「政治資金改革」のツケは誰が払うのか
一般に、新たなルールを設定し、導入・運用を行うには相応のコストが発生する。また、政治収支報告書そのものの論点ではないが、企業団体献金の廃止やパーティー券の個別開示限度額の引下げなど、政治活動の収入面におけるマイナス面のベクトルが働けば、既存の政治活動を縮小させない限り、最終的にはそのツケは国民が負うこととなる。
議員数なども異なるため軽々に比較はできないが、米国では、秘書の数は下院議員1人当たり平均16.8人、上院議員1人当たり平均41.2人が細分化されたタスク毎に採用され、国庫負担額(事務所費などを含む)は、下院平均(年額)で約138万2000ドル、上院平均(同)で約373万9000ドルとなっている(国立国会図書館『調査と情報』No1090)。
もっとも、このテーマを語るに際しては、そもそも政治活動に多くのカネがかかることの是非やその実効性についての検証が必要であることは論を待たないが、日本型民主主義政治システムの根幹にかかる問題であり、多様な課題を含むため、機会があれば稿を改めることとしたい。
2.「政治資金改革元年」――今こそノブレス・オブリージュの精神を!
以上、一連の政治資金制度改革に関する議論を踏まえ、収支報告および監査に係る論点につき、雑駁な感想を述べてきた。冒頭のとおり、多様な論点が存在することから、本国会をもって積年の課題がすべてクリアになるとはいかないであろうが、災い転じて福となすよう、本年を政治資金改革元年の覚悟のもと、関係者の英知をもって、一過性の政争の具に終わらせることなく、今後も不断の改革に取り組むことが求められる。
同時に、いかなる制度にも完璧というものはなく、運用するのは「人」である。ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)、高貴なる地位にある者にはより高い徳や倫理観が要請される。「末は博士か大臣か」、今や死語になった感のある言葉だが、国民に選ばれし国会議員たる者、政治資金問題についてもその矜持をもって対峙し、政治不信を払拭するとともに社会からの信頼を回復し、次代の日本を担う子供たちの尊敬を集めるよう自助努力をしていただきたい。決して、政治活動の自由の尊重の原則を悪用してはならない。
間接民主主義が多数決の論理を前提とする以上、政治信念を共有する同志が集まって政策を唱え、党内の力の均衡をはかり、総裁選に票を投じるという意味においても、派閥を基軸とするガバナンスの役割自体がすべからく否定されるものではない。また、約300の小選挙区を勝ち抜くには、幹事長に権限を集中させた、きめ細やかな選挙戦略を展開することも必要となろう。繰り返しになるが、そこには透明性がなくてはならない。
末筆ながら、メディアや監査人、ひいては主権者たる国民全体も、今後も政治資金に関する問題の本質を見極め、より高いリテラシーをもって継続的に監視していくべきであると、自戒を含めて思う次第である。
(了)