野村 彩:弁護士(和田倉門法律事務所)、公認不正検査士(CFE)
あっという間に桜は散り、今年もGWがやって来た。「連休前にお願いしますね!」と念を押された仕事に追われて忘れがちだが、5月3日は憲法記念日である。
「憲法」というと政治色が強すぎて、ビジネスパーソンにとっては「改憲・護憲」などの議論が、遠い世界の神学論争と感じられてしまうことがあるかもしれない。しかしながら、日々シビアなビジネスでの決断を迫られる方々にとって、憲法を単なる政治イデオロギーの枠に閉じ込めておくのは少しもったいない。
なぜなら、国家の最高法規である憲法とは、日本という巨大な共同体の「究極のコーポレートガバナンス・コード」であり、組織のOSそのものだからだ。
憲法が生まれ、運用され、時に現実との矛盾に悩まされてきた歴史の経緯は、現代企業が直面するガバナンスの苦悩とも重なり合う。
組織における「法の支配」とは何か。
多忙な日々では手に取る気にもならない根本的な議論を、連休中だからこそ、触れることができるかもしれない。
【1冊目】あのとき、何があったのか:半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』
【Amazon】半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』(角川新書)
1945年にポツダム宣言を受け入れて終戦し、連合国軍による占領統治が始まる。あのとき、何が起こったのか。人々は何を思い、何を感じていたのか。著者は文藝春秋の編集者出身で、昭和史をめぐる著作で知られる作家の半藤一利氏(2021年死去)。30年生まれで当時、中学生であった「一利少年」の目から描き出される風景は実に鮮やかだ。
冒頭の戦争体験の描写は真に迫り、戦争とは地獄であるということをリアルに感じさせる。死んでしまった子どもたち、生き延びたけれども孤児となった子どもたち。親子で生きたけれども心に深い傷を負った子どもたち。「トラウマ」という言葉では言い尽くせないほどの壮絶な体験だ。
戦争を体験したその人の、そのときの、新たな「憲法」に対する感情を、令和に生きる我々が知っておくことは、やはり意味がある。
そして本書では、このような人々の生活の様子と平行して、憲法制定にあたってのGHQと日本政府のやり取りなどが詳細に書かれている。
「GHQバンザイ」でもなく、「当時の日本政府はご立派でした」でもなく、ただその時代に生きた1人の人間として、淡々と当時の状況と感情を記した、1冊目にふさわしい本である。
【1冊目のおまけ】古関彰一『日本国憲法の誕生(増補改訂版)』
【Amazon】古関彰一『日本国憲法の誕生(増補改訂版)』(岩波現代文庫)
上記『日本国憲法の二〇〇日』については、半藤氏自身が「本書が学術書や研究論文でないことをいまさら申すまでもない。」と述べている。本稿ではリアルな戦争体験を重視して1冊目におすすめしたが、もし、憲法制定下のやり取りについて学術的な書籍をご希望であれば、こちらの『日本国憲法の誕生』が読みやすい。いつ、どこで、誰が、何を言ったのか。いつだって議論の前提には「事実」が必須だ。膨大な資料と研究をもとに「事実」を紐解く、必読の書である。
【2冊目】待ち望まれた両性の平等:ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス』
【Amazon】ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス』(朝日文庫)
前半は、著名なピアニストの娘さんとして裕福に育ったベアテお嬢さんが、世間の不穏な空気の中で大戦に巻き込まれていく様子を描いた、いわば戦時下エッセイである。日本を愛し戦時下の日本に滞在したベアテさんのお父さん、レオ・シロタ氏が、戦争が佳境となるにつれて「外国人」であるという理由だけで過酷な目に遭うくだりは、胸が痛くなる。
だが、この本の白眉はやはり後半である。
前述のとおりベアテ・シロタ氏(以下「シロタ氏」)はなかなかのお嬢様で、私たちと変わらないキャピキャピした女の子で、兵隊さんと恋をしたりミルクシェーキを飲みすぎて太ったりしている。
私は何を読まされているのか? と思ってしまうも束の間、彼女が日本国憲法の草案作成に参加し「(女性の権利の条項を)どうしてもきちんと取り上げなければ、女性として憲法草案に参加する意味がない。」*1と、何回も何回もタイプをして鉛筆で訂正してタイプして、と日が暮れても書き続ける姿には胸を打たれる。
