人はなぜパワハラをしてしまうのだろう?
部下の自尊心を脅かすような指導や恣意的な叱責が逆効果であることは、すでに数々の研究論文から明らかである1 2。
そもそも、このような科学的根拠を持ち出さなくても、パワハラ行為者の気持ちに共感することは難しい。人を侮辱して、傷つけて、その結果、自分も嫌われる――それが楽しいことだとは、およそ思えない。
だが、それを「まったくもって理解不能」と断定して切り捨てることは、あまり知的な思考回路とは言えないだろう。
そこで今回は、少しだけパワハラ行為者に寄り添って、その原因を手探りしてみることとしたい。
*1 Kluger, A. N., & DeNisi, A. (1996). The effects of feedback interventions on performance: A historical review, a meta-analysis, and a preliminary feedback intervention theory. Psychological Bulletin, 119(2), 254–284.
*2 Podsakoff, P. M., Bommer, W. H., Podsakoff, N. P., & MacKenzie, S. B.(2006)“Relationships between leader reward and punishment behavior and subordinate attitudes, perceptions, and behaviors: A meta-analytic review of existing and new research.” Organizational Behavior and Human Decision Processes, 99, 113–142.
パワハラは上司から部下へ、部下から同僚へ
ここに「虐待のトリクルダウン」という理論がある。
米ドレクセル大学のMary Bardes Mawritzらは、管理職の攻撃的な行動が、階層を通じて下位の従業員へ波及する仕組みを明らかにした3。
*3 Mawritz, M. B., Mayer, D. M., Hoobler, J. M., Wayne, S. J., & Marinova, S. V.(2012)“A trickle-down model of abusive supervision,” Personnel Psychology, 65, 325–357.
この論文によると、それまでの先行研究では、虐待的な上司の行動が部下の職務態度やメンタル、行動などに悪影響を及ぼすこと自体は示されていたのだが、その影響が直接の部下だけに限定されるのか、それとも組織のさらに下位にいる従業員まで連鎖的に及ぶのかは十分に検討されていなかったという。この研究は、職場での攻撃的行動を単発の出来事ではなく、相互作用の連鎖として捉えたことに意義がある。
人は、職場で影響力を持つ上司の行動を見て、「この会社では、このような振る舞いが許されている」と学ぶことがある。Mawritzらは、上位の管理職から威圧的・侮辱的な扱いを受けた現場の管理職が、その言動を真似て、自分の部下にも同じような接し方をする可能性があるということを示した。
さらにこの研究では、監督対象となる部下を持たない非管理職の場合は、その攻撃性が同僚に向かうということも明らかにされた。部下がいないため部下をいじめることができない場合、同僚に対して嘲笑、無礼な対応、侮辱などが行われるというのである。
つまり、「上司を見て学ぶ」「自分の部下に同じことをする」「その部下が今度は同僚に同じような態度を取る」という多層的な段階を経て、攻撃的な言動が組織内に広がっていくということだ。恐ろしい。
このほか、パワハラの要因を科学的な知見から明らかにする名著『パワハラ上司を科学する』4で引用されている論文として、上司自身のストレス度が高いと、部下がパワハラを受けていると訴える度合いが高い、というものもある5。
*4 津野香奈美『パワハラ上司を科学する』ちくま新書(2023)154頁
*5 Mathisen, G. E., Einarsen, S., & Mykletun, R. (2011). The relationship between supervisor personality, supervisors’ perceived stress and workplace bullying. Journal of Business Ethics, 99, 637–651.
この研究は、ノルウェーの70の飲食店に勤務する上司と従業員207名を対象に、上司の性格や職務ストレスと職場いじめとの関係を調べたものである。上司が強いストレスを感じている職場ほど、部下からの「否定的な言動や嫌がらせを受けた」という報告が多く、管理職のストレス管理がハラスメント予防のひとつの鍵になり得ることが示された。
この論文はパワハラそのものに言及するものではないが、事実として、パワハラ被害を受けることが、その被害者のストレスを高めることは間違いないだろう。だとすると、ここでもやはり、パワハラを受けた人がさらにパワハラを生むという構造が見えてくる。
もちろん、パワハラを受けた人が全員パワハラをするようになるわけではない(当たり前だ)。また、パワハラを受けていなくてもパワハラをする人はいる6。
*6 ちなみに同書によると、睡眠不足もまた攻撃的行為を増やすらしい(前掲『パワハラ上司を科学する』155頁)。うーん、やっぱり長時間労働は良くない!(自戒をこめて)
ただ、1件目のパワハラと、2件目以降のパワハラに、多少なりとも関係があるとしたら、どうだろうか。組織としての対応も、変わることになるだろう。
パワハラを紐解く補助線としての「中動態」
組織内でパワハラが発生したとき、多忙な私たちは、パワハラ行為者を処分して「ハイ、終わり!」としてしまいがちである。行為者がパワハラに至ったその背景にまで深掘りして、根本的な要因を探っていく時間など無い。
だが、もし、行為者もまた、追い詰められていたのだとしたら?
