【米国「フロードスター」列伝#9】パーク・アベニュー銀行を破綻させた「不正頭取」悪あがきの手口

キャリア転向とパーク・アベニュー銀行買収

2000年代に入ると、彼は、トルコ人が所有していた「パーク・アベニュー銀行」の買収プロジェクトに仲介役として関わった。最終的に、デイビッド・リヒテンシュタインという人物が所有することで話がまとまったが、経営者の名義書き換えに長期間かかることが判明したため、銀行を国の認可から州の認可に変更した。

その際、州の規制当局の担当役人は、新オーナーとなるリヒテンシュタインに銀行経営の経験がないことから、アントヌッチが頭取として経営することを認可の条件とした。その後もトルコ政府から同銀行の売却差し止め命令が下るなど、買収は難航するが、アントヌッチはこのディールをなんとか成立させる。

しかし、当時のパーク・アベニュー銀行は資本が不足しており、規制当局からの監視も厳しかった。

頭取就任早々から手を染めた「利益相反取引」

04年6月、頭取に就任したアントヌッチは、経営を軌道に乗せるためにさまざまな手を打つ。結果、初年度の資産規模を2500万ドル(約27億円)から1億100万ドル(約110億円)に急拡大させ、さらに3年間で約4億1000万ドル(約444億円)規模にまで成長させる。さらに2カ所の新たな支店も設けた。

しかし、就任早々からの快進撃の裏側でアントヌッチは、自身のプライベートカンパニー「イージー・ウェルス」なる会社を利用して、不正にパーク・アベニュー銀行から資金も得ていた。それは「自己取引」というべき利益相反行為だった。

ただ、彼は自己取引とならないよう、部下をたらし込んでイージー・ウェルス社の社長にすることを持ち掛ける。これは、その部下が社長就任後、真っ先にパーク・アベニュー銀行に与信枠を申請することを見越してのことだった。

そして、部下が思惑通り30万ドルの与信枠を申請すると、アントヌッチは個人的にそれを承認し、後に40万ドルへと引き上げた。その申請書類の作成を支援する際にも、部下の個人資産やイージー・ウェルス社の財務状況など、虚偽の情報を入れ込んだ。

その後、部下である社長が与信枠を引き下げた時、アントヌッチは、無利子で7万ドルを自らに融資するよう要求し、その後5万ドルしか返済しなかった。最終的に、イージー・ウェルス社はこの融資枠を不履行とし、パーク・アベニュー銀行に40万ドルの損失をもたらしたのだった。

アントヌッチ曰く、不正取引は金融業界では日常茶飯事であったそうだが、07年頃から、“ある人物”が同銀行と関わりを持ち始め、さらに不正が拡大する。

“黒い大口取引先”との腐敗した関係

その人物とは、ケンタッキー州の実業家、ウィルバー・アンソニー・ハフ(注:インタビューでは匿名だったが、実刑判決により実名が公表されている)という。アメリカで普及している人材アウトソーシング形態「習熟作業者派遣組織(PEO)」の経営者で、パーク・アベニュー銀行の大口顧客のひとりだった。

このハフは同行幹部に対し、賄賂というべき、さまざまな“袖の下”を贈り、パーク・アベニューの経営に大きな影響力を持っていた。アントヌッチは現金を受け取ったことは否定するものの、ハフの自家用ジェット機を使用したり、高級イベントに招待されたりするなど、金銭以外の賄賂を受けていたことは認めている。

「貧乏なニューヨーカーにとっては立派な生活環境だった。まるで宝くじに当たった貧乏人みたいなものだった」

虚飾に満ちたライフスタイルを享受することに夢中になっていた。

そして、幹部への接待攻勢の見返りとして、ハフはパーク・アベニュー銀行から多くの優遇措置を受けていた。例えば、少なくとも450万ドル(約5億3000万円)の融資を受け、当座貸越(オーバードラフト:銀行総合口座で残高を超えた出金を認める制度)で900万ドル(約10億円)を計上することまで許可されていたのだった。

実はこのハフ、04年にケンタッキー州で通信詐欺として有罪判決を受け、1年間の保護観察処分を受け、上場企業の役員や幹部を務めることを禁じられていた人物。後に、アントヌッチは「この男と関わりを持つべきではなかった」と後悔する。しかし、後悔先に立たず――。この関係は、やがてパーク・アベニューの資本操作や不正融資へと発展していくのである。