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昭和32年「正規の監査」スタートで会計士が直面した現実
被監査会社の激しい抵抗
これまでの連載の通り、1956年(昭和31年)12月に監査基準が改訂され、翌57年1月1日から「正規の監査」が始まった。約5年に及ぶ制度監査の準備期間を経て、満を持して法定の財務諸表監査がスタートしたのである。とはいえ、企業社会において、監査という新たな制度がすんなりと受け入れられたわけではなかった。むしろ、当初は大きな軋轢を生むこととなる。
当時も今も、監査実務の神髄は現地・現物・現人の「三現主義」にあることに変わりはない。ところが、公認会計士が被監査会社の経理部に直接赴いて帳簿をひっくり返したり、現預金を確認したり、あるいは銀行の貸金庫に保管されている保有有価証券を確認したり……今では当たり前となっている監査人の業務に対して、企業側の激しい抵抗が巻き起こったのだ。
被監査会社側にしてみれば、別に不正を働いているわけでもないのに、社外の公認会計士なる新参者に痛くもない腹を探られるということで、経営者も含め社内から強い拒否感が示された。会計士が現場往査で会社の経理部に現れると、経理部員たちがピケを張って事務所への立ち入りを阻止しようとしたなどといった、今となっては戯画的とも言える情景さえ繰り広げられたという。
このような非協力的な状況では監査人が必要とする被監査会社の情報が十分に得られるはずもなく、会計処理や監査業務において“うっかりミス”というべき誤謬が多発。その結果、正しい決算書が作成されない事態が相次ぐ。さらには、その原因は単なる誤謬だけではなかったのである。
公認会計士「個人資格」の脆弱性
当時は、証券取引法に基づく監査だけが、職業的専門家による法定監査で、個人の公認会計士が監査人として実施することが前提だった。したがって、公認会計士資格を持っている者は、事務所を構えて補助者を使いながら、いくつかの上場会社の監査を行っていたのだが、それはあくまでも個人の資格・立場によるものであった。
そのような構造の中にあって、真に独立した立場から、市場の信頼性を確保し株主をはじめとする利害関係者の利益を保護する――まさに「公共の利益」を守るといった崇高な理念に基づいた監査を実施する意識を持つ者は、そんなに多くはなかったと言わざるを得ない。
法定監査といえども、個々の会計士にとって監査は“営業”ないし“儲け仕事”という側面を否定できないわけで、どうしても“顧客”である被監査会社側の影響力や圧力に抗うには自ずと限界がある。ましてや、被監査会社側には、監査人に報酬を支払っている以上、会計士は“出入りの業者”といった程度の認識が抜きがたくあるのだから、なおさらのことであった。
そのうえ、前回で詳述した通り、1956年(昭和31年)新設の監査報告準則(三(三)3但書)では、企業が採用する会計処理の原則・手続が毎年度継続的に適用されているか(「継続性の原則」)について、「正当な理由による期間利益の平準化または企業の堅実性を得るために行われている場合」は、監査人は財務諸表に及ぼす影響を記載しなくてもよいとされた。そこに大蔵省(当時)の上場会社の経営的な安定性に対する政策的配慮も相まって、「継続性の原則」に事実上違反する会計処理を行う被監査会社に対して、公認会計士がお墨付きを与えていたのである。
そのような結果、1957年(昭和32年)から始まった正規の監査では、その直後に多くの上場会社で恣意的ないしは不当な経理操作、すなわち粉飾経理が顕在化することとなる。
戦後最大の倒産「山陽特殊製鋼」の粉飾事件
公認会計士が被監査会社側の粉飾経理を見逃してしまうケース、場合によってはそれを黙認、さらには粉飾行為を手助けするようなケースまで相次ぎ、昭和30年代には、最終的には倒産に追い込まれる上場会社も現れた。そして、監査人である公認会計士が公認会計士法上の懲戒処分を下されたり、日本公認会計士協会による制裁を受けたりする事例が40社以上の監査において頻発した。
その第一号がリコー時計(現リコーエレメックスの前身)で、1963年(昭和38年)に、初めて公認会計士が、公認会計士法および日本公認会計士協会における懲戒処分を受けた事例である。経営が悪化した同社は当時で11億円に及ぶ粉飾経理に手を染めた。リコー時計の監査人である会計士に対しては、59年(昭和34年)5月から61年(同36年)5月までを虚偽証明期間として、63年5月に業務停止3カ月・戒告という公認会計士法に基づく懲戒処分が、同年7月には会員権停止3カ月という日本公認会計士協会の懲戒処分が追って下された。
そして、戦後経済史に巨額粉飾事件としてその名を刻んだのが、続いて発覚した山陽特殊製鋼の事例である。
1965年(昭和40年)3月、兵庫・姫路の大手特殊鋼メーカーで東京証券取引所に上場していた山陽特殊製鋼が、過剰な設備投資から資金繰りが急速に悪化し、会社更生法の適用を申請して倒産した。負債総額は約500億円と、当時、戦後最悪の倒産劇だった。
