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昭和29年11月「将来は監査役制度廃止へ」の日経新聞1面記事
時代は少しさかのぼる。わが国で公認会計士監査制度がスタートしようとしていた1950年代、監査役監査や内部監査・内部統制はどのような状況にあったのか。当時の雰囲気をよく伝えているのが、54年(昭和29年)11月19日付の日本経済新聞1面トップ記事である。時あたかも、51年(同26年)に始まった証券取引法の下での「制度監査」が終盤を迎えようとしていた時期である。
見出しは「企業経理の監査制度強化」と銘打ち、その下にはもっとも大きな活字で「お座なり態度を是正」、さらにその下には「将来は監査役制度廃止へ」と、同制度が続く70年後の今から考えれば“誤報”と言える衝撃的な文字が躍る。
記事は冒頭、「大蔵省は企業経理の健全化と投資者の保護を徹底するため、昭和二十六年から実施している監査証明制度を拡大、強化することにし、このほど経済団体連合会(経団連)など関係筋と話し合いを始めた」と報じている。
わが国では1951年(昭和26年)から米国にならって監査証明制度が採用されたが、誕生したばかりの公認会計士の数が少ないことや、監査を受ける企業側の事情などで本格的な監査を見送ってきた経緯があった。
経団連をはじめとする経済界は、商法における監査役制度を盾に外部からの監査に反対だったが、記事では大蔵省(当時)が「監査役の監査などお座なりに過ぎず、本当の意味で株主に責任を持っているとはいえない」などとして、将来的に監査役制度の廃止をも視野に入れていることを伝えている。
戦後初めて米国型の会計監査制度が「輸入」されたとき、すでに日本には商法を根拠とした、株式会社の中に役員の立場で監査を管掌する役職としての監査役制度があった。周知の通り、この制度は明治時代から今日まで存在しているものの、ことあるごとに機能していないとの批判に晒されてきた。そこで2002年の平成14年商法改正により米国型の委員会等設置会社(現指名委員会等設置会社)が導入されるが、昭和20年代当時も監査役制度が機能していないという指摘を受けていたことが分かる。
それから半世紀を超え70年以上も「駄目だ、駄目だ」と言われながら監査役制度が続けられている中で、果たして監査役による会計監査は本来の役割を担えていると言えるのだろうか。
「昭和25年監査基準」における監査と内部統制
一方、わが国では公認会計士監査の誕生・導入と同時並行的に「内部統制組織の整備・運用」という考え方が出現することになる。内部統制について言えば、21世紀に入って証券取引法の金融商品取引法への改正に伴い、ようやく、上場企業における財務報告の信頼性確保を義務付ける内部統制報告制度(俗称、J-SOX)が導入されることになるが、実は半世紀以上も前から内部統制の議論が行われていたのである。
そのひとつが、本シリーズでもたびたび触れてきた1950年(昭和25年)の「監査基準」であり、もうひとつが翌51年(同26年)の通商産業省(当時、現経済産業省)産業合理化審議会の報告書「企業における内部統制の大綱」である。

監査基準が謳う「二重責任の原則」
1950年(昭和25年)に経済安定本部(52年に廃止)の時代に公表された監査基準は“啓蒙基準”と言われるが、わが国で正式に「内部統制」という用語が最初に使われた文書としての意義は大きい。そこでの議論は、内部統制についての基本的な考え方が前面に出たものになっている。
監査基準ではまず、その前文の「一 監査の意義」において、「監査とは、企業が外部に発表する財務諸表について、職業的監査人がこれを行う場合に限るものとする」とし、「監査人は財務諸表に対する自己の意見につき責任を負うのみであつて、財務諸表の作成に関する責任は、企業の経営者がこれを負わなければならない」という「二重責任の原則(責任分担の原則)」を掲げる。
そのうえで、次の「二 監査の必要性」では、企業において「内部統制組織即ち内部牽制組織及び内部監査組織」が整備・改善されてきたことで、不正の有無を確かめ、帳簿記録の正否を検査するという、それまでの監査の目的は重要性を失いつつあると指摘している。そうした中にあっても「外部の第三者による監査は、存在の理由を失うものではなく、企業の大規模化に伴い、却つてその必要性が益々増大したことを認めなければならない」として、公認会計士による監査の必要性を強調。そして、内部統制と監査の違いと関係について以下のように解している。
