フィンセント・ファン・ゴッホの《星月夜》と最高裁判例【遠藤元一弁護士の「ガバナンス&ロー」#9】
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夜空に謎が渦巻くゴッホの《星月夜》
日本人にはフィンセント・ファン・ゴッホのファンが多いというが、私もその1人である。中でも好きな作品のひとつが、MoMA(ニューヨーク近代美術館)に所蔵されている《星月夜》だ。
《星月夜》は、ウディ・アレン監督『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年公開)のポスターにも使われていて、この作品はゴールデングローブ賞脚本賞、アカデミー賞脚本賞などを受賞し、さまざまな映画祭で評価され話題となった。多くの美術評論家が、見るべき傑作の1枚として取り上げる、いわゆる「名画」である。
《星月夜》が描かれたのは、《タヒチの女(浜辺にて)》などで知られるポール・ゴーギャンとの南仏アルルでの共同生活が短期間で破綻、自ら左耳を切り落とすという有名な事件を起こした1888年12月から半年後のことだった。
耳切事件後、ゴッホは精神病院に収容、そこを退院したのち、アルル北東のサン=レミ=ド・プロバンスにある修道院療養所に入所し、1889年6月、その療養所の1室で描かれた絵だそうだ。そのような不安定な精神状態で描かれていることが影響しているのか、《星月夜》にはさまざまな“謎”がある。
多数の星が夜空に輝き、あたかも月があるかのように明るい夜空が星月夜なのに、なぜ月が描かれているのか……。その月の存在が気にならない程度に圧倒的な存在感のある、夜空に描かれた「巨大な渦巻」は何を示しているのか……。
天文学者である谷口義明氏によると、そもそも夜空に登場するはずのない、渦巻の正体について、①天の川、②太陽、③幻覚、④宗教観、⑤パリのセーヌ川、⑥渦巻銀河М51、⑦ミストラル(仏南東部に吹く局地風)、⑧葛飾北斎の浮世絵《冨嶽三十六景》の1図「神奈川沖浪裏」など、さまざまな解説があるとのことだ(谷口義明『ゴッホは星空に何を見たか』光文社新書、2024年11月)。
判例も“さまざまな解釈”の余地が生じる
「巨大な渦巻」の正体を解き明かすために研究者や美術評論家がゴッホの絵画研究に没頭し喧々諤々と議論が尽きないことは、《星月夜》の魅力をより一層高め、短くも濃密な人生を風のように駆け抜けた画家ゴッホの人間研究を一層豊かなものにするに違いない。
それとは対照的に、多様な解釈の余地が生じるべきでないのが、判例・下級審裁判例である。
これらについて多様な解釈が生じるのは、法的安定性、予測可能性を確保するという点から考えて好ましいこととはいえない。特に、最高裁の判例は、明文の規定はないものの、法的安定性、訴訟経済、裁判官としての職務上の義務などを根拠として、当該事件以外の事件について、先例として事実上の拘束力があるといわれている。
したがって、最高裁判例でさまざまな解釈の余地や選択肢が生じてしまうことは、下級審裁判所の裁判官次第でまちまちに理解され、その結果、多様な下級審裁判例が登場することになりかねない。そのため、そのような事態が生じることは回避する必要がある。
そこで、最高裁判決で実務上参考となる重要な判例については、最高裁判所の判決の趣旨や意図が正確に理解されるように、次のような手順・段取りが用意され実践されている。
① 最高裁のホームページで最高裁判決を公開する段階で、重要な部分と最高裁自身が考える箇所にアンダーラインを付記して公表することがある。
② ホームページ公開後、裁判所の内部広報誌、いわば裁判所版の“官報”である『裁判所時報』(月2回刊行)に掲載する時点で「民集・刑集掲載予定」と付記することによって、その最高裁判例が後に、「民集」「刑集」と呼ばれる公式判例集に掲載される重要な判例であることをアナウンスする。
③ 『金融商事判例』『金融法務事情』『判例タイムズ』『判例時報』といった判例・下級審裁判例を所収する法律雑誌に当該最高裁判決を掲載する際、最高裁判決の下準備を作成した最高裁調査官が“匿名”で、やや詳しい解説を書く。
④ しばらくしてから、法律雑誌『ジュリスト』に最高裁調査官が“顕名”で、数頁程度の簡易な解説を掲載する
⑤ 最高裁調査官の匿名・顕名解説が公表され、研究者・実務家が判例批評などを公表し、最高裁が判決を慣例により公式判例集に搭載した後、それら判例批評などを渉猟した最高裁調査官が法律雑誌『法曹時報』に判例の内容をより詳細に解説した「最高裁裁判所判例解説」を掲載する。
――このようにして、最高裁判決のいわんとすることを詳細に伝えるプロトコル(手順規格)が確立していて、さまざまな解釈の余地や選択肢が生じることを防止することにも寄与していると考えられる。
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