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横浜“ハラスメント”市長選から考える〜「昔は良かった」と言うのは、いつだって強者【野村彩弁護士の「ハラスメント」対策講座#22】

さる2026年10月18日、パワハラ問題で前の市長が辞職したことに伴う横浜市長選挙が行われた。結果、前パワハラ市長は落選。弁護士の原澤敦美氏が初当選した。

原澤市長は、当選の翌々日には、市長等および職員を対象とする「ハラスメントをなくすための条例をつくる」との方針を掲げ、その後、横浜市は条例の骨子案を作成、26日から意見募集が開始されている*1。

*1 https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/saiyo-jinji/jinji/ikenboshu.html
なお、議員によるハラスメントについては、これとは別に、市会が議員を対象とする条例づくりを進めている。

自治体トップによるハラスメントが続出。これが意味するものとは

時は遡って1月7日。前福井県知事によるセクハラの調査報告書が公表された。これには、同人による20年近くにわたる、複数人に対しての1000通のセクハラメールが別紙として付されている*2。この内容がまた……。

「レオタードを着て、おっきく足を上げて、ボンボンを持って元気に躍り回ることだと思うよ😍✨(目がハートの顔文字と星マークの絵文字)」「じゃぁぼくと〇〇ちゃんも濃厚接触者で APA に入る?ゆっくりとお話ができるよ💕(ハート2つの絵文字)」

*2 https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/jinji/houkokusyo_d/fil/houkokusyo.pdf

うわぁあああ……。令和の今でも、こんなの送っちゃう人が存在するんだぁ……。

上記の事案はほんの氷山の一角で、第13回でも述べたとおり、年末が見えてきたこの季節になっても、自治体のトップによるパワハラ・セクハラの報道が後を絶たない。

他方で、民間のトップによるハラスメントは、これ以前から問題になっていたように思う。今や取締役クラスの経営陣自身がハラスメントをした場合、辞任していただくのがセオリー、とすら言えるだろう。

例えば某老舗和菓子屋の元社長が、車で衝突事故となった際に相手を「どっからでてきたんだ、この野郎!」などと恫喝し、その際のドライブレコーダーでの音声等が拡散されたという事案がある。

このように直接業務とは関係ない事態でも行動であっても、企業トップとしては辞任に至っている*3。このほか、ドラッグストアを手がける企業の社長が、プライベートにおける不倫関係を理由に辞任した事案*4もあり、枚挙に暇がない。

*3 https://mainichi.jp/articles/20220928/k00/00m/020/307000c
*4 https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00630/041800009/

そしていま、この風潮が、パブリックな場所、つまり自治体にも及んでいるということだ。もはやハラスメントに「聖域」はないのである。

それにしても不思議なものである。これほどハラスメントが問題視され、経営者も自治体の長を含む政治家も、その地位を失う時代になったというのに、なぜ同じような事件が繰り返されるのだろうか。そして、その一方で「最近はパワハラ、パワハラとうるさい」「昔は良かった」などの声も、相変わらず聞こえてくる。このふたつの現象は、実は無関係ではないのかもしれない。

市長自らによるハラスメント現場(2020年竣工の横浜市庁舎)

権力を持てばパワハラしちゃう、にんげんだもの

ハラスメントがなくならないのは何故か……。まあ、たぶん、ハラスメントは人間の本能なのだ。セクハラは性欲の発露ということで言わずもがなだし、パワハラもまた、「権力を持ったら使いたい」という欲望の表れなのだろう。

権力を持つ。自分の言うことをみんなが聞く。多少無茶なことを言っても、誰も逆らわない。

部下を怒鳴りつけても反論されない。イタい冗談を言っても、笑ってくれる。自分の考え方が、そのまま職場の常識になる。

だが、部下が笑ったのは、別に冗談が面白かったからではない。誰も逆らわなかったのは、みんなが納得していたからでもない。

ここで権力の行使については、著名な実験がある。いわゆる「スタンフォード監獄実験」だ。

米スタンフォード大学の心理学者、フィリップ・ジンバルドー教授による『ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき』*5では、実験で看守役となった善良な大学生たちが、囚人役のメンバーに対して日々残酷になっていく様子がリアルに描かれている。

