急転直下押しとどめられた主力メンバーの退社
他の退社メンバーからは、社長について、「社員を信頼できず尊敬がないため、社員に対して嘘や過大な情報発信をする」との話も持ち上がっていた。社長は、従業員を代替可能なコストとして見ており、社員が知恵をつけることを極端に嫌がった。「人的資本経営」が叫ばれる昨今とは逆行する所業である。

コロナ禍前の2019年頃までは、このスタートアップの資金調達額は順調に増加しており、市場と遜色ない給与水準で優秀な人材を採用し、事業を加速させる選択肢もあったはずだ。だが、優秀な社員ほど、いち早く社長方針とのズレに気づいてしまう。ちなみに、ストックオプションを付与している社員に対する説明は、ユニコーン(評価額1,000億円以上)前提であった。会社業績も開示されていないのに、「ユニコーンです」と自称されても、夢物語のストックオプション制度で、現実味などまったくない。ストックオプションが付与されていても関係なく、社員たちは辞めていった。
ところが、急転直下、主力メンバーの退職騒動は一筋の光明を見出すことになる。
IPOに影響が生じる可能性があるとのことで、社外取締役や主要株主などを巻き込むこととなり、社員からの信任が厚い副社長が実務を統括、当の創業社長は投資家対応や対外的なPRを担い、執行に関与しないという体制にシフトすることで一旦の着地を見ることになったのだ。退職の申し出が、曲がりなりにもガバナンスの正常化を手繰り寄せたのである。
もっとも、筆者にもいくつかのIPOプロセスに携わった経験があるが、取締役の期中退任ならまだしも、執行役員を含む従業員の退職などが、主要な論点になることはない。それ以前に、事業計画の合理性や足もとの業績、子会社も含めた内部管理体制の方がはるかに重要であり、この会社の判断軸はズレている。そもそも自省できない組織が上場なんて、とんでもないことである。
とはいえ、このスタートアップは社員たちに向けて“新体制”を説明し、主力メンバーの退職を食い止めた。事実、社員たちも新体制に期待したようだった……しかし、またも波乱がこの会社を襲うことになる。
(#2に続く)