H3とスペースXのあいだ:あなたの会社にも棲む「新たな魔物」【遠藤元一弁護士の「ガバナンス&ロー」#37】

その会議、何のためにやっていますか?

「承認が下りるまで、次のフェーズには進めません」

心当たりのある言葉ではないだろうか。稟議書に判子が並ぶのを待ちながら、市場の旬が過ぎていく。法務に相談すれば「リスクがある」と返ってくる。リスクがない事業など、この世に存在しないのに。

2025年12月22日、「H3」ロケットはまたも打ち上げ失敗に終わった。その報道の中でひときわ印象に残った言葉がある。「新たな魔物」という言葉だ。

技術者たちが恐れる怪物は、燃焼室の亀裂でも配管の設計ミスでもない。「原因がすべて説明できるまで、次の一歩を踏み出さない」という、従順そうな完璧主義――それこそが魔物の正体だ。

これは、日本の宇宙開発に限っての話ではない。あなたの会社の、あの会議室にも、あの承認フローにも、同じ魔物が棲んでいる可能性がある。今回はこの「魔物」について考えてみたい。

このときは打ち上げに成功した「H3ロケット3号機」(2024年7月)

H3を「超巨大スタートアップ」として見てみると

少し視点を変えてみよう。

H3ロケットを、宇宙輸送ビジネスに挑戦する「超巨大スタートアップ」として見たらどうか。

投資家は政府と納税者。競合は米SpaceX(スペースX、スペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ)、米Rocket Lab(ロケット・ラボ)、各国の宇宙機関。プロダクトは、「衛星を確実に届ける打ち上げサービス」。

普通のスタートアップであれば、まず動く試作品(MVP)を市場に出す。フィードバックを得ながら、製品を改善していく。ところがH3という「超巨大スタートアップ」は、まったく別の論理で動いている。それは、初回ローンチの前に、設計も運用も説明責任も、できる限り完璧にしておかなければならないという論理だ。

なぜか。失敗すれば、技術の問題だけではなく、「なぜこのプロジェクトを続けるのか」という正当性そのものが問われるからだ。つまり、H3はどこまでいっても「国家プロジェクト」なのである。

「責任を取る仕組み」があるかどうかが、すべてを変える

では、スペースXやロケット・ラボがロケットを「とりあえず飛ばす」ことができるのは、なぜか。

それは民間スタートアップならではのリスク移転の仕組みがあるからだ。

打ち上げ失敗のリスクは、契約の免責条項で処理される。打ち上げ保険がリスクを引き受ける。投資家は、リスクを承知で資金を提供している。法的な責任の範囲は、契約によって事前に画定されている。だから、失敗しても「次」がある。

一方、国家プロジェクトでは、失敗の責任は「税金の無駄遣い」という政治的・社会的批判として、プロジェクト全体の存続を脅かすほどに膨らむ。法的責任の範囲を超えて、責任が無限に広がるのだ。

ところが、民間であるはずのあなたの会社でも、同じことが起きていないだろうか。

新規事業が失敗したとき、「なぜやったのか」という糾弾が始まる会社と、「何を学んだか」という問いに切り替わる会社では、挑戦の量と質がまるで違ってくる。失敗の責任を無限に問う文化が、挑戦そのものを消していく。

「速く壊せ」が壊したもの

スタートアップの世界には「Move fast and break things(速く動いて、物事を壊せ)」という標語がある。失敗は学習のコスト、という楽観的な人生訓だ。

しかし、この標語は「物事」だけでなく、法務・コンプライアンスまでも「壊してもいいもの」のリストに加えてしまった。

・個人情報保護法を軽視したデータ収集
・労働基準法を無視した長時間労働
・消費者契約法に抵触する誇大広告

「イノベーションのため」という旗印の下、スタートアップは法的グレーゾーンを疾走してきた。「弁護士に相談すれば止められるから、相談しない」。そうやって既成事実を積み上げてから法務を呼ぶ文化が、静かに定着していった。

