野村 彩:弁護士(和田倉門法律事務所)、公認不正検査士(CFE)
県知事や市長によるハラスメントが話題である。セクハラ、パワハラのオンパレード。自治体のトップによるこういった行為が、昨年から今年にかけて立て続けに報道されているのは、おそらく偶然ではない。
職場でのハラスメントは違法行為である。それを行う者はトップに相応しくない。このような価値観は、民間企業においては、すでにほぼ確立されたと言っていい。自動車メーカーH、在阪キー局Kテレビ、地方局Aテレビ、株式上場を果たした東京M……。ここ1年でも、多くの経営陣のハラスメント辞任が報道されている。
そしていま、選挙で首長が選ばれる「聖域」であった自治体にも、ハラスメント辞任の価値観が浸透しつつある。
「県民、市民のためにあるべき自治体のトップが、人権侵害をして良いわけがない。『私も被害を受けた』と明らかにすることは、恥ではない。市民のためにこそ、ハラスメントを根絶すべきだ」
……これは正当な権利の主張であり、そして次なる被害者を守るための、利他的な行為でもある。9年前に、女性たちが勇気を持って声を上げたあの MeToo運動が、いま形を変えて広がっている。
告発者のダブルバインド「言っても地獄、言わなくても地獄」
女優のアリッサ・ミラノが2017年、ツイッター(現X)で「性的嫌がらせや性暴力を受けた人はこのツイートに『me too』とリプライして」と呼びかけたところ、その日のうちに5万件の返信、FacebookなどのSNSに1200万回の『#MeToo』が投稿された。レディー・ガガもその一人だ。
女優のエヴァン・レイチェル・ウッドは、こうリプライした。
「恥ずかしいと思っていた。“party girl”と思われていたから、仕方がないのだと思った」*1
*1 https://www.vogue.com/article/alyssa-milano-metoo-sexual-assault-campaign
「責任は私にあると思っていました」
こう述べた女優のアメリカ・フェレーラは、被害を受けた当時は9歳であった*2。
そう、me tooの叫びがなぜここまで爆発的に広がったのか、その答えがここにある。被害者たちはずっと、「言ってはいけないと思っていた」のだ。「me tooと言ってほしい」という先のツイートが、その呪縛を解いたのである。
そもそもセクハラについて、被害者が「言えない」と思うのも無理はない。性被害者に対する常套的な反応は、こうだ。
「隙があったのでは?」
「嫌なら断ればいいのに」
「そんな格好してるから」
仮に組織に相談でもしようものなら、次はこれ。
「大袈裟に騒ぎ立てて……」
「それくらい流すのが大人の対応」
「トラブルメーカー」
さらに相談することのリスクは、このような人権侵害発言にとどまらない。加害者は、持てる限りの権限を利用して被害者を攻撃する。解雇の権限があれば解雇する。プロジェクトから外す。孤立させる……。
「“好意”を無碍にしやがって!」というわけだ*3。
*3 だからこそ、男女雇用機会均等法のセクハラの定義に「対価型」が存在するのである。対価型セクハラとは、同法11条の次の下線部分を指す。「事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。」(下線・太字は筆者による)
被害者がかわいそう! かわいそうですよね……はい、そこで出てくる言葉がこれです。
「調査をしても、あなたのためにならない」
「大っぴらにして、傷つくのはあなたですよ」
相談を受けた上司による“あるある発言”である。冒頭の福井県知事のセクハラ事件でも、調査報告書において上司の次のような対応が問題視された(太字化は筆者、以下同)。
〈通報者は、セクシュアルハラスメントの被害発生直後に上司に相談をしたものの、上司は、相談内容を半信半疑で受け止め、『また同じようなLINEが来たらすぐに言ってほしい』などと助言をしたのみで、被害の情報が上司を通じてハラスメント対応を所管する部署である人事課に提供されることはなかった。〉*4
*4 ハラスメント事案に関する特別調査委員「調査報告書」(2026年1月7日付)21頁
https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/jinji/houkokusyo_d/fil/houkokusyo.pdf
さらに、〈まずは通報者自身で加害者に断ればよい〉と考えて被害を無視した別の管理職がいたことも指摘されている。
かくして、被害者は沈黙を強いられる*5。加害者は罰せられない。結果として、別の、次の被害者が生まれる。
*5 ちなみに、当初は沈黙を保っていたが、我慢が限界に達して後日、組織に相談……なんてしようものなら、「なぜ黙っていたのか」「誰かに相談しなかったのは、受け入れていたのではないか」と言われるであろう(前掲「調査報告書」13頁)。まさに「言っても地獄、言わなくても地獄」なのである。