*1 本書188頁
そしてシロタ氏は、自宅に来ていた日本人女性が「お妾さん」について話していることを思い出し「嫡出でない子供は、日本では徹底的に差別される。子供にとって何の罪もないのに。」*2と述べる*3。
*2 本書192頁
*3 しかしながら、非嫡出子の差別が否定されるには、その後、なんと2013年に最高裁判決が出るまで待たなければならない。2013年て、たった13年前ですよ! うちの子ですら、もう生まれてますよ。森元首相が「女性がいると会議が長くなる」と発言したとき、憤りつつも「ああ、でもこの人が生まれたとき、女性には選挙権すらなかったのか……」と諦めすら感じたものだが、仮に、うちの子が何十年も先の将来に、非嫡出子に対する差別的な発言をしたとすれば、「あの人が生まれた頃は非嫡出子の人権が制限されていたからね……。そういう時代の人なんだよ」と言われてしまうだろう。2013年より前は「そーゆー差別がまかり通っていた時代」とみなされてしまう、ということだ。あー恥ずかしい。
そして教育の権利についても筆を進める。これは同氏が長く日本に住んでおり、日本の子どもたちの実際を肌で感じることができたからに他ならない。
我が国の政府が「天皇陛下をどうするのか」に力を注いでいた中で、それよりはるかに軽視されていた日本女性や子どもたちの人権について、この「若干二二歳」*4のシロタ氏よりも真摯に考えていた人が、果たして日本国民にすら、どれだけいたのだろうか。
*4 前掲『日本国憲法の誕生』165頁
「私は、女性の権利を具体的に憲法に書いておけば、民法でも無視することができないはずだと考えた。官僚になるのは、大半が男性であるだろうし、その男性たちは、保守的であることがわかっていたからだ。」*5は慧眼である。その後の日本は、まさにシロタ氏が懸念した通りの道を歩むことになるのだから。
*5 本書194頁
【2冊目のおまけ】NHK連続テレビ小説『虎に翼』
うちの業界にもファンが多い、戦前・戦後にかけての法曹たちの奮闘を描くドラマ。エピソード1の冒頭で、主人公の寅子(ともこ)が日本国憲法14条の条文を噛みしめる様子は、『1945年のクリスマス』の読後においては、ますますグッとくる。
お話はその後、憲法が制定される以前の、寅子が女学校に入学する時期まで遡る。憲法14条も24条も存在せず、戦前の明治民法下において、結婚した女性が無能力者とされ、財産権すら持てなかったという驚愕の現実のもとで寅子が法曹を目指す日々が、重々しく、時にコミカルに描かれる(もちろん、新たに日本国憲法が制定された後もなかなか大変である)。NHKオンデマンドで視聴可能であり、連休中の一気見もおすすめ。
【3冊目】炎上リスクを考えるための表現の自由:志田陽子『表現者のための憲法入門 第二版』
【Amazon】志田陽子『表現者のための憲法入門 第二版』(武蔵野美術大学出版局)
美大の先生が表現者のために憲法の入門書を書いてくれている! それだけで興味津々だが、内容も非常に分かりやすく、また表現の自由に関わる論点が満遍なく記載されており、大満足な一冊。
表現者が集まる仮想の国家「アートランド」を舞台に、具体的なトラブルを挙げ、「この問題を憲法でどう考えるか」と提示してくれる。本棚に一冊置いておき、気になるトピックだけ都度、拾い読みするのもアリ。
【3冊目のおまけ】中島岳志『自分ごとの政治学』
【Amazon】中島岳志『学びのきほん 自分ごとの政治学』(NHK出版)
志田先生の本は「そもそも憲法とは」「表現の自由とは」というところから解説してくれる、ありがたい本なのだが、さらに「そもそも政治と憲法はどのような関係にあるのか」というところに遡って、さらにさらにとっつきやすい入門書が、こちら。
この本がどれくらいとっつきやすいかというと、うちの子たちはいつも、私が「役に立ちそうな本」を買って居間に置いておいても、すぐ「むむ! これはママが“おぜんだて”した『おべんきょうモード』の本だなっ!」と察知してぜんぜん読んでくれないのだが、この本はポップで可愛い表紙のため、雰囲気に騙されて手にとってしまっていた。次男などドヤ顔で「なんで『右派』とか『左派』とかっていうのかしってるー? あのね、もともとフランスのぎかいでね……」と本書のウケウリを披露してきたくらいである*6。大人なら1〜2時間で読了可能。
