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【八田進二の「監査とガバナンスの未来」#11】会計国際化の幕開けと、商法改正・企業会計原則改訂「昭和49年の大改革」《昭和40年代後半》

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【八田進二の「監査とガバナンスの未来」#10】進む会計制度の精緻化と連結決算、証券取引法の改正《昭和40年代》

2026年08月26日

八田 進二

IASC発足と幕を開けた会計の国際対応

昭和40年代になってわが国でも連結財務諸表という考え方が浸透し始めたことは前回(#10)触れたが、粉飾決算の防止と合わせてその流れを牽引したのが、会計基準の国際対応という問題だった。1973年(昭和48年)には英ロンドンで先進9カ国の会計士業界団体が集まり、今後発展が見込まれる国際企業に対する会計基準の統一化に向けて、当初は、「会計基準の国際的調和化」を旗印に国際会計基準委員会(IASC、International Accounting Standards Committee)が設立された。

日本は発足当初から米国、英国、カナダなどとともに、この会計先進9カ国の一員として資金を拠出し、国際対応に向けた動きを開始した。日本からのメンバーは唯一の職能団体、日本公認会計士協会である。

当然ながら、日本の代表がIASCの定例理事会等に出席するわけだが、当時でも「ビッグ・エイト」と呼ばれた国際的な大手会計事務所に籍を置く日本人会計士は存在するには存在していたものの、国際的な会計基準を設定するための知見を持ち、かつ国際会議で渡り合える人材となると、心許なかった。

そのため、会計士協会の依頼を受ける形で“国際派”の会計学者も会議に参加することとなった。年代順に言うと、その最年長者が国際基督教大学名誉教授の中島省吾氏で、第5代日本会計研究学会会長、第2代国際会計研究学会会長等を歴任した。

ほかにはIASC設立会議に派遣された実務家の辰巳正三氏(元デロイト・ハスキンス会計事務所長)や、一橋大学出身で長く専修大学で教鞭をとった川口順一氏。なお、アーサー・アンダーセン会計事務所シカゴ本社での監査経験がある川口氏は、IASC初代日本代表を務めている。さらには、早稲田大学教授の藤田幸男氏らがいる。個人的なつながりで言うと、私の早稲田大学大大学院修士課程の指導教授だった日下部與市先生が2年時に急逝された際、その後任の指導教授を引き受けていただいたのが藤田先生であり、染谷恭次郎教授門下で国際会計を専門としていた。

その後、IASCは2001年に国際会計基準審議会(IASB、International Accounting Standards Board)へと装いを一新。単なる内輪の集まりを意味する「コミッティ(Committee)」から、規範性のある基準を策定する公的な「ボード(Board)」に名称変更したことが示すとおり、より強制力のある国際会計基準を設定する団体になっていく。

1973年、IASCが設立された英国ロンドン(後継のIASBも同地を拠点とする)

昭和49年の商法改正、商法特例法制定、そして企業会計原則の修正

山陽特殊製鋼事件に端を発した“3点セット”の大改革

昭和40年代の後半は日本で会計の国際化が幕を開けた時期と言えるが、この時期にはわが国の会計監査制度においても大きな変化があった。1974年(昭和49年)の商法改正と商法特例法(株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律)の制定、そして同年には、その動きと足並みをそろえて企業会計原則が修正されたのである。

この“3点セット”での改革・改正は実に画期的なものであった。

実際、1965年(昭和40年)に倒産した山陽特殊製鋼の粉飾決算事件をきっかけに、「粉飾決算をどのように防ぐべきか」という問題意識に基づいた大改革と言われている(山陽特殊製鋼は73年に会社更生)。昭和30~40年代にかけては上場会社の不正会計が相次ぎ、公認会計士の処分が行われたものの、その後も不正が止むことはなく、巨額の粉飾決算という形でたびたび問題化したのは、これまでも指摘したとおりである。

そして、1950年(昭和25年)の監査基準等の公表から数えて、また、証券取引法監査制度スタートから四半世紀を経た段階で、会計監査制度を上場会社以外の一定規模以上の会社にも導入すべきではないかという議論の高まりもあり、すべての会社を規制する商法において3つの改正作業が行われることになった。

