JICPAは「IFACから名誉ある脱退を表明すべき」は極論か
会計プロフェッションにおける自主規制はその生命線といえる。社会から負託されている責任・義務を果たすうえでは、健全な自主規制が実現されなければならないのだ。
これは法に従っているとか、何らかの規則等に従っているというだけで十分、という話ではない。厳格な自主規制あってこそ、社会から監査人、公認会計士としての負託と信頼を受けることができるといえるだろう。
わが国の場合、最新のデータでは、公認会計士の資格を持つ人の中で、実際に監査人として活動している人の割合は5割程度となっているという。最盛期には9割が活動していたことを思うと、驚くべき数字だが、社会が求める監査という職務をこなせる人員が減る中、自主規制能力を失い、非会計士と同じ基準を課されながら、自身のみ制裁処分を受けるということになれば、会計士の担い手はますます減っていくのではないかと危惧する。
最も懸念すべきは、こうした事態が進行しているにもかかわらず、現時点では、JICPAとして、国際対応への見直しを行ったり、また、プロフェッションとしての危機感を共有したりといった動きが見えないのだ。日本の会計・監査制度の実を上げるための警鐘を鳴らすとしても、「もう国際化の流れは止まらないのに、何を抵抗しているのか」と言わんばかりに異端視されるようでは、真の意味での会計士業界の発展は覚束ない。
国際的な組織に対しても、会計士協会から然るべきメンバーを送り込んではいることからも、JICPAとして主体性を持った主張を行うだけでなく、長年築いてきた会計プロフェッションの自立性ないし自律性を阻害するような方針変更等については、断固として、異議を唱えることが求められる。言われるがままの対応では、「われわれ自主規制団体たる日本公認会計士協会は」という枕詞すら死語になりかねない。
会計プロフェッションとは、会計士、監査人に求められる高度な倫理性を示す言葉でもある。そしてプロフェッションには自主規制の権限と責任が委ねられている。もちろんその権限は自らに対する懲戒処分制度とセットでなければならず、効果的な自主規制が行えない場合にはその特権が取り上げられることもあるわけだが、JICPAは今まさに、自らこの権利をIESBA(国際会計士倫理基準)、ひいては、その裏にいる規制当局に“献上”しようとしているのではないか。だから、敢えて極論を言いたい。
今後、日本公認会計士協会(JICPA)は、国際会計士連盟(IFAC)から名誉ある脱退を表明することも一法ではないか。
何を世迷い言をと思われるかもしれない。いや、そう思うだろう。しかし、それほどまでに根源的に、会計士が自らの職能を見つめ直す時期に来ている。私はそう考えるのである。
(了)