【米国「フロードスター」列伝#7】ヘッジファンドトレーダー“損失補填”で嵌まったポンジスキーム

ポンジスキームへの発展

自己資産が底をついたころ、新規投資家から50万ドル(約5800万円)を受け取る。またとないチャンスが到来したと、この資金をファンドの運営費や既存顧客への配当に充てるという、典型的なポンジスキームに移行する。

これは、本連載企画第3回「偽ファンドマネージャー妻の片棒を担いだ不正共犯“主夫”の決断」 にもあったように、いつかは破綻することが必至の不正行為である。ブランドリーノはそんな自転車操業を5年も続けるのだが、当初は新規顧客からの資金を損失の埋め合わせに充てていたのが、次第に自分の生活費やBMW、ロレックス、ピアノといった高級品の購入に充てるようになった。

それでも、ファンドの規模だけは大きくなっていった。ところが、規模拡大に伴って顧客からは監査報告書の提出を求められるようになる。そこでブランドリーノは実在しない監査法人をつくった。

さらに、インターネットで監査報告書のテンプレートを探し当て、虚偽の監査報告書を作成、顧客に対して自らのファンドの健全性を装った。しかし、ファンドの実態は悪化の一途を辿っており、ますます抜き差しならない深みへとはまっていくことになる。

08年12月当時、新興企業向け株式市場のナスダック(NASDAQ)で会長を務めたバーナード・マドフによる、被害総額650億ドル(約7兆円)の金融詐欺事件が世間を賑わせていた。

この史上最大級の巨額詐欺では、2万5000人近くの一般投資家やセレブ、著名投資家や金融機関等が被害を受けたのだが、「それに比べれば自分のファンドの不正など、大したことではない」とブランドリーノは自己正当化をする。しかし、そんな彼自身でもこの状況が永遠に続くことはないと薄々感じていた――。

ポンジスキームの破綻と自首

10年11月、感謝祭の翌日、自宅で朝日を見ながら、ブランドリーノは「もう終わりだ」と悟る。200万ドルで始めたファンドは、今やわずか2万5000ドルしか残っていなかった。彼は弁護士に相談するが、様子を見るよう助言される。しかし、精神的に追い詰められた彼は、翌11年1月4日、拳銃で自殺を図るも未遂に終わる。

その2日後、彼はついにFBI(米連邦捜査局)への自首を決意し、8年にわたる不正の日々にピリオドを打った。

逮捕後、60人以上の投資家から総額約380万ドルを騙し取っていたことが明らかになる。11年8月、郵便詐欺罪で有罪判決を受け、懲役107カ月(約9年)と386万5484ドルの賠償金に加え、取引で損失を被った管理口座保有者への追加賠償金12万8576ドルの支払いを命じられた。

反省と教訓

服役中、ブランドリーノは多くの法的文書や詐欺事件に関する書籍を読み込み、他のフロードスター(不正実行者)たちとの対話を重ねた。奇しくも、獄中で詐欺のメカニズムを学んだ彼は、出所後は投資詐欺防止の活動に従事するようになる。

その後、ブランドリーノは大学でフォレンジック調査を学び、その知識を自らの経験とともに活かし、人々を欺き信頼を悪用するフロードスターの手口を警告すべく、講演などを通した啓発活動に勤しんでいる。