【米国「フロードスター」列伝#7】ヘッジファンドトレーダー“損失補填”で嵌まったポンジスキーム

金融業界への道

ジェームス・ブランドリーノは、中西部、アメリカ第3の都市シカゴを擁するイリノイ州ジョリエットで生まれ育った。少年時代から金融取引に強い興味を持ち、83年公開のエディ・マーフィー主演映画『大逆転』を見て、ニューヨークのオレンジジュース先物取引の駆け引きやトレーディングフロアの喧騒に憧れを抱き、金融業界こそが自分が目指すべき場所だと思うようになった。

高校時代にはすでに先物取引や商品取引について学び、高校卒業後、自宅の衛星放送を使ってリアルタイムの取引を始めるが、損失を出したことで転進、大学進学を決意する。88年に、名門イリノイ大学シカゴ校に進学したブランドリーノは、在学中、シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)の穀物取引フロアで働き、その後、外国為替ブローカーとして活動を始めた。

金融キャリアとトレードへの情熱

大学卒業後の91年、ブランドリーノは、米国大手証券会社チャールズ・シュワブに入社し、ボンド(債権)オプションのトレーディングアシスタントとして経験を積む。その後、米金融大手のMFグローバル(2011年経営破綻)でオペレーションマネージャーを務め、金融市場の最前線で戦う日々を送った。

電子商取引が普及する以前のトレーニングフロアは、大声で注文を出す、活気ある立会場であった。しかし、過酷な環境により喉を痛め、ブランドリーノはトレーディングフロアを離れることを余儀なくされた。

デスクトレーダーに転向後、国債先物のトレーディングモデルを構築し、多額の顧客資金を運用。この成功に自信を深め、ついに、ブランドリーノは自身のヘッジファンド設立を決意する。自らの取引スキルを最大限に活かし、2%の管理手数料と20%の成功報酬を得ることで、さらなる利益を追求しようとしたのだった。