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統一的な会計ルールの不在
年代は前後するが、日本の会計制度史において、この時期に触れておかなければならない出来事がある。1962年(昭和37年)の商法改正(現会社法)である。
当時の日本経済全体を見ると、1949年(昭和24年)の立会開始当時の上場銘柄数は東京証券取引所で681、大阪証券取引所で523に過ぎなかった(現在は2026年4月末時点で3,924社)。それから8年後の57年(同32年)1月に始まった初年度の正規の財務諸表監査における被監査会社についても、その数は1,000社に及ばない程度だった。
それが第一次高度成長期の昭和30年代、わが国の株式市場は大きく拡大するとともに、被監査会社も1961年(昭和36年)末の時点で2,000社弱へと倍増することとなる。とはいえ、当時、日本全体では法人の数が60万社弱を数え、それに比べれば、法定監査を受ける企業数は微々たるものに過ぎずなかったのである。
そうした中、非上場も含めたわが国企業全体の会計を規定している法律こそ、ほかならぬ商法だった。ただし、商法自体は会計に特化したルールを持っているわけではなく、条文の中に断片的に会計規定が位置づけられているに過ぎなかった。

他方、1949年(昭和24年)に経済安定本部(大蔵省=当時=の前身)の企業会計制度対策調査会(企業会計審議会の前身)が定めた「企業会計原則」が、わが国のすべての企業が遵守すべき会計の基準であると規定している。しかし、企業会計原則が財務諸表監査を行うために策定されたという経緯もあって、事実上、上場会社向けの基準であり、その対象は証券取引法適用会社に限定されているというのが現実だった。
また、決算書についても、圧倒的大多数の企業では税法に基づいた実務規定の中で作成されている状況でしかなく、わが国すべての企業を対象とする統一的な会計ルールは事実上存在しないという有り様だった。
このような状況下で、商法と企業会計原則等を擦り合わせることを目的として検討が進められ、ついに1962年(昭和37年)4月、商法が改正されることになったのである。
企業会計原則の考えを一部採用した昭和37年改正商法
繰延資産の限定列挙
昭和37年の改正商法は企業会計原則の考えを一部採り入れたもので、中でも特筆すべきなのが資産の評価についてである。その代表例が、従来資産とは認めていなかった繰延資産について、改正商法ではこれを限定列挙ではあるが、一部認めることとなった。
繰延資産とは周知の通り、本来的には費用に分類されるものであっても、将来にわたって便益・利益が得られるようなものは資産として認められ、これに関しては支払い時に一括費用計上するのではなく、次期以降の費用とされる金額は、これを資産として繰越計上され、順次費用とされるものである。
これを踏まえ、商法では、繰延資産として、経過的に貸借対象費用に資産計上できるものについて、次の通り、8種類のものを限定的に認めるとともに、早期に償却することを求めたのである。それは、①創立費、②開業準備費、③試験研究費、④開発費、⑤新株発行費、⑥社債発行費、⑦社債発行差金、そして、⑧建設利息である。ただし、このうち、建設利息については、会社成立後、2年以上営業の全部を開業できない場合に、株主へ配当される利息であり、他の7つの項目とは性格を異にし、利益の前払いないしは資本の払戻しの性格を有するもので、あくまでも、経営政策的視点から容認される特殊な繰延資産である。
本来の繰延資産は、適正な損益計算を確保するために認められるものであり、「費用収益対応の原則」に則って、当該期間の収益獲得に貢献した費用額を損益計算書に計上するとともに、将来収益に貢献するものについては、これを資産として計上したものである。と同時に、これらの資産は、あくまでも収益獲得のために犠牲となった費用であり、換金能力を有していないといった特徴がある。
一方、明治の制定以降、「債権者保護」を最上位に考える日本の商法は、現金化できるものでなければ資産としては扱わず、ゆえに一部を除いて換金性のない繰延資産の存在を長らく認めてこなかったのである。
ところが戦後、企業会計原則をはじめ、日本においても会計の基本的な理念ないしは原則が普及・浸透し始める。企業会計的に重要なのは「期間損益の適正な計算」であり、換金価値がないとはいえ、真実な会計情報の作成の視点から、企業会計原則的視点が尊重されて繰延資産を計上することが容認されることとなった。
「引当金」規定の新設が招いた企業の利益圧縮
