「御恩と奉公」と「株主資本主義」
会社は誰のものか――。株主資本主義では、会社の所有者は資本を提供する株主だが、日本ではしばしば経営者が会社の所有者と見なされてきた。このことは、学際的経済学者の小室直樹(1932~2010)に指摘されており、このため、日本人は欧米型の株主ガバナンスを受け入れるのが難しい。
小室は評論家の山本七平(1921〜1991)の論考から、「支配者が所有者である」という考え方の起源を鎌倉幕府の「御成敗式目」に求めた。そこに示される所有の概念は、その財産を抽象的ではなく具体的に保持し、かつ経営し機能させる者を所有者とするというものだ。
この価値観は今も色濃く残り、特に高齢層には経営者だけでなく従業員にも染みついている。そう感じさせたのが、フジテックの元従業員の発言だった。
探偵の尾行によって明らかになったフジテックユニホームを着た男性が内山邸を掃除していた問題を受けて、オアシスは「創業家による従業員の私的利用」と非難した。内山は、自邸の掃除をしていた男性は元従業員であり、内山家がアルバイトとして雇用していたと反論した。
さらに株主提案のキャンペーンサイト「FREE FUJITEC」に、「オアシスの噓を暴く、元従業員の激白」という動画を掲載した。フジテックに42年務め2011年に定年退職したという元従業員は、素顔こそ隠されているものの、地声を晒して「自身の意思で声を上げた」と語り、オアシスをこう非難した。
「作業姿をオアシスが盗撮し、広めたことでフジテックや内山家に大変な迷惑をかけてしまいました。大変申し訳なく、また悔しくてなりません」
定年から12年が経ちひっそりと余生を過ごしていた彼は、窮地に陥った内山家のために一肌脱いだのだろう。彼が自発的に助けを申し出たのは、長年にわたり会社に対して抱いてきた忠誠心の表れに違いない。
日本の企業文化にしばしば見られるこうした忠誠心は、終身雇用制度を前提に築かれた封建時代のような主従関係と言えるだろう。
経営者の意向に忠実な従業員の映像は、株主主導で透明性や説明責任を強調する欧米型の“コーポレートガバナンス”と、経営者主導で従業員や取引先との調和が求められる日本型の“企業統治”が激しく対立していることを象徴的に示していた。
しかし、後者にはいま強烈な逆風が吹いている。
*
資本効率を高めて株価上昇を促す東証のPBR(株価純資産倍率)改革が推し進められ、また、経営者の保身につながる買収防衛策に制限を加えようとする経済産業省の「公平な買収の在り方に関する研究会」の議論が大詰めを迎えるなか、いわば国策が後押しするのはアクティビストだ。
それは、失われた30年を経て追い込まれた日本経済がようやく着手した改革のひとつでもある。
フジテックを追放された創業家・内山高一は、この変革の最初の生贄とされたのかもしれない。
(文中敬称略・シリーズ=全7回=了)