実験は当初2週間の予定だったが、予想を超える異常事態を前に、わずか6日間で中止された。ジンバルドーは、状況の力とシステムの圧力があれば、人間は誰しもが虐待と拷問を行うおそれがあると言う。思うにパワハラとは、要は米政治哲学者のハンナ・アーレントが言うところの「陳腐な悪」なのである*6。

*5 フィリップ・ジンバルドー『ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき』海と月社(2015年)。スタンフォード監獄実験には、その後、実験方法に対する批判もある。だが、立場が変わることによって、人間の振る舞いが変わり得るという問題は、考えてみる価値がある。なお、この本をオンラインでポチると、「鈍器かな?」というサイズの本が届いてびっくりする。
*6 ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』みすず書房(2017年)

「昔は良かった」と言うのは、いつだって多数派

つまり、パワハラをする人や容認する人というのは、「本能のままに生きたいです!」と言っているだけ、ということだ。

よく「最近はパワハラパワハラとうるさくて、必要な指導もできない」「怒鳴られてしごかれて、そうやって成長するものだ」「これでは人が育たない」などという言説を聞く。「昔は良かった」というやつだ。

だが、それを言うのはいつだって、その「昔」に多数派だった人たちだ。あるいは、かつて力を持っていたい人たち。

力があるから、多数派だから、自分たちの意見が簡単に通っていた、それだけに過ぎない。

そりゃ、その状況は気持ち良いに違いない。マジョリティだから、本能のままに従った行動も許される。性欲のままにキモいメールを送ることもできるし、権力を笠に着て部下を怒鳴りつけることもできる。

ところが、その多数派の考え方がだんだん少数派になって、居心地が悪くなってきた。だから「パワハラなんて……」とかブツブツ言うのである。昔は自分の価値観で好きなようにやって、文句を言われることはなかった。今は被害者が声を上げるようになった。うるさい。もっと好きなようにやりたいのに。本能のままに好きなだけ人を傷つけて、許されたいのに――というわけだ。

少数派の最後の砦、裁判所

人類の、特に近代以降の歴史は“弱者の歴史”と言える。

技術の発展は、往々にして弱者に恩恵をもたらす。病気の治療法の発見は、かつて「病人」と分類され陰に押し込められていた人たちを救済する。オンライン会議を可能とするテクノロジーは、毎日出社することが困難な人たちに就業の機会を与える。出社至上主義の人は、通勤時間ぶんのわずか30分でも時間が節約することで、幼子を抱えた人たちがどれだけ救われるかなんて、想像すらしない。*7

*7 もちろん出社のメリットを否定する趣旨ではない。当職個人としては「やっぱリアルで一緒に仕事しないと逆に効率悪かったりするよね」。あと、「雑談大事!」と思っている。

法や裁判の歴史もまた、弱者の歴史と重なる。

人間社会は放っておいたら強者だけに都合が良い世界になる。近代はまず、「法」という仕組みをつくり、いかなる権力者であっても法というルールの規制のもとに縛られることにした。ただ、その「法」は民主主義、つまり多数決で決められるため、どうしても多数派に有利となる。

そこで、少数派の最後の砦とされるのが裁判所だ。「その法は、憲法違反なのでは?」と裁判所が言えば、法そのものが少数派のために変更されることがある。

私たちはそうやって、自然科学と人文科学の両面から、少しずつ少しずつ、弱者が生きる余地を増やす努力をしてきた。

「ハラスメントハラスメントって、窮屈な時代になったよね」とは、その人にとって「窮屈」なだけ。その人が言う「良かった」時代に「窮屈」だった人がいたことなんて、考えてもみないのだ、きっと。

冒頭の横浜市の話に戻ろう。市が現在検討しているハラスメント防止条例は、市長自身も対象としている。こういった定めは増えてきている。これまでは、市長の言動について部下が異議を唱えること自体、容易ではなかったはずだ。だからこそ、トップに対するチェックの仕組みを、制度として設ける意味がある。

しかし、考えてみれば奇妙な話である。組織のトップが、その地位を利用して好き勝手に振る舞ってはいけない。そんな当たり前のことを、わざわざ条例にしなければならないとは。

「昔は良かった」と思う人たちにとっては、ますます窮屈な時代になるのかもしれない。弱気な私たちは時々、そんな“元・多数派”の意見に流されそうになる。だけど、誰かさんが窮屈になった分だけ、他の誰かにとっては働きやすい時代になっている――。そんな、法の制定の当たり前の側面を、忘れないようにしたい。

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2026年07月14日

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