前回記事
公認会計士法改正直前の「昭和41年大蔵省通達」
リコー時計、山陽特殊製鋼のみならず、その後も昭和40年代において上場会社の粉飾経理が相次いで発覚する。粉飾に手を染めた被監査会社に加え、法定監査(証券取引法に基づく監査制度)の担い手である公認会計士に多くの逸脱行為が指摘されたのである。このことから、法定監査を監督する大蔵省(当時)、そして日本公認会計士協会も何らかの対策を講じなければならないということで、数々の取り組みがなされることになる。
そこで今回は、大蔵省の複数回にわたる通達と、1966年(昭和41年)の公認会計士法改正、さらに同改正法で創設された監査法人制度について触れたい。
公認会計士の独立性への懸念
粉飾経理の頻発について特に大蔵省の公認会計士監査に対する危機感は強く、監査の充実を図るよう、1966年(昭和41年)を皮切りに、昭和40~50年代にかけて公認会計士協会に対して複数の通達文書を発出している。
その「大蔵省通達」第一弾である昭和41年5月の「日本公認会計士協会に対する要請」では、「厳正な監査の実施について」と題して、以下の内容の文面が発出されている。
すなわち、昭和41年の大蔵省通達は、「証券取引法に基づく監査制度は、会計に関する職業的専門家として法律によつて職域を保護されている公認会計士が、有価証券報告書等に記載された財務諸表に対して監査証明を行なうことにより、企業の真実な経理内容の公開による投資者保護を確保するためのもの」との認識を示している。にもかかわらず、上場会社で粉飾経理が頻発している状況について、「監査人が公共的使命をおびた公認会計士としての職責を十分に果たさなかつた事例が相当数見受けられ」るとして「遺憾」の意を表明している。
そして、1966年(昭和41年)3月期決算以降は、そうした粉飾経理が罷り通る「事態を一掃」し「投資者保護の徹底を図る必要がある」として、日本公認会計士協会が会員に対して以下の点に「特に留意」するよう「周知徹底」を図り「その指導に万全を期」すことを強く要望している。
1.監査の実施に当つては、職業的専門家としての正当の注意をもつて行ない、粉飾経理の事実が認められる場合には、直ちにこれを是正するよう被監査会社に対して厳重に勧告すること。(後略)
2.監査意見の表明に当たつては、自主独立の精神に徹して厳正に行うこと。/(中略)被監査会社の都合、将来の収益等を考慮して事実に反した意見表明をすべきでないことに特に留意すること。
3.監査意見の表明に関して、被監査会社との間に意見の不一致その他判断を困難ならしめる事態が生じた場合には、その旨日本公認会計士協会に申し出で、協会はこれに対して適切な指導を行うこと。なお、公認会計士が公正な監査意見を表明したことのみを理由に被監査会社より交替の申し出をうけた場合には、当局においても必要に応じこれに対処することを考慮したい。
そもそも、1950年(昭和25年)の証券取引法の改正時に導入された上場会社に対する公認計士監査(第193条の2)については、当初より、「公認会計士の監査証明」との表現を採用してきている。しかし、監査人については、会計記録の適否に関する意見の表明を業務とする者であり、会計に関する客観的な事実の存在、不存在を証明する者ではないことから、監査の結果の報告について、これを「証明書」と称することは適当ではなく、あくまでも、「監査報告書」と称すべきものなのである。恐らく、大蔵省側が、単なる「監査報告」ではなく「監査証明」としていることについては、監査人の責任を重く考えている監督庁としての意図が読み取れるのである。また、通達は「投資家保護」ではなく「投資者保護」としているが、これは現時点での株主だけでなく、過去、現在および将来の株主も含まれる、より広い概念を総称するものとされる。
ところで、監査証明という表現をはじめ、通達全体としては、監査人である公認会計士の職業的専門性や自主性、独立性といった「基本理念」を強調しているが、上記の項目3にあるように、監査担当の公認会計士に対して、被監査会社側が監査人の交替という強硬手段に及んだ場合は、当局の介入・助勢もあり得るような表現となっており、自由契約での監査契約でありながら、当局が健全かつ正当な監査を担保するための後ろ盾になる、との意向が示されているのである。

公認会計士法の改正:会計士協会の特殊法人化と監査法人の創設
言い換えれば、大蔵省は個人資格の公認会計士では被監査会社、すなわち、巨大組織というべき上場会社とは対向できないと考えていたと言えよう。こうした状況も踏まえて、その後、「組織的監査」の移行促進へと傾斜していく。
先の大蔵省通達から1カ月後の1966年(昭和41年)6月、監査制度の強化と、公認会計士制度の自律性向上を図るべく、公認会計士法が改正・公布される(同年7月施行)。同改正法には日本公認会計士協会の特殊法人化とともに、監査法人制度の創設が盛り込まれることとなる。
