内部通報制度はどうあるべきなのか。有識者に聞くシリーズの初回は、通報者・告発者の代理人を務めるなど、内部通報事案に携わってきたアムール法律事務所の大渕愛子弁護士。最近では、内部告発者の情報持ち出しの可否をめぐる事件の一審判決で、告発者側の勝訴を勝ち取った。改正公益通報者保護法から内部通報者の覚悟まで、大渕弁護士が考える内部通報制度の在り方とは――。
内部告発者に対する会社側の損害賠償請求訴訟の行方
――大渕先生は米医療機器メーカーの日本法人と公立病院眼科医の贈収賄事件で、警察に告発した元社員が会社側から情報を持ち出したとして損害賠償請求を受けた訴訟の代理人を務められています。東京地裁は昨年2025年12月、情報の持ち出しは公益通報目的だったと認定し、会社側の請求を棄却。一審では元社員側が勝訴している状況です(現在、控訴中)。
大渕愛子弁護士(以下大渕) 公益通報者保護法では「公益通報によって損害を受けた」という主張で訴訟を起こしてはいけないと条文で規定されていますが、公益通報のために情報を持ち出したことについての訴訟は禁止されていません。ですから、今回のように公益通報の準備行為、つまり、情報持ち出し等を理由に企業側が告発者や通報者を提訴するケースはありましたし、今後も起こり得る事件でしょう。
ただ、私たちが原審でいただいた判決の中で、裁判所は《持ち出した資料の中に公益通報の対象事実と直接の関係がない情報が含まれているとしても、無関係な事実であることを知りつつ、ことさらに持ち出したという事情が認められない限り、無関係な情報の持ち出しのみを切り取って、違法性を認めることは相当ではない》という一種の規範のようなものを示してくれました。
通報者が公益通報をするために情報を持ち出す場合、公益通報に必要のないものも含まれるケースがあります。素人ですから、公益通報に必要なものだけでなく、周辺の情報を間違って持ち出すことは当然に起こり得ることなのです。そのような中で、裁判所が「無関係な事実であることを知りつつ、ことさらに持ち出したという事情がない限り、違法性は阻却される」と広めに違法性の阻却を認めたことは、非常に大きい意義を有しています。公益通報・内部告発者の保護につながる重要な判決だと考えています。
解雇・懲戒への「刑事罰」導入も企業の意識・行動が変わらない理由
――ところで、令和7年改正の公益通報者保護法が今年2026年12月に施行されます。改正法では、「公益通報を理由とする不利益な取扱いの抑止・救済の強化」として《公益通報を理由として解雇又は懲戒をした者に対し、直罰(6月以下の拘禁刑または30万円以下の罰金、両罰)を新設する》と、公益通報を理由とする解雇や懲戒に直罰規定が設けられました。これまで、民事上の争いにとどまっていた問題に刑事罰が導入されることで、企業側の意識や行動にどのような変化が生じると考えますか。
大渕 刑事罰が導入されたことは“法律上”は大きな改正ですが、実際には、企業側の意識や行動に大きな変化は生まれないでしょう。刑事罰を科すというのは、基本的に警察が捜査に入って検察が起訴して裁判所の判決で有罪になるということですが、公益通報を理由とする解雇や懲戒について、そのプロセスが踏まれるというのは、イメージが湧きづらい。
今年12月の改正法施行後に実際の事例が出てくれば変わってくるでしょうが、それまではどういった形で運用されるのか、様子見だと思います。あくまでも、今後、公益通報を理由とする通報者への報復に対して、行政や司法がより厳格になる第一歩、と考えておいたほうがよいでしょう。
通報後1年以内は「処分NG」か、立証責任の転換で激変する人事労務
――改正法では《通報後1年以内の解雇又は懲戒は公益通報を理由としたものと推定する》と立証責任の転換も明示されました。企業法務を多く手掛ける弁護士の立場から見て、企業側の行動はどうなるでしょうか。
大渕 通報者に対して通報から1年以内に解雇や懲戒の処分を下すことのハードルは非常に上がったと言えます。そういった意味で、私が企業にアドバイスをするとしたら、「原則として、通報から1年以内はいかなる処分も行なうべきじゃない」ということです。
弁護士の立場からしても「推定」を覆すことは非常に難しいですし、企業側もそのリスクを取ってまで通報者に何らかの処分を下すというのは、犯罪行為で警察に逮捕されたなど“余程の事”がない限り極力控える運用になると思います。通報から1年以内に解雇や懲戒の処分を下せば、その理由を裏付ける十分な客観的エビデンスがない限り、解雇や懲戒は違法になりますから。