なぜ被害者は声を上げることができたのか
先ほど述べたように、セクハラの二次加害は過酷である。被害を訴えたって、自分個人に良いことなんて何もない。なのに、なぜ人々はme tooと声を上げたのか。その点のヒントも、前述の調査報告書から見えてくる。
〈被害者らは、年代も部署及び業務内容も全く異なるが、職務に熱心な公務員であって、法律上の職務専念義務を負っており、県民に奉仕する公職に就いている自負があり、やりがいとプライドを持ってそれぞれの職務にあたっていた〉
そして、通報者は〈このまま放置してはさらなる被害者が発生すると思い、二次被害は恐ろしかったが、勇気を出して通報した〉。
他の被害者は〈実名を出して調査で声をあげるのは精神的に負担だったが、このままでいいわけがない。通報者を一人にはできない。声をあげなければいけないと思った〉。
本件は、誇りを持って職務を遂行していた人たちによる、他者のための告発でもあった。
米誌TIMEの「世界に最も影響力のある100人」(2020年)に選出されたジャーナリストの伊藤詩織さんは、自身が被害を受けたレイプ事件についての書籍のあとがきにおいて、「伝えよう」と決意した契機として、ゲイリー・ノーリングさんについて書いている。
ゲイリーさんの娘キャリー・グッドウィンさんは、レイプ被害を苦にして自殺した。
〈彼(注・ゲイリーさん)は娘の事件を語る講演活動をしている。彼の無念は、娘をレイプした相手が二年前にも同じことをしており、その時も罪に問われることはなかった、と知ったことから生じた。/『もし、その時に司法の正当な裁きを受けていたら、娘はいまここにいるかもしれない』〉*6
*6 伊藤詩織『Black Box』文藝春秋(2022)あとがき
伊藤さんもまた、次なる被害者を防ぐために声を上げた一人であった*7。
*7 他者のためではなくとも、まず自分のためだけに声を上げて良いし、それが正当な権利であることは言うまでもない。
パワハラにもMeToo 男性たちの「覇権ゲーム」の陰で
セクハラの被害は、いまだに深刻である。高度に文明が発達した、この2026年においても、われわれが見聞きするセクハラの被害は氷山の一角に過ぎない。
しかしながら、人の精神を追い詰めるのはセクハラだけではない。職場のセクハラについて、ある論文はこう述べる*8。
〈これは男女の戦いではない。ごく一部の不届き者が、他人の仕事をじゃましてよいのかという話である。〉
*6 ジョアン・C・ウィリアムズ、スザンヌ・レブソック「#MeToo運動を機にセクハラ文化は終わるのか」DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー(2018年6月号)「告発 そして解雇の嵐 落ち着かない男性たち」の章より
まったくもってその通り。そのような意味で、恫喝や圧迫的な言動で他人の仕事に介入する人も、やはりそれは不届き者である。そして、パワハラにおいても、被害を主張しにくい構造は存在する。例えばパワハラ被害を受けたのが男性だった場合、次のような反応があり得る。
「男のくせに気にし過ぎ」
「男同士、水に流せ」
「男なら仕事で見返してやれ」
「騒ぐ前にやるべきことをやれ」
セクハラ被害を受けた女性が、それを「恥」と感じてしまうことが多いのと同様に、男性もまた、パワハラを受けたこと自体を恥じてしまう気持ちがあるのではないだろうか。
ある東大教授は、こう述べる。
〈男を見ていると、かれらは女といるよりも、男同士でいることのほうがもっと好きで、気持ち良いのではないか、と思わされることがよくある。〉
〈男に対する最大の評価は、同性の男から、「おぬし、できるな」と称賛を浴びることではないだろうか。〉
〈男は、男の世界の覇権ゲームで、他の男たちから実力を認められ、評価され、賞賛されるのが好きだ。覇権ゲームのなかには、地位を争う権力ゲームと、富を争う致富ゲーム、名誉を争う威信ゲームなど、いろいろなものがある〉*9
うーむ、男性のパワーゲームもなかなか大変そうである。だが、この構造こそが、パワハラの主張をしづらくさせているような気がする。
「男らしさ」の被害を受けるのは、女性だけではない。
もうそろそろ、「男らしさ」「女らしさ」にこだわるのは、やめてもいいんじゃないだろうか。
人としての尊厳を傷つけられたときに、それに抵抗することは、男らしさとも女らしさとも関係がない。トップによるハラスメントが相次いで報道されているのは、その認識が浸透しつつあるからではないだろうか。
me tooと述べることの意味が、意義が、確実に広がっている。
*9 上野千鶴子『女ぎらい』朝日文庫(2018)27、28頁、あとがき
(毎月1回連載)