《昭和49年改正商法の焦点①》監査役の権限強化

そのひとつが、監査役の権限強化である。これは、もともと商法本法の中にある、株式会社の機関である監査役が十分に機能していない状況を受けてのものだった。

以前(#9)触れたように、1950年(昭和25年)の商法改正で、戦前の制度を大きく変更して監査役の権限を会計監査だけに限定したうえ、企業規模の大小、常勤・非常勤を問わず、監査役は最低1名でもいればいいことになった。こうして実効性を欠いた監査役制度については廃止論まで出たが、ここにきて、今回の商法改正で監査役の権限を改めて強化することにしたのである。

実際には、本法の条文で274条第1項「監査役は取締役の職務の執行を監査する」という規定が設けられた。株主から選ばれた取締役の職務が会社の業務すべてにわたる以上、それまでの会計のみならず、監査役は経営活動全般を監視することになった。当時、商法学者は会計監査以外のことを「業務監査」と呼んでおり、それに従えば、監査役に会計監査と業務監査の両方を担わせる仕組みが出来たのである。

《昭和49年改正商法の焦点②》総則に新「公正なる会計慣行」の文言

もうひとつは、商法の総則に第32条2項の条文、すなわち「商業帳簿の作成に関する規定の解釈については公正なる会計慣行を斟酌すべし」という会計に関する包括的な規定が新たに設けられたことである。

ところが、この「公正なる会計慣行」とは何かという議論が学界で巻き起こる。そして会計学の世界で大勢を占めた結論が、「公正なる会計慣行」とは「企業会計原則を中核とした考え方である」というものだった。完全にイコールとまでは言えないものの、企業会計原則を尊重しているという理解である。商法学者の中にはそうした解釈を受け入れない向きもあったが、その後、この「公正なる会計慣行」という言葉が、2005年に商法の会社関連規定部分が会社法に移行するまで、30年間にわたって使われるようになる。

そして会社法制定の際に、当該部分は「一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行」(第431条)という表現へと変わり、さらに会社法の委任省令である会社計算規則では「一般に公正妥当と認められる企業会計の基準」(第3条)という言葉が使われることとなる。

《昭和49年改正商法の焦点③》商法特例法制定と会計監査人による監査の義務化

商法改正と同時に制定された商法特例法は、株式会社の規模に応じた規制等に関する商法の特別法で「監査特例法」とも通称されたものである。そして同法の規定により、新たに「会計監査人」による監査が段階的に導入されることとなった。監査役機能の充実とともに、非上場会社の会計情報についても外部の目を入れることで信頼性を担保しようという目的であった。

当初、商法特例法では、資本金5億円以上の株式会社については、会計監査人による監査が義務付けられた。しかし、附則により資本金5億円以上の証券取引法適用会社、または非上場でも資本金10億円以上の会社だけが対象で、5億~10億円未満の会社については施行が先延ばしされた。なお、1981年(昭和56年)の商法改正で、最終的に、資本金5億円以上または負債総額200億円以上の会社を大会社と規定し、この大会社に対してのみ会計監査人の監査が義務付けられることとなり、今日に至っている。

ところで、こうして新設された会計監査人監査だが、会計監査人の選任に関しては、監査役の過半数の同意を得て取締役会によって選任され、株主総会で報告しなければならないと定められた(第3条、昭和56年改正で取締役会から株主総会へと変更)。そして、会計監査人の資格は「公認会計士(外国公認会計士を含む。)又は監査法人でなければならない」(第4条)と規定されることとなった。このことから、証券取引法監査(現在の金融商品取引法監査)と、商法特例法の会計監査人監査を担う主体は、いずれも、同様に、公認会計士または監査法人とされたのである。

「重要性の原則」を取り入れた昭和49年企業会計原則の改訂

陳腐・老朽化していた企業会計原則

1974年(昭和49年)の“3点セット”の大改革のひとつ、企業会計原則については、69年(同44年)にすでに修正案が出されていたものの、実際には昭和49年商法改正と年を同じくして正式に改訂がなされることとなった。

この企業会計原則は、その後、昭和50年代を通じて引き継がれていくのだが、今回の修正で特筆すべきは、一般原則、損益計算書原則、貸借対照表原則の3つから成る企業会計原則を補足する「企業会計原則注解」の「注1」において、「重要性の原則の適用について」なる項目が新設されたことだと言えよう。