会計士の「日本公認会計士協会」への加入義務化
まず、公認会計士協会の特殊法人化に触れると、1949年(昭和24年)10月に発足した当初の法人格は任意団体でしかなく、53年(同28年)に社団法人に改組されたものの、公認会計士全員の加入は義務付けられていなかった。
一方、リコー時計の粉飾経理に関与した会計士の懲戒処分を発出した直後の1963年(昭和38年)6月には会員に対して「独立性の保持について」と題した声明を出し、その後の粉飾事案でも会員への懲戒処分を課していたのは、すでに指摘した通りである。
しかし、加入・非加入は自由という “有志の集まり”に過ぎなかったため、会計士全体からしてみれば、公認会計士協会の処分は痛くも痒くもないというのが実情だった。事実、非加入の会計士も相当数存在していたからである。
それが昭和41年の公認会計士法改正で、協会は公認会計士が設立する唯一無二の法人として特殊法人化された。その結果、わが国におけるすべての公認会計士は日本公認会計士協会の会員になることが義務付けられる。つまり、協会に会員登録をしなければ公認会計士という資格称号は使えず、独占業務である監査に携わることが出来なくなったのである。
1966年(昭和41年)に制定されたこの制度が今日まで続いているわけだが、今年2026年でちょうど60年という節目の年を迎えた。果たして、日本公認会計士協会が60年前に規定された在り様のままでよいのかどうか、下記に示す監査法人制度と並んで、再考すべき時期が来ているように思えてならない。
会計士の個人事務所から発展する新設の「監査法人」
さらに昭和41年の改正公認会計士法では、大蔵省が公認会計士の個人資格による法定監査の実効性を憂慮していたことを反映して、組織的監査に道を開く規定が設けられる。それが、わが国独自の制度としての監査法人制度の新設である。これは、公認会計士法上の特別法人として機能することが想定されており、今日に至るまで、わが国の法定監査の主たる担い手になっている。
新たに設けられた条文では監査法人を構成する「社員」は公認会計士のみから成り、社員数を5人以上と規定、業務執行者であると同時に出資者でもある社員が全体で無限連帯責任を負うという、合名会社に近い法人形態となった。また、設立には大蔵大臣の認可が必要とされた。
その結果、法改正翌年の1967年(昭和42年)1月に第1号の監査法人が誕生する。監査法人太田哲三事務所(現在のEY新日本有限責任監査法人の源流、以下同)である。会計学者であり、日本公認会計士協会初代会長を務めた実務家でもあった太田哲三(1889~1970年)の個人事務所が法人化したものだった。
これまでにも触れた通り、当時の公認会計士はみな、個人で開業していたため、それら会計士個人が寄り集まって監査法人に移行・発展していくという経緯をたどったのである。
翌1968年(昭和43年)には等松農夫蔵や青木大吉らが等松・青木監査法人(現在の有限責任監査法人トーマツ)を設立。また同年には村山徳五郎らが監査法人中央会計事務所(のちの中央青山監査法人)、さらに69年(同44年)には尾澤修治が監査法人朝日会計社(現在の有限責任あずさ監査法人)をそれぞれ設立する。その後、監査法人間の吸収・合従が進むことになるが、歴史をたどると、すでにこの時点でのちの「四大監査法人」が出揃った格好となったのである。
「昭和43年大蔵省通達」で示された組織的監査への移行促進
昭和41年公認会計士法の改正・公布によって監査制度の充実が法律的に図られたとはいえ、実態は当局が望むものには程遠い状況が続いた。そのため、1968年(昭和43年)2月、大蔵省は改正法で特殊法人化された日本公認会計士協会に対して、新たな通達「公認会計士監査の充実強化について」を出す。
本通達で同省は、当局においては「公認会計士の監査の水準の向上につとめてきた」としながら、当時の状況を以下のように問題視する。
最近に至つてもなお、有価証券報告書等の虚偽記載及びこれに関連して公認会計士による虚偽又は不当の証明が跡を断たず、また、監査のきわめて不十分な事例も少なからず見受けられます。これらの事実からみると、企業経営者の粉飾経理に対する認識はいまだ十分に改められてないことが痛感されるとともに、公認会計士の監査体制においても、独立性の維持、監査の水準等に問題があると認められます。
(中略)
すみやかに公認会計士監査の充実強化を図る体制を確立し、社会の期待にこたえる必要があると考えます。
かかる問題意識の下、日本公認会計士協会に対し「1.監査水準の向上」では、被監査会社の業種や規模に応じて標準的な監査日数・人員の設定や、粉飾経理等の不適切な監査に関与した会計士に対する自発的な監査契約解除の促進など、会員である会計士への指導が要請された。
