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組織の日焼けを防ぐ:宮古島のトウモロコシ畑に見た「法務」のフロンティア【遠藤元一弁護士の「ガバナンス&ロー」#44】

組織は、強い光に晒されると硬くなるが、逆に、外との風通しを失えば、内側から傷んでいく。ガバナンスとは、組織を光から守ることでも、光をすべて浴びせることでもない。光と風と時間を、組織が成長できるように調整することである。

宮古島のトウモロコシと「制度的フィルター」

休暇に宮古島を訪れた際、畑一面のトウモロコシに白い紙がそっとかぶせられている不思議な光景が目に入った。宮古島といえばサトウキビの印象が強いが、亜熱帯の気候はトウモロコシの生育にも適しており、飼料用トウモロコシの栽培も行われている。強い日差しの下で、農家は一つひとつの実に紙をかぶせていた。

一見すると、太陽の光から実を隠しているようにも見える。だが、目的は光をなくすことではない。必要な光を受けながら、強すぎる刺激から実を守る。いわば、光を遮断するのではなく、光の量を調整するための工夫である。

ここが面白い。光は、あればあるほどよいわけではない。少なすぎれば育たない。しかし、強すぎれば傷む。大切なのは、成長に必要な光が届き、過剰な刺激だけが和らげられる環境をつくることである。

組織も、少し似ている。現代の企業には、かつてないほど多くの“光”が当たっている。SNSによる瞬時の評価。株主や投資家からの短期的な圧力。メディアによる監視。ESG(環境・社会・ガバナンス)やサステナビリティをめぐる情報開示。社内外からの通報や内部告発。ステークホルダーとの対話……。

透明性は、もちろん重要である。しかし、透明性を高めることと、あらゆる情報を、あらゆる時点で、あらゆる相手に公開することとは同じではないことを認識しておくこともそれと同様に、重要である。

取締役会でまだ結論の出ていない議論まで、その都度、外部から評価されるとしたらどうだろう。新規事業のアイデアを、まだ青写真の段階で外部に晒したり、仮にそれなりに具体化したレベルになっても、失敗するわずかな可能性を含め、逐一情報を外部に晒すとしたら。

経営者以下、役職員は、次第に「正しい判断」よりも「批判されない判断」を選ぶようになるかもしれない。そうなると、組織は表面から硬くなっていく。保身。萎縮。短期志向。中身が熟す前に、表面だけが固まってしまう。これを筆者は、「組織の日焼け」と呼びたい。

だからこそ、法務の仕事には「遮光紙」に似たところがある。

取締役会の審議を非公開とすること。インサイダー情報を適切に管理すること。決算発表前のサイレント期間を設けること。社内で率直な意見交換ができるよう情報の取り扱いを設計すること。これらは、外から見れば「情報を隠している」と映ることもあるかも知れない。

しかし、本当に大切なのは、情報を隠すことではなく、情報が、誰に、いつ、どの濃度で届くべきかについての仕組みを適正に設計・構築し、的確に運用することである。遮光紙は、光をゼロにするためのものではないし、同じように、ガバナンスも透明性をゼロにするためのものではない。法務が設計すべきなのは、組織が熟すために必要な光を残しながら、組織を焼いてしまう光を調整する「制度的フィルター」なのである。

ただし、遮光紙を厚くしすぎてもいけないことに留意する必要がある。外部からの正当な監視まで遮ってしまえば、今度は組織が内側から傷んでいく。だから、法務に求められるのは「隠す技術」ではなく、どこまで遮り、どこから光を入れるかという匙加減である。

宮古島

ウイスキーの「天使の分け前」と、失敗する余白

宮古島のトウモロコシ畑から、話はいきなりウイスキーにとぶ。

ウイスキーは樽の中で長い時間をかけて熟成する。その過程で、原酒の一部は少しずつ蒸発していく。蒸留所では、この現象を「天使の分け前(Angel’s Share)」と呼ぶ。毎年少しずつ酒が減っていく。歩留まりだけを考えれば、なんとも困った現象である。