通報者の勤務態度が悪いとか、営業成績が悪いといった程度の理由では、解雇や懲戒処分が公益通報を理由としたものであるという推定を覆すことはできません。公益通報とは別の理由による処分であることをきちんと立証できない限り、やはり通報を理由とした処分だと認定されるわけです。
ただし、逆に、通報から1年が経過したら通報者に処分を下しやすくなると捉えることもできます。当然、処分に至るエビデンスをしっかり確保し適正な手続きを踏むことが求められますが、仮に「通報から1年経過したら解雇または懲戒」といった運用がなされるとしたら、果たして改正法は通報者保護になるのか、という疑問は残ります。
相談から「泥沼の訴訟」へ発展する、通報者の追い詰められる心理
――これまで内部通報や内部告発の関連訴訟等に弁護士として関わってこられた経験から、従業員が通報に至るまでの心理とはどのようなものでしょうか。
大渕 私が弁護士して関わってきた経験の中で、悪意を持って会社を貶めるために通報をする人はいなかったし、そういう人に出会ったこともありません。最初はみなさん、「何かおかしいな」と自分の正義感に従って純粋な気持ちで上司に話してみる。つまり、通報ではなく相談から始まるものです。
ところが、会社や上司が相談者を“悪者”にするような行動を取ると、相談者は不当な扱いを受けたと感じて内部通報、さらには内部告発へと進み、場合によっては、その後もずっと戦っていかなければならなくなる。通報者の“追いつめられて行く心理”と“追いつめられたから進むしかない状況”は、戦わざるを得なくなった通報者に共通するものではないかと思います。
相談など、初動の段階でお互いが理解する努力をしていれば、最悪な場合、何年にもわたる訴訟などしなくて済むわけです。裁判になれば企業にとっても負担になりますし、通報者にとっても負担になっていく。両方とも引くに引けなくなって紛争が拡大していってしまう。こうした例は後を絶ちません。
法改正でも残る課題:立証責任の転換と「左遷人事」のグレーゾーン
――法改正後に残された課題としては、どのようなものがあるとお考えでしょうか。
大渕 ひとつは、公益通報者保護法が対象とする通報対象事実が限定されていることです。驚かれる方が多いのですが、法律上は、通報対象事実が範囲の狭い刑事罰や過料などにつながる違法行為でなければ、公益通報者として保護されないという内容になっているのです。そこが厳しい。
通報者は「何かおかしい。法律違反ではないか」と思ったところからスタートしているので、通報内容が刑事罰や過料につながる事案かどうかまでは考えていませんし、知らないケースも多い。そのため、通報内容が通報対象事実に入っていないという場合があるのです。
もうひとつが、通報したことによる不利益取扱いとの因果関係です。
先ほどお話したように、公益通報と不利益取扱いの因果関係の立証は非常に難しいので、令和7年改正では、通報から1年以内の解雇・懲戒に限って立証責任の転換が新たに設けられたわけですが、一方で「通報者がずっと解雇や懲戒から守られているのはおかしい」という企業側の立場もあります。企業側には人事権がありますから。そういった意味で今回の改正法では「1年以内」が限界だったのかと思います。
――従業員であれば、人事異動で他部署への異動や配置転換などもありますが、「左遷人事」と明示されるわけではありません。
大渕 企業側の人事権を侵さないためにも「懲戒と解雇」に限定しているわけですが、通報後、仮に1年以内であっても、左遷と見做されるような人事異動や配置転換には網を掛けきれていない。そうした課題も残されていると言えるでしょう。
「濫用的通報」を防ぐカギは「従業員への周知」
――先ほど、「会社を貶めるために通報をする人はいない」とおっしゃっていましたが、今回の改正法審議では一部で「濫用的通報」の問題が懸念されていました。
大渕 一口に濫用的通報といっても、本当に会社が憎くて迷惑をかけてやろうと通報する人もいれば、何が間違っているのか分からないという通報者の判断の甘さゆえに濫用的通報になるケースもある。ただ両方とも、企業からしてみれば、迷惑な行為です。
だからこそ、企業は何が濫用的通報に当たるのか、濫用的通報を行った場合、どのような処分が下されるのかをルール化して、どういうものが「正しい通報」で、どういう内容が「濫用的通報」に当たるのかを従業員に周知させることが必要です。