昭和40年代の見直し議論の背景には、終戦後の49年(昭和24年)に米国を範に移植して制定した企業会計原則が陳腐・老朽化していたことがあった。特に7つの原則で構成される一般原則については、ほとんど内容・体系ともに変更されないまま、漫然と継承されてきていることも問題視された。

周知のとおり、7つの原則とは①真実性の原則、②正規の簿記の原則、③資本取引・損益取引区分の原則、④明瞭性の原則、⑤継続性の原則、⑥保守主義の原則、⑦単一性の原則である。

「企業会計は、企業の財政状態及び経営成績に関して、真実な報告を提供するものでなければならない。」と規定する①真実性の原則こそ、企業会計の中心的命題を包含しているのであり、そのほかの原則は自明のこと、あるいは屋上屋を架すような内容と言える。

とりわけ⑥保守主義の原則は、すでに本シリーズ(#4)でも触れたとおり、期間利益を平準化して中小企業の経営を税制面から保護するためのもので、原則というよりは極めて政策配慮的な思考を反映した条項なのである。

会計界で関心が高まった「重要性の原則」

これに対して会計実務の世界では、会計情報を利用する者の意思決定に重大な影響を及ぼすような事実については詳細に開示すべきであり、逆に、それほど重要でないものは概括的でいいという「重要性(マテリアリティ)の原則」が声高に言われるようになってきた。特に1970年代前後に注目された論点であり、私自身も、修士論文のテーマとして、「重要性概念の総括的再検討」と題して、会計および監査における重要性概念について研究したのである。

その結果、新たに、重要性の原則を一般原則に位置付けるべきとする議論があったものの、最終的には以下の記載が、企業会計原則注解の筆頭である「注1」として入れられることとなった。

「企業会計は、定められた会計処理の方法に従って正確な計算を行なうべきものであるが、企業会計が目的とするところは、企業の財務内容を明らかにし、企業の状況に関する利害関係者の判断を誤らせないようにすることにあるから、重要性の乏しいものについては、本来の厳密な会計処理によらないで、他の簡便な方法によることも、正規の簿記の原則に従った処理として認められる。」

重要性の原則はその後も非常に重要な意味を持つことになるが、上記の内容からも分かるとおり、その眼目は「重要性の乏しいものについては適宜割愛してもいい」という点にある。ここでいう重要性とは、その会社の会計情報の受け手、今日的に言うなら、株主を筆頭にしたステークホルダーの意思決定にどれほど関わっているかによって決定される。簡単に言えば、数千億円規模の売上高がある会社において、仮に財務諸表上で1億円の齟齬があったとしても、金額的な重要性は低いと考え得るというわけである。

ただし、学術的な視点からみた場合の「重要性」とは、単に、金額的ないしは数量的多寡を基準とした重要性だけでなく、質的ないしは相対的な危険性の視点からみた重要性も併せて考慮に入れなければならない。この点、今般の企業会計原則注解で取り上げられている「重要性の原則」は、あくまでも、前者の視点のみに限られているのである。

それに対して、財務情報の信頼性を保証すべき監査上の視点からは、後者の視点も同様に極めて重要だといえる。とりわけ、その後も止むことのない会計不正の事案を見るとき、そこには、財務情報の信頼性を阻害する危険のある項目(いわゆる、質的なリスク項目)があり、それらに対しての十分な監査が履行されていなかったことで、監査の失敗が指摘されることがあるからである。

いずれにしても、当時、企業会計原則注解に「重要性の原則の適用について」が盛り込まれたことは、実に会計実務の実態に合致したものだったと言える。しかし、その後、上場会社で粉飾決算が表面化するなどした際に、その核心部分である「重要性」について、会計監査の世界と、投資家を含む一般社会との捉え方に大きな隔たりがあることが次第に明らかとなっていくが、それはのちの話である。

このように山陽特殊製鋼事件を契機としたとされる商法および企業会計原則の大改革は、1974年(昭和49年)を頂点に達成されたかに見えたが、奇しくもその同じ年、東証一部(当時)上場企業で大型の粉飾事件が発生する。日本熱学工業事件である。

(#12につづく)

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