「企業の内部統制組織が、如何に周到に整備され、有効に運用されようとも、これを以て監査に置き替えることはできない。内部統制は不正過失を発見防止するとともに、企業の定める会計手続が守られているか否かを検査するにとどまるに反し、監査は会計記録の正否を確かめるばかりでなく、さらに『企業会計原則』に照らし、公正不偏の立場から経営者の判断の当否を批判するものであつて、両者はその本来の任務を異にするからである。」
そして、「適当な内部統制組織が監査の前提として必要であつて、監査人はこれを信頼して、試査をなすにとどめ、精査を行わないのが通例である」と、公認会計士監査実施の基礎条件として有効な内部統制組織の整備・運用を企業に求めた。
内部統制組織をなす「内部牽制組織」と「内部監査組織」
この昭和25年の監査基準では、あくまでも「内部統制組織」「内部牽制組織」、そして「内部監査組織」との表記のもと、いわゆる整備されるべき「組織」体系に重点を置いた視点に特化していたのである。つまり、かかる組織を牽引する役割を担う関係者の役割や立場、さらには機能等については、必ずしも重きを置いておらず、まさに「静態的な視点」での内部統制議論に終始していたといえる。
それは、今日、一般に議論されるようになった内部統制の議論、すなわち、内部統制の整備・運用において有効性が担保されるべきとする「動態的な視点」での議論とは次元の異なるものであった。
いずれにしても、この「監査基準」での理解を前提に、昭和の時代においては、大学で「内部統制とは何か?」と問われると、ほとんどの会計学徒は「内部統制は内部牽制と内部監査です」と答えるのが一般的だった。
内部牽制とは、従業員同士で相互に牽制し合うことである。ひとつの経済行為・活動をその直接の担当者だけで終わらせないで、必ず別の誰かがチェックする。例えば経理部所属のAが行った帳簿作成を同僚のB、あるいは上司のCが確認する。ただし、この内部牽制には社員同士が不正を共謀してしまうと機能しないという限界があった。
もうひとつの内部監査とは、経営者の指揮命令系統下のもと、組織内の独立した者ないし部門が、当該組織の他の業務や状況について客観的に評価・確認して監視し、改善に向けた提言を行う業務をいう。ただ、これにも限界が存在する。すなわち、内部監査を実施する者ないし部門が経営者の指揮命令系統下にある以上、経営者による不正はその監視の対象外になるという点である。
なお、こうした内部監査に関する議論の高まりを反映して、1957年(昭和32年)10月に現在の一般社団法人内部監査協会(当時は日本内部監査人協会)が発足している。同協会は誕生からすでに70年近く経つわけだが、その間、内部監査のあり方や役割についての議論も百出し、端的に言えば、定まらない時代が長く続いてきた。
ところで、企業価値の向上が内部監査の務めである、業務の合理化が内部監査の目的である……といった類の議論もあるが、内部監査の原点は会計の監査を基本とした監視・検証というモニタリングにほかならない。この原点を等閑視して、経営の助言・提言的な役割を担うことなどできないのである。これは今日の社外取締役のガバナンス議論にも通じるところで、「攻めのガバナンス」を謳う前に、やはり、「守りのガバナンス」という本義が果たされなければならないのだが、この議論はもう少し時代を下る必要があろう。
昭和26年の「企業における内部統制の大綱」
内部統制のもうひとつの議論である「企業における内部統制の大綱」(以下、大綱)は前述の通り、1951年(昭和26年)7月、通産省の産業合理化審議会の報告書として公表された。
監査基準では、内部牽制と内部監査ということを示して、それ以上の細かい内容についてはあまり説明していない。それに比べて、企業における内部統制の基準を示した大綱は、内部統制は経営を合理化するために必要な課題だということを提示した点において、監査基準とは議論の性質を異にするものであった。言い換えれば、内部統制をめぐる議論が1950年代初頭の時点ですでに、監査の世界のみならず、企業経営の視点でも存在していたということである。
大綱の議論の背景には、①経営合理化の必要が最重要課題となってきたこと、②公認会計士による外部監査制度が実施されるようになったこと、③昭和25年商法改正(1950年)において新たに取締役会制度が株式会社に導入されたこと――などがあった。
大綱は①に関連して、企業規模が拡大して経営内容が複雑化してきているとの認識から、「経営者は、整備した内部統制組織を基礎とするのでなければ、企業の円滑かつ合理的な経営を行うことができなくなつてきている。」と捉えた。それは、経験知依存の“勘”で差配するのではなく、体系化された組織を作らないと近代的な企業経営には対応できないということを意味する。
