グローバルにビジネスを展開するうえで、海外の取引先や関与先の背景に潜むコンプライアンスリスクは、財務リスクと並んで、細心の注意を払うべき対象です。近年、各国当局はコンプライアンス上問題のある人物・法人の制裁リストをさらに拡充し、「二次制裁」も含めて違反者には厳罰で臨んでおり、日本企業も「知らなかった」では済まない時代となっています。
しかし、「財務面の与信チェックはまだしも、コンプライアンスチェックにまで手が回らない」「リスクは把握したいが、ビジネスのスピードも落したくない」といったジレンマを抱える企業も少なくありません。そこで、本シリーズでは、長年、企業の反社チェック等を支援してきた当社ディー・クエストのコンプライアンス調査部が、海外コンプライアンスチェックの第一歩である「KYCチェック」を中心に、その基礎から実務上のポイントまでを複数回にわたって解説します。第1回目は「そもそもKYCって何?」――。
日本企業がグローバルに事業を展開するなか、「KYC」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。
「そんな言葉、聞いたことがない」
「言葉自体は知っているけれど、具体的にどのような点に注意したらよいのか分からない」
……このようにKYCという言葉に触れた際、知らない、明確に説明できない、あるいは曖昧なイメージしか持っていない方も多いのではないでしょうか。
国際的な法規制や制裁対応が複雑化するなか、取引先やビジネスパートナーに関するリスクの有無や程度をどう確認し、判断すべきか、実務上の基準に悩む場面は増えています。
本稿では、「そもそもKYCとは何を確認し、調査することなのか」ということを、基礎から整理し、海外取引や事業展開においてどのようなプロセスが必要とされるのか、その実務上のポイントを解説します。
「海外KYC」とは?
KYCは「Know Your Customer」の略称であり、日本語では「顧客確認」や「取引先確認」と呼ばれます。
金融機関が口座開設時などに行う本人確認においては、不正送金、マネーロンダリング(資金洗浄)への悪用や、国際的な制裁違反を防ぐことを目的として、当人の身元やリスクの有無を事前に客観的な情報で確認する一連のプロセスを指します。わが国では、KYCは金融機関と関連付けて認知されている傾向が強いように思われます。
一方、一般的な事業会社においては、国際的な経済制裁規制への違反や反社会的勢力との取引、汚職への関与といったコンプライアンス上の重大なリスクを回避し、自社の企業価値や信用を守る目的で行われます。具体的には、制裁リストや公的情報、報道データベースなどと照合し、客観的なリスクの有無や程度を確認し、調査する一連のプロセスを指します。
本稿ではこれから、後者のKYCについて取り上げていきます。
KYCで確認・調査する主な項目
それでは、KYCにおいて「客観的なリスクの有無を確かめる」とは、具体的にどのような情報を確認し、照合することを指すのでしょうか。
対象が法人(取引先企業)であっても、個人(取引先の代表者・役員、個人事業主など)であっても、確認・調査する主なリスク項目はほぼ共通しています。具体的には、主に以下の4つの要素についてネガティブな情報の有無を照合します。
経済制裁・ブラックリストの該当性
各国政府や国際機関(OFAC*1、国連、EUなど)が指定する経済制裁対象リスト(SDNリスト*2等)に掲載されていないか。
*1 Office of Foreign Assets Control(米財務省傘下の外国資産管理局)。
*2 Specially Designated Nationals and Blocked Persons List(特別指定国民および資格停止者リスト)。米財務省(OFAC)が管理する制裁・禁輸措置対象者のブラックリスト。テロリズム、麻薬密売、米国の安全保障上問題のある団体、個人等が対象となる。
行政処分・重大な法的リスクの履歴
過去に汚職、贈収賄、詐欺、脱税などの重大な事件・違法行為に関与し、公的機関からのペナルティを受けていないか。
ネガティブニュース(報道情報)
主要メディアや業界ニュースにおいて、事件性のある不祥事や疑惑が報道されていないか。
PEP(政治的公職者/外国公人)該当性
外国の政府高官や政治家(PEP*3)、あるいはその関係者ではないか(公務員への贈収賄・汚職リスクの確認)。
*3 Politically Exposed Persons(重要な公的地位にある者)。
各項目を調べる理由とは?