しかし、蒸留所は、その「無駄」を完全になくそうとはしない。ウイスキーの熟成には、樽と原酒、そして時間のあいだに生まれる微妙な変化が必要だからだ。すべてを失わないように密閉することが、必ずしも最良の結果を生むわけではない。

組織も同じではないだろうか。企業経営では、「不祥事ゼロ」「事故ゼロ」「失敗ゼロ」「コンプライアンス100%」という言葉が、とても魅力的に響く。もちろん、不正や法令違反を許容してよいという話ではない。しかし、ここにはひとつ注意すべき落とし穴がある。

法令違反をゼロにすることと、経営上の不確実性をゼロにすることは違う。新しい事業には失敗がある。投資には損失がある。新しい組織運営には試行錯誤がある。未知の市場に挑戦すれば、想定外も起こる……。それらをすべて排除しようとすれば、組織は次第に「失敗しないこと」そのものを目的にし始める。すると、誰も新しいことをしなくなる。

会議では、失敗しない案だけが残る。稟議書には、リスクのないことだけが書かれる。経営者は、後から説明しやすい選択肢ばかりを選ぶ。組織は安全になるかもしれない。しかし、強くなるとは限らない。むしろ、リスクを取らないことによって、別の種類のリスクを蓄積している可能性すらある。

ここで必要なのが、「天使の分け前」である。

もちろん、何を失敗として許すかは慎重に設計しなければならない。だからこそ、リスクと収益を一体化して考える「リスク・アペタイト・フレームワーク」のように、組織として許容できるリスクの範囲をあらかじめ定めておく意味がある。

経営判断においても、結果が悪かったというだけで直ちに経営判断を否定するのではなく、どのような情報を集め、どのようなプロセスで判断したのかを見る考え方がある。要するに、「失敗を許す」のではなく、「どの失敗なら許容するのか」を先に決めておく。これがガバナンスである。

法務の仕事も、すべてのリスクを消すことではない。むしろ、「ここまでは挑戦してよい。しかし、ここを越えたら止める」という境界線を組織の中に引くことである。その意味で、良いガバナンスには“遊び”がある。

何も起こらないことを目指すのではなく、何かが起こることを前提に、それでも組織が壊れない余白を残しておく。樽から少しずつ蒸発していく酒を、ただの「ロス」と見るか、熟成に必要な「天使の分け前」と見るか。組織がこの余白を失っていけば、やがて本来の目的を忘れたルールや手続が積み重なり、組織はゆっくりと“日焼け”していく。ガバナンスも、同じ発想の転換を必要としている。

洋服の「しつけ糸」と、ルールを解く勇気

今度は裁縫の「しつけ糸」に話が移るが、しばしお付き合いいただきたい。

洋服を仕立てるとき、生地を仮に縫い留めておくための糸が使われる。それは服を完成させるために必要な糸だが、完成した後まで残しておくものではない。必要な時期が終われば、抜く。

当たり前のことだが、組織のルールになると、この「抜く」ことが難しくなる。

ある不祥事が起きた。そこで新しい承認手続を設けた。新しいチェック項目を増やした。報告先を増やした。例外を認めないルールをつくった――。当初は、それで良かったのかもしれない。ところが、問題が解決してから数年たっても、そのルールが残っている。

すでに環境は変わっている。事業も変わっている。人も変わっている。それでも、「一度決めたルールだから」「なくすと説明が難しいから」「また問題が起きたら困るから」という理由で、そのままになっている。こうして、かつて組織を守るために設けられたルールが、今度は組織の動きを縛り始める。これもまた、組織の日焼けのひとつではないか。

過去の環境に適応したルールが、現在の環境に対する不適応をもたらす。ガバナンスには、この逆説がある。ルールを増やせば、ガバナンスが強くなるとは限らない。必要なのは、ルールをつくることだけではない。必要がなくなったルールを、きちんと解くこともガバナンスである。

