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監査法人の現地調査を欺き、くぐり抜けた上場申請

(前編から続く) ZZZZベストの株式上場に戻る。当然ながら、上場には連邦証券法に則り、米証券取引委員会(SEC)への登録申請が必要で、それには監査法人、投資銀行、および外部の弁護士による会社の財務諸表の精査を経なければならない。

一方、上場以前から数々の不正にまみれていたZZZZベスト。にもかかわらず、どのようにしてバリー・ミンコウは審査の目をくぐり抜け、NASDAQ上場を果たしたのだろうか。

後年、ミンコウは「監査法人から3年分の監査を受け、法律事務所と協力しながら上場を果たしたため、投資家も疑いを持たなかった」と述べている。ただ、その監査自体が杜撰なものとしてのちに批判されるものであった。

まず、株式公開前である1986年4月までの12カ月分の監査を担当した会計士のジョージ・グリーンスパンは、さまざまな書類に基づいて検討し、ZZZZベストの主要な財務比率が業界平均と一致していることを確認したという。ただ当時は、現地調査は必須ではなく、グリーンスパンが直接店舗や損害修復現場を訪問することはなかった。

もし現地調査が行われていれば、多くの店舗は実体がないもので、その住所はロサンゼルスのサンフェルナンド・バレーにある“郵便受け”に過ぎなかったことがもっと早く発覚し、IPO(新規上場)はおろか、ミンコウの逮捕はもっと早まったことであろう。

ミンコウはこの12カ月分の監査が終わるとグリーンスパンを即刻解雇し、86年9月には四大監査法人Big4のひとつ、アーンスト&ウィニー(アーンスト&ヤング=EYの前身)に次年度の監査を依頼した。本来は、新しい監査人がこれまでの監査人に連絡をとることが慣例とされるが、グリーンスパンによると、アーンスト&ウィニーから彼に連絡はなかったという。

アーンスト&ウィニーは、3カ月分のZZZZベストの財務諸表のレビュー、SECに提出する書類作成の支援、コンフォート・レター(監査人がIPOを目指す企業の財務情報を調査し報告する書簡)の作成、そして、87年4月までの会計年度の監査を行うことになっていた。

この監査プロセスにおいて、ミンコウは現場調査を回避しようと試みた。しかし、アーンスト&ウィニーが何度も現場確認を強く要請したため、86年の秋、サクラメントの修復現場の訪問が決定した。そこでミンコウは、まず仲間2人にサクラメントの建設中あるいは改修中の工事現場を探させ、ダミーの店舗現場をつくり上げることにした。

ミンコウの仲間は不動産管理会社の代理店を装い、大口の入居希望者が施設見学を希望していると偽って、建設現場の監督者を説得し建物のカギを借りた。そして、アーンスト&ウィニーの担当者と弁護士が到着する前に、仲間は建物の中に入り、ZZZZベストが改修工事の請負業者であることを示す看板を出した。

さらには不審がられないよう警備員に袖の下を渡し、ニセの修復現場をでっち上げた。このように入念に用意された偽装現場を訪れた監査担当者は、実際のものとすっかり信じ込んでしまったのだった。

このような大がかりな現場の偽装にミンコウは数百万ドルもかけたが、それだけではない。彼は、アーンスト&ウィニーとZZZZベスト間の秘密保持契約書を締結することを強く求めたのだが、それが功を奏した面もあったという。

というのも、その契約書には「請負業者、保険会社、建物所有者、または修復契約に関係するその他の個人に、事後確認の電話連絡は行わない」という条項が入っていたのだ。周到に準備された偽装工作で監査法人の目をかいくぐり、ZZZZベストはまんまとNASDAQ上場を果たしたのだった。