四半世紀を超える“カリスマ一強体制”
2023年4月15日、東京ディズニーランド(TDL)が開園40周年を迎えた。アメリカ以外で開設された最初のディズニーパークだ。1年目から来園者数は1000万人を記録。昨年2月には、TDLと東京ディズニーシー(2001年開園)を合わせた東京ディズニーリゾート(TDR)の来園者数は累計で8億人を突破した。
2023年3月期はインバウンドの回復もあり、TDRを運営するオリエンタルランドの最終利益は前期比約10倍の807億円と、コロナ前の水準を上回った。その後も好調は続き、TDL40周年のイベント効果も寄与し、同社の2023年4~6月期の売上高は1406億円、営業利益は386億円と同期で過去最高を記録した。
好況に沸くオリエンタルランドだが、今年はもうひとつ大きなトピックがあった。1995年に社長、2005年からは会長兼CEO(最高経営責任者)として長きにわたりトップの座にあった加賀見俊夫が6月、取締役会議長に就任。代わって会長兼CEOに就いたのは、TDL開園の3年前に新卒でオリエンタルランドに入社した取締役副社長執行役員の高野由美子だった。加賀見は依然として代表取締役の肩書を持ったままなので、トップから下りたと見るのは早計だが、ようやく時代の節目を迎えたかのように映る。
あまりにも長い“カリスマ一強体制”だった。2024年1月には米寿を迎える加賀見(1936=昭和11年生まれ)だが、創業一族でもなく、オーナーでもない人物による支配はとうに四半世紀を超えながら、その体制はまったく揺らぐことはなかった。その間、社長を含む幹部の顔ぶれはいろいろ変わったが、トップの椅子には常に加賀見が座り続けたのである。インターネット上の百科事典「ウィキペディア」の加賀見の項を開くと、「東京ディズニーリゾートの生みの親」とある。あたかもTDR誕生の最大の功労者のように描かれているが、その歴史を深く知る者のほとんどは違和感を覚えるに違いない。真の主役は別にいると――。
*
TDLのメインエントランスを真っ直ぐ進むと、ショップやレストランが集まる「ワールドバザール」のエリアに入る。まもなく十字路があり、その角に建つタウンセンターファッションという店舗の2階の窓ガラスに「MASATOMO TAKAHASHI」という文字が刻まれているのを見つけることができる。
TDL開園のとき、オリエンタルランド社長だった高橋政知のことである。この人物こそがTDRが建設される千葉県浦安沖の埋め立て事業を成功させ、ウォルト・ディズニー・カンパニーとの交渉をまとめ上げた立役者なのだ。1998年、TDLが開園15周年を迎えた際に、ウォルト・ディズニー・カンパンニーは高橋の功績を称え、最高の栄誉である「ディズニー・レジェンド」の称号を贈った。窓に高橋の名前が刻まれているのは、それを記念してのものだ。ちなみに、その斜め向かいにある建物の2階の窓には加賀見の名前も記されている。
高橋本人が地位に固執することはなかった。1988年4月、妻が心臓病で入院すると、「会社に迷惑をかけるわけにはいかない」とあっさり社長から会長に退いた。一方、20歳以上、年の離れた加賀見は1960年代から70年代のオリエンタルランド激動の時代、周囲からは「高橋のかばん持ち」と見られ、目立った活躍もなかった。
傍目にはうだつが上がるとは言い難い加賀見がなぜ、長期政権を築けたのか。それがオリエンタルランドのガバナンスにどう影響したのか。TDRの創生と運営に最も重要な役割を果たしてきた高橋と加賀見という2人の男にスポットを当てながら、謎を解き明かしていきたい。