*6 将来「マンスプレイニングおやじ」にならないと良いが……。
【4冊目と5冊目】グローバル比較憲法対決!:辻村 みよ子『比較のなかの改憲論――日本国憲法の位置』vs. 西修『知って楽しい世界の憲法』
【Amazon】辻村みよ子『比較のなかの改憲論――日本国憲法の位置』(岩波新書)
【Amazon】西修『知って楽しい世界の憲法』(海竜社)
前者の辻村先生の本は、「世界に憲法はいくつあるのか」という、ごくベーシックなところから話が始まる。「ごくベーシック」なことであるのに、そんなことを考えたこともない自分に、まず驚いてしまう。世界の憲法に関する知識を仕入れることは読んでいて楽しく、家族と一緒に「現存する憲法で最も古いのは、どこの国の憲法でしょう〜」とクイズをし合うのも良いかもしれない。
いずれの本も、他国の憲法と、我が国の憲法を比較して検証するものである。しかしながら、導き出される結論は両書において全く逆である。同じ「事実」を、どう捉えるか。我々の議論は「事実」から始まる。
【6冊目】劇薬! 改憲派も護憲派もぶった切る:井上達夫『憲法の涙』
読書界を震撼させた『リベラルのことは嫌いでもリベラリズムは嫌いにならないでください』の第二弾。だが、一冊目の「リベ・リベ」を読んでいなくても全く問題なし。井上先生がキレッキレに改憲派&護憲派の矛盾を切りまくる様子は読んでいてドキドキが止まらない。
これが条文を尊重するということかッ……! と、自分の中途半端さにぐうの音も出ない。仮に井上先生が社外取締役にいらっしゃったら、社内ルールのテキトーな運用など木っ端みじんにされてしまうだろう。まさに劇薬の一冊。
【7冊目】究極のOS:芦部信喜『憲法 第八版』
井上先生の痛烈の一撃でHPが減りまくったら、最後は“究極の正典”で幕を下ろしたい。
法曹たるもの「芦部憲法」を知らない者はいない。
本書は、大正に生まれ、学徒出陣もされ戦時下を生き抜き、戦後憲法学のスタンダードを形作ったその人による体系書である。
なぜ、多忙なビジネスパーソンにこの分厚い本を薦めるのか。それは、本書が権力者の暴走を防ぎ、組織の理念を守り抜くための究極のガバナンス・マニュアルだからだ。
芦部憲法学の根底を貫くのは、権力を縛るための立憲主義と、個人の尊厳を守るという徹底した原理原則である。これを企業統治でいうと「トップの恣意的な独走をいかに牽制するか」「社員を単なる歯車にせず、いかに尊厳ある主体として活かすか」という現代マネジメントの課題そのものとなる。
……まあそうは言っても、通読はなかなかキツい。
そこでまずは、冒頭の、各版が出版されたときそれぞれの「はしがき」を読むことをお勧めしたい。第三版以降のはしがきは、芦部先生の愛弟子・高橋和之先生による。版ごとの当時の、憲法に対する想いが伝わってくる。社会の変化に合わせて、どこまで慎重に法解釈をアップデートすべきか。その葛藤は、企業経営にも通じるものがあるだろう。
総論もまた、読みやすい。ただ、「一 国家と法」の後の「二 憲法の意味」「三 憲法の分類」は、ここで挫折しがちなので慣れる前はいったん飛ばして、「四 憲法規範の特質」から入り、そのまま「第二章 日本憲法史」まで進むと良いだろう。あとは興味の赴く箇所をピックアップして読んでみる、という方法が、忙しい人には向いている。
「それは分かるけどさぁ、体系書とまでは言わないけど、だいたいのことがざっと書いてある、もーちょっと持ち運びやすい本とかないの?」という方には、芦部憲法の正当な継承といって差し支えない二冊の新書をご紹介したい。
憲法というOSの構造をクリアに解き明かす『憲法への招待 新版』(渋谷秀樹著・岩波新書)や『憲法とは何か』(長谷部恭男著・岩波新書)は内容は濃いが、書籍という“物質”としては薄くて軽く、通読も難しくないためおすすめである。なお、芦部先生の生涯に迫りたい方には、その名も『芦部信喜』(渡辺秀樹著・岩波書店)も読みやすい。
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以上、できるだけ多角的に憲法本をご紹介した。
高市政権はいま、改憲に向けた動きを見せている。今このとき、どのような「国家のOS」が望ましいのか。私たちビジネスパーソンは、歴史的経緯や各派の議論の具体的な内容、そしてそれらが持つ矛盾を十分に知った上で、主体的に選択を行っていくべきだ。
(毎月1回連載)
