「止める決断」の経済合理性:スカイツリーと辺野古沖、サウナ、小林製薬の明暗を分けた組織の“一瞬”【遠藤元一弁護士の「ガバナンス&ロー」#34】

扉の話から始めよう。あなたの会社や組織には「内側から開かない扉」はないだろうか。「扉」は、物理的な扉に限らない。

「現場からの中止進言がエスカレーション(経営層への報告)されない経路」「リスクを知っていたのに動かなかった決定の記録が存在しない会議室」「ヒヤリハットが雑談の中に消えていく組織」など、そうした見えない扉がないと断言できるだろうか。

別の質問を発してみたい。過去1年間に現場から上がった「中止」の進言は、取締役会の議題まで届いていたか 。そのリスクに対し、「継続する」あるいは「止める」と判断した根拠は、客観的な文書として今も残っているか。この質問に躊躇して即答できない経営者・管理部門は少なくないはずだ。

そして、「答えに窮する」という事実それ自体が、すでに多くを語っている。組織の表面的な静けさとは裏腹に、ガバナンスは機能していない—そのことを、静かに、しかし確実に示している。問われたとき、答えられるか。それが現代のガバナンスにおける最初の試金石である。

事故のたびに謝罪会見で繰り返される「安全対策は講じていた」という定型句。我々がその言葉に抱く既視感は、もはやそれが免責の根拠にはなり得ないという直観に由来する。最も問われているのは、対策の「有無」そのものではない。リスクを認識した後、その組織がいかに振る舞ったか――すなわち「意思決定の質」である。

扉を変えなかったサウナと、即座に止めたスカイツリー

2025年12月、東京・赤坂の温浴施設「サウナタイガー」での火災事故は、利用客の夫婦が命を落とす最悪の結末となった。社会の指弾を浴びたのは出火原因以上に、「過去の閉じ込め事故」という明白な教訓が放置されていた事実だった。

専門業者から「外開き扉に変えるべき」という具体的な改修案が提示されていた。扉の危険性は認識され、改善策も示されていたにもかかわらず、扉が変えられることはなかったのだ。この「変えなかった」という選択が、後に取り返しのつかない結果をもたらした。

さる26年2月22日に発生した東京スカイツリーのエレベーター閉じ込め事故はこれと対称的な事案である。約20名が6時間にわたり拘束される重大事案でありながら、人的被害は生じなかった。翌日が最大の稼ぎ時である3連休最終日であるにもかかわらず、運営側は全館休業とエレベーター全基の緊急総点検を「即断」した。

ただし、スカイツリーを単純な「優等生」として描くことには1点の留保が必要だ。同施設では15年8月と17年3月にも閉じ込め事案が発生しており、17年のケースは原因が特定されないまま運転が再開されていた。

15年の教訓はエレベーター内への非常用備品設置へと結実したが、17年の「原因不明」は組織の記憶として十分に処理されることなく埋もれ、今回の約6時間という格段に長い閉じ込めへと連なった可能性は否定できない。

それでもなお、事案発生直後の即時全館休業という判断は評価に値するといえる。過去2回の「短時間解消」という経験があったにもかかわらず、今回は「止まる」を選んだ。不完全な学習の自覚が、かえって慎重で謙抑的な判断を引き出した可能性もあるからだ。

両事案を分けたのは「運」でも「規模」でもない。過去事故の教訓を意思決定のスキルとして蓄積し、リスクを認識した瞬間、「リスクの回避を選択できる組織」として、速やかに稼働できるリスク管理体制がワークしていたかどうか。その1点に尽きる。

閉じ込め事故発生を受けて臨時休業したスカイツリー

「予兆を受け取らない」という積極的な不作為

サウナタイガーの事案で法的な責任に結びつく可能性があるのは、「予見可能性」の高さである。過去に事故が実在し、具体的な改善提案まで提示されていた以上、危険性は経営上の「現実的・具体的な懸念事項」としてすでに顕在化しており、「知らなかった」という抗弁は成立しない。「知っていたが、動かなかった」という構造が、すでに明白に浮かび上がっている。

この「動かなかった」を分解すると組織に何が欠けていたかが見えてくる。安全管理とは、リスクを認識した際に、①検討→②判断→③記録→④是正実行という連鎖を確実に回すことが要諦である。

この過程がひとつでも欠落すれば、法的には「やるべきことをしていない」と評価される。「判断の根拠がない」「検討プロセスが記録されていない」という状態は、免責の抗弁にはならない。それは組織的な判断の不在を自ら露呈することになる。行動の欠如ではなく、プロセスの欠如こそが、「積極的な不作為」としての義務違反を明確に裏付ける。

2026年3月の沖縄県辺野古沖における作業船沈没事故も想起される。

現場は岩礁もあって漁船は可能な限り航行を避ける場所だという。また当時、現場海域は風速約4m、波高0.5mで、気象庁は波の高さを3mと予想して波浪注意報を発令しており、リーフ近くで波が高まりやすい状況だった。

しかし船長は出航可能と判断し、学校側へ懸念を伝えることもなく平和学習の海上視察として船は出された。その結果、高校生と船長が命を落とした。注意報という客観的指標が存在したにもかかわらず、出航判断は船長個人に委ねられ、学校側は最終的な安全の確認をしなかった 。

サウナタイガーの「扉」と、辺野古沖の「波浪注意報」。形は異なるが、危険の予兆を組織として評価・判断・記録する仕組みが機能しなかったという構造は共通する。故意でなくとも、「仕組みが存在しない」という点で、過失が問われるのだ 。