だとしたら、行為者の責任追及をしたところで、次なるパワハラを防ぐことにはならないだろう。
大人気ロングセラー『暇と退屈の倫理学』の著者で哲学者の國分功一郎氏が唱える「中動態」の議論は興味深い7 8。
*7 國分功一郎『中動態の世界』新潮文庫(2025年)
*8 以下の文章は、当職が同書について自分なりに理解したものとしての説明である。
私たちが中学校のとき、英語の授業では「能動態と受動態」という文法を習った。しかしながら國分氏は、古代のインド=ヨーロッパ語族において、なんとその二形態は、そもそも基本ではなかったと指摘する。そこにあったのは「能動態と中動態」という対立であった。
中動態とは、主語がその動作の外に立ってそれを引き起こすのではなく、動作の起こる過程の内側にいるあり方を指す。例えば「(人を)好きになる」という場面がある。それは自分で「する」と決めたこと(能動態)でもなければ、誰かに「される」こと(受動態)でもない。自分という場で、いつのまにか起きている事態である。「したのか・されたのか」という枠組みだけでは、こうしたありふれた経験すら捉えきれない。
ここでパワハラ行為が「中動態」であると主張するつもりもないが、パワハラが起きた場において、行為者の明確な「能動態」的行為だけでは説明がつかないことがありそうである。
もちろん、ここで当職は、パワハラ行為者を免責したいわけではまったくない。中動態の議論で注意したいのは「責任」と「意志」を分けるということだ。
「責任」とは”responsibility”、つまり「応答する」=”respond” 行為である。したがって、能動的な「意志」が無くとも、ある事態に応答してしまい、それを引き受けることにrespondとしての責任は伴う。
パワハラ行為者に責任はビシッと取ってもらうとしても、行為者個人の「意志」を重視しすぎることに、リスクがあるのではないか、ということである。
あの戦争は、まだ終わっていない
上記の中動態のあり様としての被作用性について、少し時代を遡ってみたい。
当職がそれを考えたきっかけは、元アナウンサーで現在はエッセイストの小島慶子氏が作家、平野啓一郎氏との対談の中で、わが国の病理として次のように述べていたことであった。
「私は、戦争によるPTSDをいまだに日本社会は引きずっている気がします。戦争に行った人たちのPTSDがちゃんとケアされないまま、それが結局、夫が妻を殴りつけたり、子どもに暴力を振るったりというかたちで、戦後の文化に投影されてしまったように思うのです。(略)その意味では、社会としてまだ戦争のトラウマの影響下にあるのではないかと思うんですよね。」9 10
*9 小島慶子『おっさん社会が生きづらい』PHP新書(2022年)
*10 タイトルから誤解されがちだが、同書は決して男性批判の書ではない。女性を含む日本社会全体の病理について検討するものである。
「あの戦争」は、総力戦であった。心の傷を受けたのは、被害を受けた人々、家族を失った人々、そして加害行為を行った兵員たちも含め、国民のほとんどすべてであったと言っても差し支えないだろう。
この点につき『戦争とトラウマ』という書籍では、当時、現在のようにトラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)といった概念が広く社会に受容されていなかったこと、そのような時代において心の傷がどのように表出して、社会に受け止められたのかといった点について、研究の蓄積が少なかったことが指摘されている11。
*11 中村江里『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』吉川弘文館(2018年)
当然ながら、人のトラウマとなる原因が戦争に限られるものでもなく、何かのトラウマを持つことが即パワハラ行為につながるものでは決してない。

ただ、わが国において夏という季節は、あの戦争を思い返す季節でもある。
あの戦争から生じたトリクルダウンについて改めて見つめることが、もしかしたら、今日ここにあるハラスメントと向き合うことになるのではないだろうか。
今年も暑い夏になりそうである。