暗号資産取引所の顧客資産流出、シェアリングエコノミー企業の安全管理義務違反、AI(人工知能)企業による著作権侵害疑惑……。これらは氷山の一角に過ぎない。

「速く動く」ことはイノベーションを加速させた。しかし同時に、消費者保護・労働者の権利・知的財産権という法的価値を置き去りにした。

日本の完璧主義が「踏み出さないこと」で機会を失うなら、スタートアップの無法主義は「踏み出してはいけない一歩」を踏み出して、社会的信頼を失う。どちらも、持続可能な勝ち方ではない。

「弁護士いらず」には、正反対の2種類がある

法律や契約書が登場するはるか手前に、私たちはすでに、さまざまな「見えないガバナンス」に囲まれて生きている。

H3とスタートアップは、それぞれ正反対の「弁護士いらず」を体現している。

H3型の「弁護士いらず」

H3型の「弁護士いらず」は、「事前規制の徹底」として表われる。

原因が100%説明できないうちは次に進まない。これは技術的合理性だけでなく、「後から責任を問われるリスクを限りなく減らすための予防法務」として機能している。その結果、渡れる橋の数は着実に減っていく。挑戦できる領域は狭まり、「リスクを取らない」というひとつの価値観が、他の選択肢を静かに押しのけていく。

ロケット開発は、本来最前線の挑戦のはずだ。それが「失敗しないこと」ではなく「責められないこと」を優先するとき、ガバナンスは安全を守る仕組みから、挑戦を遠ざける力へと変質する。

スタートアップ型の「弁護士いらず」

一方、スタートアップ型の「弁護士いらず」は、「事後規制への開き直り」だ。

「まず動いて、問題が起きたら対処すればいい」という姿勢は、しばしば「問題が起きても、逃げ切れるか、和解で済ませればいい」という無責任な楽観論に転化する。

法学の世界では、事前規制(ex-ante)と事後規制(ex-post)のバランスが常に問われる。完璧な事前規制はイノベーションを窒息させ、完全な事後規制は被害者を生んでから対処する後手に陥る。H3とスタートアップは、この両極端を体現している。

あなたの組織は、どちらに偏っているだろうか。

ピボットできる社会、ピボットしすぎない企業

スタートアップには「ピボット(回転軸)」という概念がある。市場の反応を見ながら、方向転換する知恵だ。失敗は、やり直しのための素材として扱われる。

しかしH3ロケットの場合、その前提が揺らいでいる。1度の失敗が「この国のやり方は正しかったのか」という、より大きな問いへと直結してしまう。ピボットしにくい社会では、最初の選択の重さが否が応でも増す。だから慎重さが過剰になり、完璧主義が生まれる。

逆に、スタートアップではピボットが安易に行われすぎる。法的リスクが顕在化しそうになれば、ビジネスモデルを変え、会社を畳み、新しい会社を立ち上げる。「リスクを取る」という美名の下で、実際にはリスクを他者に転嫁しているだけのことが、少なくない。

魔物の正体は、私たち自身にある

H3ロケットに棲みついた「新たな魔物」は、宇宙開発の特殊な問題ではない。

「責められないこと」を「成功」と取り違えた、私たち自身の社会に潜む歪みだ。

あなたの会社で、今日も誰かが「リスクがあるから」と、新しいプロジェクトの稟議を差し戻している。あるいは「まずやってみれば何とかなる」と、法務確認を後回しにして走り出している。

どちらの魔物も、健全なイノベーションを食い物にする。

H3という超巨大スタートアップが、失敗を含んだ開発サイクルを手に入れ「何度も飛び直す」ことが当然になるとき。スタートアップたちが「速く動くこと」と「法を守ること」を両立させる知恵を身につけるとき。

そのとき初めて、「弁護士いらず」という言葉は、真の意味で実現される。

紛争を恐れて挑戦を諦めるのでもなく、法を無視して突き進むのでもなく――。適切なガバナンスのもとで、健全にリスクを取る。それが、組織として、社会として、私たちの目指すべき姿ではないだろうか。

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