だから、重要なルールには「見直す日」を設けてもよい。一定期間後に効果を検証する。特定の条件を満たしたら解除する。環境が変われば再設計する。いわゆるサンセット条項の発想である。

ルールは、永久不滅の法典ではない。組織をある状態に導くための道具である。道具である以上、使い終わったら“仕舞う”ことも必要になる。しつけ糸を抜くことは、ガバナンスを弱めることではない。むしろ、かつて必要だったルールを現在の組織に合わせて見直すことこそ、動的なガバナンスの一部なのである。

「遮光紙」「天使の分け前」「しつけ糸」の三角形

ここまで触れた3つ話題は、一見すると別々の話に見える。しかし、組織の制度設計という1点でつなげることができる。

トウモロコシの「遮光紙」は、外から入ってくるものを調整する。過剰な情報、過剰な圧力、過剰なノイズから、意思決定を守る。ウイスキーの「天使の分け前」は、組織の中に余白を残す。失敗や試行錯誤をすべて排除するのではなく、挑戦できる範囲を確保する。裁縫の「しつけ糸」は、過去のルールを解く。かつて必要だった仕組みが、現在も必要なのかを問い直す。

つまり、「遮光紙=外部刺激の調整」「天使の分け前=リスクと失敗の許容」「しつけ糸=ルールの可変性」――である。

この3つがそろって、初めて組織は「硬くなりすぎず、緩みすぎない」状態をつくることができる。

外からの光をすべて遮れば、組織は閉じる。
すべてのリスクを排除すれば、組織は挑戦しなくなる。
すべてのルールを残せば、組織は動けなくなる。

反対に、何も遮らず、何も制限せず、何も縛らなければ、それはガバナンスではなく放任である。大切なのは、その間にある。何を遮るか。何を許すか。何を解くか。この3つの問いを繰り返すことが、動的なガバナンスなのだと思う。

法務は「守る人」から「環境をつくる人」へ

法務というと、どうしても「禁止する仕事」をイメージしやすい。

これは駄目です。この契約にはリスクがあります。この表現は避けてください。この手続きが必要です……。もちろん、それは法務の重要な仕事である。しかし、法務の仕事がそれだけではないことは読者もお分かりのとおりだろう。法務には、組織が適切に判断できる環境そのものを設計する仕事がある。

どの情報を、いつ、誰に届けるのか。どのリスクを、どこまで許容するのか。どのルールを、いつ見直すのか。

こう考えると、法務の仕事は「壁をつくること」から少し違って見えてくる。必要なところには「遮光紙」をかける。しかし、光を全部遮らない。失敗をすべて禁止するのではなく、許容できる「天使の分け前」を決める。そして、役割を終えた「しつけ糸」は抜く。法務が設計するのは、組織を縛る鎧ではなく、組織が、光と風と時間の中で、少しずつ成熟していくための環境がその対象である。

宮古島のトウモロコシも、樽の中のウイスキーも、仕立て途中の洋服も、共通して教えてくれることがある。それは、完成するまでの時間をどう扱うかが、完成したものの質を決めるということだ。組織も同じではなかろうか。

まだ熟していない判断をどう守るか。どこまでの失敗を許すか。そして、いつになったら、かつて必要だったルールを解くのか。ガバナンスとは、完成した組織を守るための仕組みなどではなく、まだ完成していない組織が、成熟していくための環境をつくる仕組みである。だからこそ、法務に必要なのは、規制を増やす発想だけではない。

光を調整すること、余白を残すこと、そして、糸を解くこと。

この3つを設計できる法務こそ、組織を「守る法務」から、組織を「育てる法務」へと変えていくのではないだろうか。

最後にもう一度、リフレインしたい。 ガバナンスは鎧ではない。 樽の中のウイスキーが、光と風と時間に育てられるように、 組織が成熟していくための“環境”そのものである。 その環境を整えること――それが、これからの法務の創造的な使命である。

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