製造業の会社で露見した事象として想起されるのが、2024年の小林製薬の紅麹サプリメント事案である。複数の医師から「紅麹成分と腎障害との関連が疑われる」との指摘が寄せられていたにもかかわらず、同社は「因果関係が十分に解明されていない」との判断から、自主的な情報開示も販売停止も行わなかった。

その後、被害の拡大が明らかになって初めて回収・停止に至ったが、健康被害・訴訟リスク・ブランド毀損といった「事後コスト」は、早期に止めた場合のコストをはるかに上回った。

ここで見落とせないのは、「因果関係が不明」というのは「安全である」ことの証明ではない、という点だ。不確実性は販売継続の責任を免責する根拠とはなり得ない。スカイツリーが「原因がわからないからこそ止める」論理を採ったのと対照的に、小林製薬は「原因がわからないから続ける」論理を選んだ。その結果が両社の置かれている現況を導いている。

スカイツリー型:不確実性の前での意識的選択

スカイツリーの初動が示したのは、「安全が確認できない状態そのものを最大のリスクと定義する」という組織の判断の明確さである。原因特定を待たずして営業を中断したその決断は、不確実性の前で「積極的な責任行動」を選択したことを意味する。原因がわからないから動けないのではなく、原因がわからないからこそ止まる。

この論理の転換が、故意・過失の回避において決定的に重要だ。後から「適切な措置を取った」と立証できる証拠は、判断の瞬間に意識的な選択をしたことの記録と行動にかかっているからである。

現場では「何とかなるだろう」という惰性が優先されがちだ。それは悪意ではなく、日常業務への適応として身についた習慣であるが、それゆえに危険でもある。回避意思を持てる組織とは、意思決定の瞬間に「惰性」を「選択」へと変換できる、文化と仕組みを備えた組織である。不確実性の前で立ち止まれない組織は、リスクを管理しているのではない。静謐の中で、組織が瓦解していくのを傍観しているだけである。

あなたの組織は、リスクを認識した瞬間に「意識的な回避行動」を選択できる構造を持っているか。「扉を変えなかった」のも、「船を出した」のも、「即座に止めた」のも、すべて選択である。その違いは偶然ではなく、平時より積上げてきた組織の意思決定の習慣と記録の文化の差に他ならない。

「惰性という罠」と、「あえて損失を選ぶ」という合理性

多くの事故は特別な誤りではなく、些細な異常に気づかず、あるいは検知したが判断を放棄した結果として起きる。「いつも通り」というルーティンは、平時においては効率の源泉だが、有事においては「止める」という決断を奪う最大の障壁に転じる。惰性は組織の慣性力であり、それを破るには明示的な設計が必要だ。

異常を検知したとき、誰がどのような権限で業務停止を決断するのか。その意思決定ラインが明文化されていない組織では、現場は「上の顔色を伺う」か「いつも通り続ける」かの二択しかない。どちらを選んでも本来すべき判断は先送りされる。これは個人の資質ではなく、判断できる構造が存在しないという組織設計そのものの欠陥である。

スカイツリーの全館休業は明らかに経済的損失を伴うが、同時に長期的な経済合理性に裏打ちされた経営判断でもあった。損益を短期ではなく長期で計算することが重視され、即時の判断として結実した。

事故後に派生する訴訟対応、ブランド価値の毀損、人材確保への負の影響、あるいは行政処分に伴うリスク等の「事後コスト」は、事前の安全投資をはるかに凌駕し、企業の存立基盤を揺るがしかねない規模へと増幅する。

さらに、取締役個人が善管注意義務違反を問われた場合、経営責任ひいては法的責任を問われるリスクが現実化する。会社の損失にとどまらず、経営者個人の人生に波及する問題である。短期の損失を受け入れ安全確認を最優先とする意思決定は、経営倫理的に正しいだけでなく、経営数値の論理からも最もコスト効率の高い選択である。経営者は、これを単なる理想論としてではなく、持続可能な経営を実現するための合理的な規範として、その選択を迫られている。

「閉ざされた扉」を1枚開けることから始めよう

事故の責任は現場で完結するものではない。責任連鎖は、組織の深部へと波及していく。

現場の「中止進言」は適時的確に経営層に報告されていたか。過去のヒヤリハットに対し、具体的な是正措置を講じ、かつその「記録」は残っているか。組織内部の「情報の扉(伝達経路)」が閉ざされていれば、責任の所在は管理職、そして経営層へと波及する。会社法上の善管注意義務違反は、もはや法人だけの問題ではない 。取締役個人が背負う、回避不能のリスクである 。

この法的な責任の時計は、悲劇が起きた後ではなく、組織がリスクを「知った」瞬間からすでに動き始めている。今、我々に突きつけられているのは「事故の有無」ではなく、「扉の向こうに何があるか、組織はどこまで把握していたか」である。リスクを知っていたならば、なぜその判断に至ったのかを、外部に対して証明できる形で残していたか。証明できないことは、証明しなかったことと等しく扱われる。それが現代のガバナンスが突きつける現実だ。

経営者・法務担当者が直ちに着手すべきことは、自社の直近の「現場からの懸念報告」を一枚、手に取ることだ。その情報は、取締役会の机まで届いているか。その報告書を確認する手間こそが、組織内部で閉ざされた「情報の扉」をこじ開ける最初の一手となる。安全とは、設備のスペックではなく「意思決定の姿勢」そのものである。

一度リスクを認識したならば、もはや猶予はない。扉の向こうに潜むリスク。現場がそれを「予兆」として掴んだとき、その情報を組織の「決断」へと昇華させられるのは、他ならぬ組織の上にいる者だけなのだ。

(次回は2026年4月30日配信予定)

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