今回の改正法で、「事業者が公益通報に適切に対応するための体制整備の徹底と実効性の向上」が盛り込まれ、その中に《労働者に対する事業者の公益通報体制の周知》というものが加わりました。私は、これこそが改正法の重要ポイントだと思っていて、濫用的通報もそうですが、公益通報者保護法が理解されていないから間違って使われたり、周知されていないから一部の人だけが使うものになってしまう。
「何も証拠がありません」「調査するんですか?」「名前は出したくないです」「他の人には言わないでください」などなど、窓口に通報しただけで解決すると思っている人が多いのも現状です。通報を受け、証拠をもとに調査をして、事実関係がある程度明らかになったうえで、ようやく処分の可否が決まるという一連の流れが従業員に伝わっていない。
ですから、「何かおかしいと思ったら通報してください」と通報できる文化を作ると同時に、通報に対して会社がどう捉えるか、どう対処するかを明確にすることが不可欠です。
ところが、体制整備をして、従業員に単に通知すればそれでいいと思っている企業が今も少なくありません。ここが一番の問題点だと思っています。
また、窓口の運用についても同様です。通報、調査、是正措置という一連の作業は時間も手間もかかります。「なんでもかんでも通報してこないで」という気持ちも分かりますが、中には会社の存続に関わるような重要なものが含まれていることもある。そういった声を社内の窓口が受け止めてくれないと従業員が感じたら、その情報が外部に出て行ってしまう可能性もあるのです。
だから、まずは社内できちんと受け止める。そして、それが取り上げるべき問題か濫用的な内容かどうかを社内で判断する態勢を整える。窓口運用のプロセスもしっかりマニュアル化しないといけません。
内部告発・3号通報は命取り。担当部署任せでは守れない
――最近は、マスコミなどへの内部告発を機に不祥事が発覚するケースも多く、公益通報者保護法も2号通報(行政機関)や3号通報(報道機関等)を規定しています。本来は事業者内部の1号通報で正しく処理するのが企業側のリスクマネジメントだと考えられます。
大渕 外部に不正に関する情報が流れてしまったら、コンプライアンス担当部門だけでなく、広報部門や社長室など、社内のあらゆる部署に問題が飛び火していくものです。実際、他社の事例を見てそのことが分かっているはずなのに、自分の会社ではそういうことは起きないと高を括っているのではないでしょうか。だから、社員が2号・3号通報を行うなんて思ってもいない。では、1号はどうかというと、社内の内部通報窓口にはほとんど通報件数がないという。
いくら受付体制だけを整備しても、内部通報が真剣に取り上げられるという前提がなければ、従業員は誰も通報しませんし、ましてや報復される可能性があるのなら、なおさらです。だからこそ、内部通報体制の整備はトップダウンで社長が決めていかなければいけないことなのです。
実際にコンプライアンスの担当部門だけで整備するのは限界があります。経営層が意識を高めて全社的に取り組んでいかなければならない項目です。社内施策での優先順位が低いのは、経営トップが“自分事”として捉えていないからと言わざるを得ません。
通報を迷う人が知るべき「現実とリスク」
――一方、従業員は不正を発見した場合、即、内部通報するべきでしょうか。
大渕 残念ながら、現状の法律では「通報する」という行為は相当のリスクを伴うと言わざるを得ません。通報に踏み切るか悩む時はエビデンスを固める。曖昧さが残るのであれば、一回立ち止まって考え直したほうがいいというのが正直な思いです。だから、「どんどん通報しましょう」とは言えません。
社内コミュニケーションで「おかしくないですか?」と相談するのは推奨すべきことですが、会社と対立してまで強く改善を求めるべきかと言われると、非常に苦しい戦いになるため、軽々には勧められません。通報者本人は、証拠は十分にあると思っていても、会社を動かせるほどの根拠がなかったり、裁判で通用する証拠ではなかったりもします。
それでも改善するべきだと思うのであれば、戦うべき材料がそろっているかどうかも含めて、弁護士に相談するべきです。通報するには、十分な準備と覚悟が必要となるのです。
そういったことを従業員に知ってもらうためにも、さきほどお伝えしたとおり、内部通報体制の周知が重要になります。通報の質を上げ、また、通報対応の質も上げることで、内部通報制度の実効性の向上が図られます。
(取材・構成=編集部)