この倒産を引き金に同社の粉飾経理が明らかとなる。虚偽証明期間は1958年(昭和33年)3月から64年(同39年)9月に及び、粉飾額は実に70億円超。社長ら役員が商法・証券取引法違反などで起訴される一方、監査人を務めた公認会計士の責任も厳しく問われた。当該監査人は粉飾経理を認識したうえで監査報告書に署名していたということ(監査概要書の不実記載)で65年(同40年)9月に公認会計士資格の登録抹消、日本公認会計士協会からの退会へと追い込まれた。
倒産で上場廃止となった山陽特殊製鋼自体は1973年(昭和48年)12月に会社更生手続を終結、その後再上場を果たしたが、2025年4月に日本製鉄による完全子会社化で上場廃止。さらに27年4月1日付で日鉄が吸収合併することを発表しており、粉飾事件から60年余を経て、名実ともに企業としては消滅することとなった。

戦後の景気循環と粉飾経理
山陽特殊製鋼の倒産事件を機に、当局である大蔵省も監査制度の拡充と強化へと舵を切っていくこととなるのだが、それについては次回以降で触れるとして、上場会社による粉飾経理については、企業と監査人の関係性もさることながら、わが国経済における景気循環が影を落としていることも見逃せない。
正規の監査が始まった時期とほぼ軌を一にして、1955年(昭和30年)頃から73年(同48年)頃までを一般に「高度経済成長期」と呼ぶが、この間、日本経済が一貫して好景気だったわけではない。実際、山陽特殊製鋼が倒産する65年(同40年)は、好景気に沸いた東京オリンピック直後の不況下にあった。過去の経済白書などをもとに高度成長期の景気循環を見ると、概略、以下のようになる。
● 神武景気:54年(昭和29年)12月~57年(同32年)6月(31カ月継続)
× なべ底不況:57年(昭和32年)6月~58年(同33年)6月
● 岩戸景気:58年(昭和33年)6月~61(同36年)年12月(42カ月継続)
× 転型期不況:61年(昭和36)12月~10月
● オリンピック景気:62年(昭和37)11月~64年(同39年)10月
× 構造不況(証券不況):64年(昭和39年)10月~65年(同40年)10月
● いざなぎ景気:65年(昭和40年)10月~70年(同45年)7月(57カ月継続)
× 45年不況:70年(昭和45年)7月~71年(同46年)12月
● 列島改造景気(価格景気):71年(昭和46年)12月~73年(同48年)11月
× 第一次オイルショック:73年(昭和48年)11月~75年3月 = 高度経済成長の終焉
そもそも監査とは、会社側が作成した決算書の信頼性を外部の公認会計士が担保する行為である。その元になる決算書は企業経営の実態を映し出したものにほかならない。企業経営が上手くいっていない場合には、どうしても赤字決算に沈んでしまうこともある。
一方、経営者にとって決算書は自分自身の“通信簿”や“成績証明書”のようなものであり、当然ながら、利益を多く出してより良く見せたいという動機が働く。しかし、経営者個人の経営手腕や能力を超えて、景気後退や不況という外的な環境要因によって不可抗力的に経営状態が曲げられてしまう場合がある。
例えば、好景気下で積極的に設備投資を行ったものの、それが花開く前に経済環境が暗転したことで、過剰投資となり資金繰りが急速に悪化するといった具合である。オリンピック景気から構造不況に転じた中での山陽特殊製鋼の倒産(65年)が、まさにそれであった。
それゆえ、企業による粉飾経理は、赤字決算が計上されやすい不況および景気後退局面に現れることが往々にしてある。日本公認会計士協会が1976年(昭和51年)に公刊した『會計・監査資料』および78年(同53年)と84年(同59年)にまとめた『紀律関係事例集』の中の「監査人の懲戒処分事例」を紐解くと、リコー時計、山陽特殊製鋼の事例以降も、80年(同55年)までに50社以上の粉飾経理事案で会計士に処分が下っているが、認定された粉飾期間の起点・終点(発覚)が不況期と重なっている上場会社は決して少なくないのである。
見方を変えれば、公認会計士が被監査会社の会計数値を確認するとき、単に個社やその企業グループの取引内容や事業活動だけではなく、同社を取り巻く経済動向・環境、あるいは企業全体を取り巻く日本社会、さらには国際情勢の動向を的確に見極める必要がある、ということでもある。つまり、監査人は、企業あるいは経営者が“悪しき意図”を持ち得たり、または、“甘い誘惑”に駆られてしまう時機を見逃してはならないのだ。
そういった意味で思い出されるのが、2020年に起きたコロナ禍での不況である。世界規模の景気後退であったと同時に、監査の世界でも物理的接触を避けるということで、被監査会社で三現主義を実施することが非常に難しくなった時期であった。
一方、それから5年余りが過ぎ、今になって大手有名企業を含む上場会社で粉飾経理が発覚する事態が続いている。しかもその遠因が、新型コロナ感染症が大流行していた時期だったというケースも少なくない。経営環境の急激な悪化。それが搔き立てる経営者の粉飾決算への誘惑。そして、本来行うべき監査実務への制約……この3つが重なった末の不正行為だったのではあるまいか。このように思えてならない。
被監査会社の抵抗と粉飾経理の続発という多難で始まった会計監査のスタートから70年をして、今、会計士たちはその時代よりも大きく前進していると言えるだろうか。
(#6につづく)