そして、戦後間もない状況下で政治的な変動や外国経済の影響を受けやすいという「わが国経済界の欠点に対処するためにも、企業における内部統制組織の確立が必要である。」と指摘し、内部統制組織の確立をもって、企業の永続的繁栄を図るための自主的防御手段と捉えている。それは、内部統制組織の確立を、経営管理的視点から経営能率の増進に対する関係性において強調しているのである。
これらを踏まえ、大綱では、内部統制組織を確立するための前提条件として独立した統制部門を編成し、その統制部門には内部統制の専門的かつ直接的な担当部署として、企業内にコントローラー制度を確立することを挙げている。そして、1953年(昭和28年)に公表された「内部統制の実施に関する手続要綱」では、当時の日本企業でも一般的だった経理部を改造して、予算や会計、統計、監査といった計算統制機能はコントローラー部に、売掛や買掛、投資や資金調達・運用などの財務執行機能は財務部に再構成することが適当であるとされた。
ただ、大綱にはコントローラー部内での内部牽制の前提がなく、実績の記録および計算を担当する会計課と会計および制度の監査を担う監査課が併存しているなど、部内における内部牽制が不分明のままとなっており、この点は、昭和25年の監査基準が指向する内部監査とは異質のものといえる。大綱では、外部監査の受け入れ体制として内部統制組織を確立すべきとの監査基準の視点とは必ずしも一致しない概念が提示されていたのである。
このため、大綱の内部統制概念はわが国では一般的な承認を得るには至らず、監査基準の内部統制概念が特に精緻な議論も加えられることなく企業社会に定着することになった。とはいえ、企業組織内における内部統制の確立がいかに重要であるかを明らかにした大綱、なかでも大綱が提示した方法的および人的条件については、有効な内部統制を支援するものとして、十分に傾聴に値するものだったといえよう。
昭和25年商法改正で極小化された「監査役の権限」
ところで、冒頭の監査役をめぐる日経新聞記事の話に戻る。1950年(昭和25年)、明治時代から続いてきた商法が取締役会制度の導入など、アメリカの会社法の影響を大きく受ける形で全面改正されたものの、それまでの監査役制度は曲がりなりにも残すこととなったという経緯がある。
ただし、監査役の権限は昭和25年の商法改正で会計監査のみに限定されたうえ、会社に1人以上、しかも常勤で選任する必要もなかった。したがって、そのような監査役が企業内の不正・誤謬の摘発・発見に貢献しようはずもなかった。1954年(昭和29年)時点で、もう監査役は廃止したほうがいいという日経新聞の記事が出たことは、こうしたことが背景にあったといえよう。
それでは、商法改正で会計監査以外の経営全般の監督は誰がするようになったのか。それは取締役会に移管、すなわち、取締役同士が互いに監督することとなったのである。この状態は今でも続いており、監査役設置会社の取締役会は経営の意思決定をするのみならず、経営の業務監査的な監督もしなければいけない。
ここでは「監査」という言葉こそ使われていないが、取締役会は監督業務を行うためには内部監査を充実することが求められたのである。そこで、自分たち取締役の手足となって働く内部監査を充実させるために、内部監査のスタッフは取締役の指揮命令系統下に置かれているというわけだ。
監査基準における内部監査はモニタリングであるが、通産省が考えていた内部監査は、取締役、なかでも代表取締役である社長の手先になって業務監査を実施するというものだった。そのため、内部統制の対象に経営者が含まれないのである。内部監査や内部牽制は、経営者の指揮命令系統のもとにおいて整備された体制であり、したがって、昭和の時代までは、経営者は内部統制ないし内部統制組織の埒外にあると言われた。今の言葉で言うならば、「内部統制の限界」に置かれていたということになる。
日本では20世紀まで、それが内部統制の正しい理解だと考えられていた。例えば、公認会計士の試験で「内部統制の限界について述べなさい」と問われれば、「内部統制は経営者には届かない」と答えなければならなかったのである。
ところが、時代は下って1992年、アメリカのCOSO (トレッドウェイ委員会支援組織委員会)が公表した「内部統制の統合的フレームワーク」は、企業の内部統制を5つの構成要素に基づいて体系化し、内部統制の設計、実施、運用、評価に関する包括的な指針を示した。
これを原点として、日本でも21世紀に入って経営者をも射程に置いた内部統制議論に移行していくこととなるが、それはだいぶ先の話である。