昭和37年改正商法で特筆すべきもうひとつの点が、引当金という考え方が新たに導入され、明文とし規定されたことである(第287条ノ2)。
引当金とは、これまた周知の通り、将来の支出・費用計上が見込まれるときにすでにその事実が発生していると考え、今期の費用として計上した結果、負債ないしは資産の控除として計上されるものである。例えば、将来における従業員の賞与や退職金、設備の修繕費用などに備えるといった負債の性格を持つものは、「負債性引当金」として計上される。また、売掛金や貸付金といった債権が回収不能になるリスクに備えた貸倒引当金は「評価性引当金」として、その見積額を費用計上する。
確かに、昭和37年の商法改正を機にこうした引当金の計上が初めて認められたわけだが、負債性引当金だけでなく、さらには、会計理論的には認められない「利益留保性引当金」(特定引当金)までも認められることになった。
利益留保性引当金は、企業側の任意による周年事業などで計上される費用がそれに当たる。例えば、3年後に創立50周年を記念した事業を実施する目的で、企業は「50周年記念事業引当金繰入額」として1億円といった具合に計上するわけだが、元より企業に周年事業を行う義務などなく、あくまでも、利益の圧縮に貢献する自己都合的な費用計上の結果に過ぎない。
この結果、企業は利益留保性引当金を計上することによって、恣意的に利益を操作・圧縮することが可能となり、実際にも、当時の多くの企業でさまざまな名目の利益留保性引当金が計上されるという事態が出現した。つまり、昭和37年の改正商法は、企業が各年の利益をならして実体よりも過少に表示することを許す道を開いたと言える。
もっとも、貸借対照表の負債の部に計上されるものの、利益留保性引当金が実質的には純資産の増加である以上、商法が至高とする債権者保護という見地に立てば、結果的に債権者を保護しているという解釈も成り立つ。
配当可能利益の上限規定と監査人の独立性
このような改正が施された商法だが、その実、すべての企業が従うべきとされる企業会計原則が全面的に反映され、日本における会計ルールの統一が成し遂げられたというには程遠いというのが実情であった。
実際、昭和までの日本の会計は「トライアングル体制」と言われてきた。企業会計原則での会計、商法での会計、税法での会計――この3つがそれぞれに絡み合って日本独自の会計制度というものを形成していたのである。学術界は3者の議論を研究対象にしたが、見方を変えれば、そこにアカデミズムが謳う「理論」など、どれほどに存在していたであろうか、はなはだ心許ないものを感じるのである。
会計をめぐっては、政治ないし行政は現状追認型を旨として、経済界の要望を概ね受け容れながら、そこそこの落としどころで手を打つ一方、そうした現実を前に学者は現状是認のための理論をこねくり回してきた。それが真実ではなかったか。
そのため、法定監査を最前線で担う公認会計士たちは、会計理論的には矛盾に満ちた内容であっても、商法や税法で認められた会計処理は「了」として甘受しなければならなかったのである。
過大配当は監査人の責任に非ずだが……
ところで、商法では、株式会社の配当可能利益について最高限度額が定められている。利益をいたずらに株主に分配することを禁じる趣旨であり、現金の社外流出を抑制する点から、繰延資産の限定列挙と同様に、まさに債権者保護を是とする商法の眼目に沿った規定なのである。
それから大きく時代は下り、商法から会社法へと変わったものの、同規定は今なお堅持されている。そのような中、2023年にとあるグローバル企業の中間配当で過大配当(違法配当)が露見するという事態が発生した。
ところが、同社は実務上のミスとして、株主には超過配当分の返還は求めないとしたうえで、創業者で大株主でもある当時の経営トップは監査人が見落としたことを声高に批判した。中間配当における配当可能額の決定は取締役会の責務であり、監査法人の管掌事項ではないにもかかわらず、である。
本来であれば、監査法人は毅然として自らに非がないことを示すべきところだが、沈黙はおろか、企業側の認識している事実と相違ないという追従的な声明を発表するという結末をたどった。
そしてその後、このグローバル企業で粉飾が発覚し当時の経営トップもその座から追われ、当該監査法人の責任も厳しく問われ始めていることは、察しの良い読者なら先刻承知であろう。
いずれにせよ、監査を担う公認会計士たちは独立性が高く謳われながらも、時に制度に、時に行政に、時に被監査会社に翻弄されてきた。このエピソードはその一断面にほかならない。
(#9につづく)
