公訴棄却勝ち取った“当事者”の人知れぬ胸中【逆転の「国際手配3000日」#3】
有吉功一:ジャーナリスト、元時事通信社記者
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(前回までの記事【米司法省が訴追した「日本人外銀マン」逆転の“国際手配3000日”)ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)“不正”操作事件に関与したとして米国で起訴されたオランダの金融大手、ラボバンク東京支店の元マネジングディレクター、本村哲也氏(52)に筆者が初めて会ったのは、2018年5月だった。当時、本村氏側は、まずは「ボーダーウオッチ」(出入国監視)の取り下げを目指していた。
本村氏を支えた入江源太弁護士(麻布国際法律事務所代表)は、起訴取り消しまで勝ち取れなかったとしても、ボーダーウオッチの取り下げで「実質勝利」と想定していた。ボーダーウオッチの対象から外れれば、軽微な交通違反で警察に取り囲まれる(#1参照)ような事態はなくなるはずで、海外渡航も自由にできるようになると見られたからだ。
「不正はしていない」信念はブレず
「今がラストチャンスだと思う。LIBOR事件は古いケースだし、DOJ(米司法省)も苦労している。正式なトライアル(陪審裁判)をやっても崩せる」
こんな入江弁護士の強気姿勢とは裏腹に、本村氏は「1ミリも期待していなかった」と振り返る。
筆者も、泣く子も黙る米司法省を相手に起訴を取り消させるのは、かなり難しいのではないかと感じていた。裁判になって蓋を開けてみれば司法省側が負ける事例もないわけではないが、裁判もせずに起訴を取り下げれば、司法省としては自らの過ちを認めることになる。しかも相手は米国民ではなく、拘束されるリスクがあるため、米国に乗り込んで来られない外国人なのだ。
事態をなかなか打開できない中でも、不正に手を染めていないという本村氏の信念自体がブレることはなかった。同年5月の取材で、自身にかけられた嫌疑をどう受け止めているか質問したところ、こんな答えが返ってきた。
「まったく不正ではない。要は社内で『今日のレートをどうする?』という話なので。しかもその時、リーマン・ショック(08年9月)の直後で、金利自体が存在しない状態だった。そもそも、ないものに“金利を付けなさい”ということ自体が難しい状態だった」
また、LIBORは期間1年までの短期金利指標だが、本村氏は長期債ディーリング部門の責任者だった。
「ぼくらみたいに長期のディーラーにとって、LIBORは正直どうでもいいんですよ。LIBORが0.1%動いても、インパクトとしては数十万円単位でしかない。当時私が動かしていたポジションは1日当たり億単位だったので、そもそもLIBORを操作するインセンティブがない」
LIBOR事件の「首謀者」とされた英国人の元トレーダー、トム・ヘイズ氏の話題(#1参照)を持ち出すと、「一緒にしないでほしい」と言わんばかりの口ぶりだったのが印象的だった。
「そもそも論として、トム・ヘイズたちは本当に別の銀行のトレーダーたちと共謀して(提示データを)上げたり下げたりしていた。ぼくらは社内で、しかもロンドンのトレーダーが『今日の円の市場どうだった?』と、東京のトレーダーに聞くのは当たり前のこと。で、『今日の東京市場はこうだった』という話をしたのが、カルテル(実際は共謀)だと言われている。本当に“東京裁判”状態です。あとから難癖をつけられて、いきなり罪つくられて、それでアウトみたいな……」
だが、当時の当局や世論の一般的な受け止め方は違った。デイヴィッド・エンリッチ『スパイダー・ネットワーク 金融史に残る詐欺事件――LIBORスキャンダルの全内幕』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の記述にあるように〈彼ら(トレーダーら)はやりすぎた。やりすぎることで金を稼いだ。モラルや倫理観をうち捨てた。だからきっと、法律も犯しているに違いない〉というわけだ。
世論はつまり、“戦犯”を探していたのだ。
ただし、本村氏に関しては、(1)LIBOR=短期金利の直接の担当者ではなかった、(2)他社のトレーダーらと“共謀”していない、(3)私腹を肥やしていない(LIBOR事件で摘発されたトレーダーらの中には個人的な利益を得ていた者もいた)――ことから、最初からシロだったと言える。
にもかかわらず、入江弁護士と、協力先の米コビントン・バーリング法律事務所の弁護士が米司法省に直談判したところ、当初は良い感触が得られなかったという。しかし、2022年1月に第2管区連邦控訴裁がドイツ銀行の元トレーダー2人の有罪判決を破棄する判断を示したのを受け、司法省と改めて交渉。そこからようやく、事態は動き始めた。
そして昨年7月27日、本村氏は朗報を受け取った。「こんな日が来るとは思ってもみなかった」。本村氏はその夜、勝利の美酒を心から楽しんだ。
司法省との司法取引で本村氏らに不利な証言をした元同僚については、「個人的な憎悪はない」と言い切った。「憎悪は長続きしないし、何も生まないと思っている」
本村氏は現在、シンガポールから“夜逃げ同然”で帰国して以来、続けてきたビジネスを順調に成長させている。長かったLIBOR事件との付き合いからも、「もう卒業した」との思いだ。
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