経営者は「揺蕩(たゆた)う経営」をやってはいけない
そもそもコミュニケーションとは伝えることではなく、相手と共用するというのが、もともとの意味なのだそうです。豪放磊落型の人の場合、そもそもが自信満々ですから、自信を持って相手に伝えることができる。しかしそれは、あくまでも伝達することであって、コミュニケーションではありません。

先ほど触れたタイを皮切りに、トルコやヨーロッパなどに駐在したほか、アメリカを代表する企業だったファイアストンの買収(88年)や、中国企業との合弁などのために世界各地に出張を繰り返すなど、私は会社人生のほとんどを海外で過ごしてきました。その経験から言っても、国や民族が違うと、考え方もまるっきり異なるものです。
「グローバル経営」がことさらに強調されますが、現地・現場というローカルでビジネスをするという本質に変わりはありません。いろいろなバックグラウンドを持つ人のアイデアを引き出してその協力を得て、仕事を進めるわけです。そうした体験からしても、臆病者である自分のやり方は適していると確信しました。
一方、世界はますます不確実性の高い社会なっています。そういう時代においては、コミュニケーションを取りながら仕事を進めることが絶対的に不可欠です。
高度経済成長のような右肩上がりの時代ならば、自分の考え方を強く打ち出すプッシュ型で、次々に先行して投資をしていく方が企業は発展する。早い決断をして、早い行動に出る方が勝てる可能性が高い。
しかし、複雑な方程式を解かなければいけないような今の時代には、慎重にいろいろな意見に耳を傾け、奥深いミュニケーションをとる経営が必要になっています。
当然ながら私も、コーポレートガバナンスの強化が現代の経営における基本中の基本であると認識しています。ただし、ガバナンスの関連施策を点数化して、何点以上だから、これで十分というようなことではありません。例えば、指名委員会設置会社にしたから先進的だとか、社外取締役が取締役会の過半を占めているから素晴らしいだとか……。
では、それぞれの社外取の人物像をつぶさに見たら、本当に経営のことが分かっているのかと首を傾げたくなるような会社もあるものです。継続的にガバナンスの有効性を評価し直し、さらに上のレベルを目指していく姿勢が求められます。
だからこそ、「原理原則」という考え方が、グローバルに共通する経営活動の行動規範なのです。コーポレートガバナンスの仕組みを構築しながら、問題を認識したら、原理原則に立ち戻る――この両輪で経営することで経営の実効性を担保するのです。
コーポレートガバナンスを良いものにしていく際に大事なのは、ほかならぬ経営者の行動そのものです。しかしながら、経営者がどのような考え方を持って、実際の執行を行っていけばいいかというところは、実はあまり語られていないように思います。
私は、経営者の行動というのは原理原則に裏付けられていることが大前提だと考えています。コーポレートガバナンスの細目は尊重しなければなりませんが、いくら細目を並べ立てたところで、実際の経営はそれだけで対応できるものではありません。だからこそ、経営者には原理原則を愚直に堅持することが求められるのです。
私には辛い思い出があります。私のブリヂストン社長時代(06年3月~12年2月)に石油を貯蔵施設に送るマリンホースの国際談合事件(07年)が発覚しました。結果的に、和解金を米司法省に支払うことになりましたが、その時の対応も原理原則に則ったものであるよう努めました。
つまり、「正直に行く、ウソは一切言わない」という方針を対策チーム、そして全社的に宣言し、何とか解決にこぎ着けました。
私は経営者が自分の意思で判断して意図して利益を出すのではなく、たまたま利益が出て運が良かったみたいな経営は一切したくないのです。そういうものは、私がもっとも嫌う「揺蕩(たゆた)う経営」なのです。ゆらゆらと定めなく漂うような経営を経営トップは絶対にやってはいけない。