第12回【油布志行×八田進二#2】新NISAで生み出す「資産運用立国」の好循環
Wコードが行き過ぎた「買収防衛策」を排除
八田 1年の違いはありますが、スチュワードシップ・コードとコーポレートガバナンス・コードが制定されて10年近くが経過しましたが、改めてWコードの効果をどのように実感されていますか。
油布 コードの効果を測定してデータ化することは難しく、どこの国でもはっきりとした数値が出せていないようです。その前提で申し上げますが、たとえば、買収防衛策の導入企業は明らかに減りましたね。ピーク時は500社くらいが入れていたのですが、今は300社程度になっているはずです。
八田 ただ、コーポレートガバナンス・コードには「買収防衛策をやるな」とは直接的に書かれていませんよね。
油布 そこが重要なポイントです。一律に「やるな」と記載するのではなく、買収防衛策が経営者ないしは取締役会、取締役の“保身”のためのものになっていないかという議論はしてください、と書いてあります。そして、株主もその記載を認識しているわけです。そのあたりが一定の抑止力を発揮し、行き過ぎた、あるいは不必要な買収防衛策を排除する効果が出ているのではないでしょうか。
八田 かつて「モノ言う株主」として毛嫌いされていたアクティビストも、近年はガバナンス・コードに沿った正論を主張するようになっていて、株主総会決議に影響を及ぼし始めていますよね。具体的な数値などを使って正当な議論をされると、正論だから機関投資家としても反対しにくい。2023年3月に東京証券取引所が出した「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の要請と、8月に経済産業省が出した「企業買収における行動指針」も効果を発揮しているのではありませんか。
油布 私は担当局長ではないのですがどちらも上場企業に対して資本市場、資本の意義を認識させる有益なアプローチだったと思いますね。
八田 東証・経産省の指針は、何しろアクティビストのような経営側からすれば、嫌な相手からの提案でも、一般株主の利益を第一に真摯に検討しなさいと言っているわけですからね。かつての株主総会は“短くシャンシャン”で終えることを経営者側は目標にしていた。ただ、そんなことはどう考えてもおかしい。取締役は株主から委託されて経営しているのに、その委託元の株主と実のある議論をするのは当たり前のはずです。
油布 そう思います。実際、機関投資家やファンドとの対話、いわゆるエンゲージメントを上手に使おうという企業もだいぶ増えてきているように思いますね。面談を断ると外聞が悪いから仕方なく会っているというケースもあるでしょうが、ファンドの中には高い分析力と情報収集力を持っているところもある。その能力をうまく使おうという企業も出てきているようです。
現に、生保協会が毎年、上場企業と投資家に対して、企業価値向上に向けた取り組みについてのアンケート調査を行っているのですが、上場企業に「投資家との対話を踏まえ、アクションや改善策等の参考にした論点は何だったか」を問うと、1位が情報開示、2位、3位がサステナビリティや株主還元ですが、次いで経営・事業戦略といった回答が出ていました。そうやって企業も株主の情報分析能力や知見を上手く使って建設的なエンゲージメントが進むと良いなと思いますね。
八田 ところで、先の東証の要請はPBR(株価純資産倍率)1倍割れになっている上場企業に焦点が集まりました。
油布 コーポレートガバナンス・コードでは、会社や業種によってそれぞれ違いがあるだろうから、敢えて特定の経営指標には言及せずに、自分が適切だと思う指標を使って経営してくださいという表現にとどめています。しかし、東証の出した「PBR1倍」というのは極めて強いメッセージ力がありましたね。
八田 国際比較すると、日本ではPBR1倍割れになっている上場企業があまりに多いと。
油布 PBRは例えば、低金利で金利のつかない環境であれば銀行は低くなりますし、逆にIT企業だったら高くなるので、一律はやや乱暴なところもあるかもしれませんが、多くの企業が資本市場と真摯に向き合い始めるのではないかと期待しています。
個人投資家が成功体験を得られるために
八田 油布さんは2012年の総合政策室長時代にNISAの立ち上げを担当されましたけど、2024年1月からは非課税保有期間を無期限にした「新NISA」が始まっています。
油布 今回、私は直接関与していませんが、新NISAでこれまで個人投資家の方が証券投資に対して抱いてきた不信感を完全に払拭できないまでも、改善できればと思っています。マーケット自体が低迷していた時代は、売り手の姿勢はお世辞にも顧客本位とは言えなかったと思いますし、実際、個人投資家は成功体験を得られていませんでした。
その点を金融庁としても問題提起をし、少しずつでも変わってきたのではないかと思っていますし、もっと変えていきたい。2023年、政府が骨太方針で掲げた「資産運用立国」というスローガンを実行に移すうえで、唯一欠けていたピースが運用会社の運用能力向上に向けた施策です。ここがダメだと、個人投資家は成功体験を得られません。逆に成功体験を得られれば、好循環が生まれます。
八田 具体策はありますか。
油布 2023年、金融経済教育推進機構に関連した法案が成立しています。特定の金融業者、金融商品に偏らないアドバイザーの認定・支援や企業の雇用者向けセミナー、学校教育の現場などへの講師派遣を行う組織を立ち上げ、2024年の夏以降に稼働させる計画です。
八田 最後に、総合政策局長として、金融行政、財務行政など今後の抱負を教えてください。
油布 残念ながら、金融庁はまだまだたくさんの課題を抱えていて、宿題はいくらでもあります。例えば、金融機関の健全性確保。今は確かにどこの日本の銀行も盤石だと思いますが、アメリカでは2023年3月にシリコンバレーバンク(SVB)が経営破綻して米連邦預金保険公社の管理下に入りました。何かひとつ歯車が狂っただけでSVBのようなことが起きるかもしれないという危機感は忘れてはいけないと思います。
金融機関は健全性の確保と貸し出しのバランスはしっかり取っていかなければいけませんし、事業計画や会計書類を分析したうえで融資できる「目利き能力」も培っていかなければいけません。銀行にももちろん頑張ってもらいますが、金融庁もいろいろと応援していこうと思っています。
八田 本日はいろいろと貴重なお話をありがとうございました。日経平均が入省された当時を超えるまで頑張ってください。
(了)
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