八田進二教授が考える「第三者委員会5箇条」《前編》【第三者委と不正検査の現在地#1】

元タレントの中居正広氏の女性アナウンサーに対する性加害に端を発したフジテレビの不祥事をきっかけに、「第三者委員会」が大いに注目を集めている。ワイドショーをはじめ、お茶の間にも第三者委なる制度が膾炙するようになった。

そのような衆人環視のもと、公認不正検査士(CFE)である竹内朗弁護士が委員長を務めたフジ第三者委は、このテレビ局の深奥に切り込んだ調査報告書を公表し、その面目を施したと言えよう。

かねがね私はこの第三者委について、不祥事を引き起こした企業をはじめとする当該組織に関係するすべてのステークホルダーの利益を擁護し、かつ広く社会的な信頼を得ることができるようにと、以下の5つのポイントから“あるべき姿”を訴え続けてきた。

(1)設置の意義
(2)委員の選任
(3)社外役員の役割
(4)委員会の使命
(5)報酬等の適時の開示

フジテレビの第三者委調査報告書が出た今だからこそ、「第三者委員会5箇条」というべきものを今回、改めて指し示しておきたい。というのも、組織が不祥事を起こすと、脊髄反射的に第三者委の設置が叫ばれる昨今、これら5つの提言が現在、本当に実行されているのか甚だ疑問と言わざるを得ない状況が続いているからだ。

(1)不祥事企業は「第三者委設置」の大義を語り得るか

まず(1)の設置の意義についてだが、これは本当に第三者委を設置する大義があるのかどうかということである。

不祥事を起こした組織が真っ先にしなければならないことは、組織が自浄能力を発揮して、自らがその原因を究明し、そして必要な是正策や再発防止策を講じることにほかならない。自力救済をもってそれを実行するのが本来の姿であって、必ずしも“外部委員会”である第三者委を直ちに設置する必要はないのである。

しかし、どうしても自力だけでは是正できない局面がある。そのために、特に上場企業には監査役を含む社外役員がいるわけだが、彼ら・彼女たちだけで原因究明を行うのでは、社会的な信頼性を担保できないケースがある。

ひとつは、上層部が関わるような不正。つまり、指揮命令権限を持っている経営層が関与する不正は、真相究明のため、社外役員が指揮命令権を行使しようとしても、まず機能することはない。

もうひとつは、長期にわたっていたり、複数の部門で蔓延したりしているような不正。この場合、不正に関わっている役職員が広範囲に存在し、企業そのものが不正に染まっていることすら考えられる。

こうなると、組織内部単独で自浄能力を発揮し、立ち直ることは非常に困難。ゆえに、不足している部分を外部からサポートしてもらうしかない。そのサポート機能として第三者委の設置が議論されるのであれば、これは意義、大義がある設置と言える。

ところが現実問題として、自分たちで何も対策を講ずることなく、第三者委に真相究明を丸投げするケースが後を絶たない。ただし、これは不祥事を引き起こした組織側が第三者委の設置の意義を理解できていないためばかりではないのだ。

不祥事を報じるメディア側にも目を転じる必要がある。

マスコミは、企業が不祥事を起こすと、直ちに第三者委の立ち上げを求めることが習い性になっている。事実、フジテレビがしぶしぶ第三者委を立ち上げるに至ったのは、他のメディアによる追及であった。

結果的にフジの場合は第三者委を立ち上げる必要があったと言えるが、メディア、そしてその報道に触発された世論が、第三者委の設置を不祥事対応の“金科玉条”として絶対視している。これは完全な間違いというほかない。

第三者委を立ち上げるに至った明確な大義――。この大義を社内外に説明できるかどうかこそ、不祥事組織側に求められている。そして仮に第三者委を設置したのであれば、自分たちだけではできない部分を第三者委に助けてもらう格好になるわけだが、ここでも勘違い、いや、時として意図的なミスリードが横行していると言えよう。

第三者委を設置すると、当該組織側は「真相究明は第三者委にすべて任せている」「自分たちに何も答える権限はない」と木で鼻を括った体の対応に終始する光景をよく目にする。

これは明らかな間違いである。そもそも、第三者委を立ち上げるケースは、直ちに違法性が問われたり、直ちに法に触れたりするものではない不祥事事案。つまり、第三者委が取り上げる問題は、あくまでも倫理的に疑いがある、あるいは社会通念上許されるのか、といったグレーゾーンの問題が対象なのだ。

違法性が濃厚であれば当然、直ちに警察や司直の手が入るわけで、その間、第三者委に出る幕などない。そのため、第三者委の調査を受ける組織側は、よほどその調査を乱さない限り、対外的に説明して逮捕されるようなことは考えづらく、広報的な意味でも誠実に対応すべきである。

むしろ、第三者委の設置を隠れ蓑に、自らの不祥事のほとぼりを冷まそうとしているのではないかという疑念を払拭しておくことが肝要である。