきた人々である。スキルマトリクス上は“多様性”を謳っていても、実際には思考様式や価値観において同質的な取締役会が形成されてしまう。
社内で発覚した企業不祥事が、外部に知られるまでの間に社外役員が能動的に行動して自浄作用を発揮した事例は多くはない。それは、社外役員が、ハイクオリティではあるけれども、失敗に対処する経験に乏しいコモディティ化した人財であることが原因となっているのかも知れない。

根(内部統制)なき看板(外形)の危うさ
ポインセチアの根が栄養を吸い上げて12月の華やかさを支える如く、スキルマトリクスは内部統制・リスクマネジメントを基盤に、デジタル変革やESG(環境・社会・ガバナンス)のイノベーションを頂点に据えるべきである。しかし現実には、「攻めのガバナンス」の掛け声のもと、華々しい看板を持つ取締役ばかりが集められ、地道な内部統制という“根”を強化できる実務家が軽視される傾向にある。
ここ数年間の不祥事事例をみると、相変わらず、品質不正、検査データ不正事例が後を絶たない。もしこれらの企業の取締役会に、大手企業の“看板”ではなく、実際に製造現場での品質管理を指揮した経験を持ち、メーカーにおいて品質管理部門が製造部門より相対的に低い地位に甘んじることも熟知する取締役がいたならば、当該部門とは独立した調査体制を構築する必要性を指摘できたかもしれない。
さらに懸念されるのは、看板主義と日本的な年功序列文化が結びつき、形骸化したスキルマトリクスが生まれているのではないかという点だ。
「この年齢なら、このポジションを経験していて当然」「この企業で役員まで務めたなら、これらのスキルは持っているはず」という前提で、自動的に○印が付けられていく。これでは本人の実際の経験や能力ではなく、年齢と所属組織の“格”によって、スキルが推定されてしまいかねない。
実践への具体的示唆「看板を剥がす勇気」
では、スキルマトリクスから看板主義を排除し、真に機能させるにはどうすればよいか。ポインセチアの全体像が示す通り、「12月の華やかさ」と「強靭な根」の統合が鍵となるが、そこには看板を剥がす勇気が必要である。
第1に、スキル評価基準の具体化である。「財務・会計」という抽象的なカテゴリーではなく、「財務報告の実務経験5年以上」「会計監査の現場で不正調査に関与した経験」など、具体的な経験・実績を基準として明示する。所属組織ではなく、何をしたかを問う。
第2に、自己評価と第三者評価の併用である。取締役候補者に、単に「○○社で役員を務めた」という経歴ではなく、「○○社でどのような課題に直面し、どう対処し、どんな成果を上げたか」を具体的に記述させる。それを、指名委員会の多様な構成と相互牽制により、独立した視点で検証する。必要に応じて、前職の関係者へのヒアリングも行う。
第3に、スキルの「発揮実績」の可視化である。マトリクスには「保有スキル」だけでなく、「そのスキルが取締役会で実際に発揮された事例」を併記する。たとえば「財務・会計」スキルを持つ取締役が、決算承認プロセスでどのような質問をし、どんな改善提案をしたかを、統合報告書などで開示する。これにより、看板倒れの取締役は自然に淘汰される。
第4に、多様なバックグラウンドへの門戸開放である。大手企業、官公庁、大手法律事務所という“王道”ルート以外からの取締役登用を積極的に進める。中堅企業で事業再生を成功させた経験、NPOで社会課題に取り組んだ実績、スタートアップでの失敗と学びの経験など、“看板”にはならないが“実質”のある経験を評価する。
根を見る目を養う
ポインセチアの美しさは、12月の華やかな苞葉と見えない根の調和にある。スキルマトリクスもまた、投資家に見せる「華やかな看板」だけでなく、見えない部分での「実質的なスキル」が伴ってこそ、真の企業価値向上に貢献する。
看板主義は、評価する側にとって楽な方法である。履歴書に書かれた所属組織を見れば、細かく調べなくても一定の評価ができる。しかし、それは思考停止に他ならない。ポインセチアを買う際、苞葉の赤だけを見て根の状態を確認しないようなものだ。
法務担当者、コンプライアンス部門、そして社外取締役自身が、自社のスキルマトリクスに“実質”が伴っているかを絶えず問い直す必要がある。「この人物はどこの出身か」ではなく「この人物は何ができるのか」「この人物は自社にどう貢献するのか」を問う。
その地道な努力の先に、看板ではなく実力で勝負する、真のガバナンスが実現するのである。 そして我々自身も、権威や看板に惑わされず、物事の実質を見抜く目を養うことが求められる。それは、ポインセチアの根を見る目を養うことと同じである。華やかな苞葉に目を奪われず、その下にある真の構造を理解する――それがガバナンス改革の本質なのだ。
……と書きながら、今年も根の張り具合など確認することもなく、ポインセチアを買い求めてしまった。ルーチン、条件反射的な行動を変えることは本当に難しい。
(次回は新年を予定しています)
