「レインボーブリッジ封鎖できません!」
一刻も早く街を封鎖し犯人の逃亡経路を防がなければならないのに、
「国土交通省です」
「この橋はうちの管轄」
「この下のゆりかもめは鉄道局」
「東京都港湾局です。止めるんなら、うちと交通局を通してください」
「あと都市整備局と……」
と、権限がひと所にまとまっていないが故にレインボーブリッジを封鎖することができない。叫ぶ青島刑事。私たちは手に汗を握ることしかできない。(「踊る大捜査線なついわ〜」と思ったみなさま、歳がバレます!)
わが国の官庁等のセクショナリズムはこのように娯楽作品でもネタになるくらいだが、これは民間企業でも同様である。
部署の閉鎖性、部門間の対立、連携されない情報。
このような閉ざされた空間が組織にあるとき、その中でハラスメントの被害は誰にも知られないまま深刻化し、またあらゆる不正は、社内で共有されることのない「地下室の死体」*1として積み上がっていく。
なぜ私たちは、組織をタコツボ化させてしまうのだろうか。
*1 日本経済新聞「「地下室の死体」はなぜ後を絶たないのか」(2016年8月30日)
組織のタコツボ化は不正の発覚を遅らせ、イノベーションを阻む
三菱電機は品質不正の発覚から5年が経ったいま、「100年のサイロ」を打破すると述べた。日経新聞の記事では「過去の三菱電機の「組織のサイロ化」(組織の縦割りや閉鎖性)は深刻だった。各製作所や部門を超えて情報共有が乏しく、部門を超える人事異動も限られた。閉鎖的な組織風土、本社と現場の断絶が固定化していた。」とされている*2。
確かに当時の調査報告書を見ると、製作所や工場の閉鎖性とそれによるコーポレートおよび現場の断絶、事業本部の壁の厚さによる水平転換の難しさなどが指摘されていた*3。「本社あるいは他の拠点で起きている出来事は対岸の火事と受け止めるにとどまっていた」という記述もある*4。
*2 日本経済新聞「三菱電機、縦割り組織「100年のサイロ」を打破」(2026年8月6日)
*3 調査委員会「当社における品質不適切行為に関する調査結果について(第1報)」2021年10月1日 262頁
*4 調査委員会「当社における品質不適切行為に関する調査結果について(第3報)」2022年5月25日 237頁
組織の閉鎖性は、不正を深刻化させるだけではない。イノベーションも阻むことがある。
英フィナンシャル・タイムズ紙のジャーナリストであるジリアン・テットは、その著書『サイロ・エフェクト』において、かつてのソニーの“タコツボ”状態を生々しく描き出す。

ソニーが発表した“2つ”のウォークマン次世代商品
1999年のラスベガスで開催されたソニーの華々しい新製品発表会において、ウォークマンの次世代商品として発表されたのは、「2つの部門がそれぞれ開発した2つの商品」だった。これらは同じ機能のミュージックプレイヤーで、互いに競合する可能性があった。同書によると、こんなことが起きてしまったのは、社内が完全に分裂状態であったためであるという。
「ソニーは部族主義に陥っていた」。従業員たちは「コンピュータを開発する部門が音楽を扱う部門と別であることは当然だと思い込んでいた」。そして2005年にCEO(最高経営責任者)となるハワード・ストリンガーは「ソニーはなぜおかしくなったかって? 元凶はサイロさ」と振り返る*5。
*5 ジリアン・テット『サイロ・エフェクト 高度専門家社会の罠』文春文庫(2019年)91頁以降
タコツボ化は常に悪なのか
では、組織のタコツボ化は常に悪なのだろうか?