➀経済制裁・ブラックリスト(SDNリスト等)
「知らなかった」では済まされない壊滅的ペナルティ(二次制裁リスク)の回避
OFAC(米国財務省外国資産管理局)をはじめとする各国政府や国際機関の経済制裁対象と取引等を行うと、自社までもが制裁対象(二次制裁)に指定されたり、口座が即座に凍結されたりするなどの壊滅的なペナルティを受けます。
国際的な安全保障や経済制裁の枠組みにおいては、「知らずに取引してしまった」「単なるチェック漏れだった」といった過失や言い訳は通用しません。一度指定を受けてしまえば、国際的な金融システムや取引網から完全に排除され、企業の事業継続そのものが不可能になります。自社を壊滅的な法リスクから守るための「絶対条件」として、最優先でのスクリーニングが必要なのです。
②行政処分・重大な法的リスクの履歴
「不正への巻き込まれ」や「サプライチェーンの断絶」を未然に防ぐ
過去に脱税、粉飾決算、環境汚染、労働法規違反などの重大な刑事罰や行政処分を受けた事業者は、組織的・体質的にコンプライアンス意識が欠如している懸念があります。
このような企業と無警戒に取引を行うと、自社が違法行為の「共犯」として巻き込まれるリスクが生じます。また、仮に取引が外形上問題なくスタートしたとしても、相手方が再び深刻な法執行や行政処分を受けて突然の操業停止や破産に追い込まれ、自社のサプライチェーン(供給網)や調達ルートが寸断されるといった大打撃を受ける懸念もあります。
③ネガティブニュース(報道情報)
法的違反の手前に潜む「レピュテーションリスク(評判被害)」の早期察知
公的な制裁リストや行政処分歴といった「公式記録」に載っていなくとも、事件性のある不祥事(裁判トラブル、詐欺疑惑、反社会的勢力との関係性、経営陣の暴行・ハラスメント事件など)が報道されているケースは決して少なくありません。
たとえ法的リスクが確定していない段階であっても、こうした「疑惑」や「不祥事」を抱える企業・個人と取引を継続していると、市場やメディア、そして近年ではSNS上で「不祥事を認識しながら資金を提供している」「コンプライアンス意識の低い企業だ」といった風評が流布される可能性があります。
結果として、自社のブランディングが失墜するだけでなく、既存顧客からの解約、株主からの追及、さらには取引銀行からの融資の打ち切り、といった取り返しのつかない信用失墜を招くことになりかねません。
④PEP
「公的な権限」に伴う汚職リスクと、国際的な反贈収賄法(FCPA等)への対応
上記➀~③の項目について、ネガティブな項目に該当しないかチェックすることの正当性は比較的分かりやすいものと言えるでしょう。しかし、前出のPEP(重要な公的地位にある者)については、「政治家や政府高官と取引すること自体は違法ではないのに、なぜ調べる必要があるのか?」といった疑問を持つ方は多いのではないでしょうか。
PEPを調べる理由は、彼らが「公的な権限や予算を握っている立場」にあるためです。外国の政府高官や公務員が関与する取引では、「権力を使った不正な利権誘導」や「公金の横領・賄賂の授受」といった重大な汚職リスクが格段に高まります。
このような汚職に対して、例えばアメリカにはFCPA(海外腐敗行為防止法)という厳しい反贈収賄法があります。FCPAでは、外国公務員に対する不正な利益供与(賄賂)が厳しく禁止されています。また米国以外にも、各国で同様の厳しい反贈収賄法が存在します。
もし知らずにPEP関連企業と取引し、後から「その取引は贈収賄や不正な口利きによるものだった」と追及された場合、当然ながら、レピュテーションは著しく悪化することになります。また、疑惑を端緒にして当局による捜査にさらされる可能性も否定できません。
そのため、PEPに該当する場合は「本当に通常の適正な取引なのか」をより慎重に確認・判断する必要があるのです。
KYC実務上のポイント
取引先が法人の場合、企業名だけでなく、その代表者や主要役員(個人名)も併せて上記項目について照合することが重要となります。企業自体に外形上問題がなくても、経営陣個人が重大な制裁対象になっているケースがあるためです。
調査対象が「該当あり」となったら……
以上4項目がKYCにおける主なチェック事項です。ところで、これらの照合結果において、仮に「該当あり」となった場合は、即、取引を停止するなど、関係性を遮断する措置を講じるべきなのでしょうか。実は必ずしも、そうとは言えず、たとえば以下のような点においては、総合的に取引判断を行うケースもあり得ます。
● 過去の行政処分や事件: その後に社内体制や経営陣が刷新され、法令遵守の徹底や企業倫理向上を図る「コンプライアンスプログラム」が導入・運用されて健全化しているか
● メディア報道(ネガティブニュース): すでに当事者間で解決済みのトラブルや、事実関係が確定していない不確定情報にとどまるものか
● PEP該当: 取引自体は違法ではないため、通常以上の慎重な確認(背景や取引の適正性)が行われているか
KYCの目的には、「リスクに関する客観的な事実やその背景を可視化し、自社が適正な確認・判断を行ったというプロセス(証拠)を残すこと」という側面もあります。あらかじめリスクに関する情報を正確に把握・管理しておくことで、自社が適切な意思決定を行い、社内外への説明責任を果たすための判断材料とエビデンスを確保できます。