そして、「2.組織的監査の推進」では以下の要請がなされた。
(1)監査に従事する公認会計士の数について基準を設ける等、共同監査の促進を図るよう会員を指導すること。
(2)監査法人の設立について会員を指導すること。なお、当局としては、おおむね二年後には一定規模以上(たとえば、資本金五十億円以上)の会社に係る証券取引法の監査は監査法人に限ることが望ましいとする方針のもとに、現在そのための具体的措置を検討中である。
改正法施行に伴って監査法人が設立され始めたとはいえ、いまだ個人事務所主体の法定監査が大勢を占める時代にあって、組織的監査へと移行するよう大蔵省の方針が明確に示された通達だったと言える。
「昭和44年大蔵省通達」に見る会計士協会と監査法人の今日的課題
時系列的見ると、昭和43年の通達と前後する形で監査法人の設立が相次ぐが、大蔵省はさらに翌年の1969年(昭和44年)11月、今度は「公認会計士監査の資質向上について」と題する通達を公認会計士協会に対して発出する。
その本意を端的に言うと、先の昭和43年通達「公認会計士監査の充実強化について」の内容を会員である公認会計士に徹底させるよう、協会に求めるものであった。ただ、そこには現在の日本公認会計士協会、および監査法人のあり方に相通じる要請が含まれている。
通達は要請項目の2において、法令違反行為があった会員に対する厳正な措置に加え、「公認会計士全体に対する社会的信頼性を高めるために必要と認められる指導・監督を強化する等、貴会(「日本公認会計士協会」のこと、筆者挿入)の自律機能を高めること」を日本公認会計士協会に求めている。
繰り返しになるが、昭和41年の改正公認会計士法で、日本公認会計士協会はわが国すべての公認会計士を統合する全国唯一の特殊法人へと移行した。そうである以上、協会は会計士に対する監視・監督を自律的に果たさなければならないというわけだが、これは現在の「自主規制団体」に歩み出す端緒と言えよう。
つづく要請項目の3では、「監査法人制度は、監査水準の向上および監査の組織化の観点からこれを推進してきたところであるが、すでに設立された監査法人についても、一層組織的に充実した監査を実施するために、監査法人自体の管理体制の確立、審理機能の強化等について検討すること」としている。
本通達時点で監査法人制度は新設されて3年にも満たない。そうした状況下で、すでにこのような提言がなされていることは特筆に値する。時代は大きく下り、2017年には「監査法人の組織的な運営に関する原則」(監査法人のガバナンス・コード)なるものが策定されることとなるが、半世紀近い前にその萌芽があったのである。
さらに昭和44年通達から9年後の1978年(昭和53年)9月、大蔵省は日本公認会計士協会に対し4回目の通達「公認会計士監査における組織的監査の徹底と独立性の保持について」を出すことになるが、これについてはのちに触れたいと思う。
「会計士の公共性」を問うた朝日新聞の投書
ところで、本稿の最後で少し個人的な記憶を付記しておきたい。
1975年(昭和50年)2月6日の『朝日新聞』の投書欄「論壇」に、2社の法定監査の責任者を務める公認会計士による「法定監査と会計士の苦悩――公共性と営業性が反する現状」と題する一文が掲載されていた。内容は、公認会計士として、法定監査の公共的使命という理念は分かるが、公共性を貫くことで、生活権を犠牲にすることが多い実情があまり知られていないというのである。
投稿者は、さらに、監査制度をもって、「金をもらって相手の悪口を言わす制度である」とまで極論している。ちょうど会計監査人制度がスタートする時期に、このような考えを開陳している公認会計士が存在していたという事実は、等閑視することができないばかりか、わが国の公認会計士が自立し得ていない時代背景を如実に示しているように思われる。
結論として、「法定監査に公共性を要求するならば、制度全般に公共性を打ち出さなければならない。それには出発点である監査契約の段階で、公共性を取り入れ、日本公認会計士協会と企業との契約とし、個々の会計士が監査を担当するという仕組みに改革することによって、すべてが一挙に解決するのである。」と提言している。
少なくとも、当時の個人事務所の立場での監査に代わって、監査法人の立場での監査に移行することにより、こうした、公共性と営業性の板挟みは解消に向かったかもしれない。
その後、この投書を題材に大学で議論したものだが、それから半世紀余り。果たして、会計士の公共性や独立性という問題は今日、すでに解決し得たものであろうか。近時の粉飾事例を見るにつけ、いまだ解決からは程遠い状況と思えてならない。
(#8につづく)