そもそも組織が大きくなればなるほど、その中を分割してユニットごとに運営しなければならないのは当然だ。大きいままにまとめることは至難の業である。「人とのつながりが持てるのは150人まで」というダンバー数は有名だが、150人だって、そのままでは会社は回らない。さらに少人数に分ける必要がある。
第17回でご紹介した人類学者の中根千枝先生も、わが国では「個人が緊張を感じずにコミュニケーションを密にとれる5〜7人程度のグループ」としての「小集団が生きるベースとなっている」*6と仰っているではないか。
*6 中根千枝『タテ社会と現代日本』講談社現代新書(2019年)28頁、35頁
もともと「セクショナリズム」という言葉は「権限や管轄をめぐる省庁間の対立・競争」*7として、行政学などの分野で語られてきた。そして行政学においては「官僚制」の必要性が論じられる。
*7 今村都南雄『官庁セクショナリズム』東京大学出版会(2006年)
社会が高度に文明化すると、個人では対応できない複雑な問題が溢れ出す。複数の人で対応しようにも、バラバラに動くのは効率的ではない。彼らをまとめる方法が必要だ。その方法としてドイツの社会学者、マックス・ウェーバーは、感情や私情を排除して専門家が定められたルール通りに処理する組織形態としての官僚制こそが最強であると主張した。
そして「非常に大きな現代の資本主義的な企業は、それ自体が普通は、厳格な官僚制的組織の比類なきモデルとなっている。」と述べる*8。
要は、現代において組織の分割それ自体を、避けることなんてできないのだ。
*8 マックス・ウェーバー『支配についてⅠ 官僚制・家産制・封建制』岩波文庫(2023年)123頁
じゃあ、どうしろというのか?
が、官僚制や分業がいくら有益だからといって、これらの弊害が深刻化していることも事実だ(話が戻ってしまった)。
そんなことは行政学やら何やらの学者たちだって分かっていて、だからこそアメリカの政治学者、アンソニー・ダウンズは行政機関の「縄張り」をめぐる争いとしてのセクショナリズムを“提唱”したのである*9。
*9 真渕勝『行政学 新版』有斐閣(2009年)41頁
縄張り争いとしての予算や権限の奪い合い……ビジネス界においてはまさにカンパニー制の中で起きている事象である。カンパニー制は素晴らしい。各カンパニーが独立してそれぞれの責任が明確で、売上や利益の達成に非常に効果的だ。だがこの独立性こそが閉鎖性を産み、タコツボ化して、情報が共有されず、不正は埋もれ、イノベーションの芽は育つことができない。
先の三菱電機の調査報告書でも、まさに「事業本部制の功罪」が分析対象となっていた。
この通り、分業に課題があることは間違いないのだが、これに対するスッキリ明快な解決方法はいまだ存在せず(たぶん)、いろいろな組織がいろいろな方法で模索している段階だ。
フェイスブックと三菱電機の仮説と実験
例えば前述の『サイロ・エフェクト』では「フェイスブックがソニーにならなかった理由」と題した章がある。そこでは「社内でサイロができるのを防ぐための実験を意識的に採り入れ、フェイスブックがソニーのような大企業と同じ病理を抱えないように努めてきた。」として、配属のローテーションを含む「ブートキャンプ」や、強制的にチームのエンジニアを入れ替える「ハッカー期間」などの独自の施策が紹介されている。
もちろん、このようなやり方がうまくハマる企業ばかりではない。先の三菱電機は「1人の役員が複数の事業本部を受け持つ」制度を採用した。これもまた一つの解決策だ。結局、それぞれがトライアンドエラーを繰り返していくしかないのだろう。
「レインボーブリッジを封鎖せよ!」から13年、映画「シン・ゴジラ」では、縦割りを排した「霞が関のはぐれもの、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児」の集まりである「巨災対」が策定した作戦をもとに、省庁も官民も国境も超えて奮闘する人々の姿が描かれる。
これを「対・セクショナリズムへの希望」ととるか、それとも「ゴジラ襲来くらいのことがないと壁は壊れないんだねー」ととるか。それはいま、タコツボの中で足掻いている我々次第である。
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