「祭り」という名の分岐点
祭りには、不思議な二面性がある。参加している人々の熱狂を祝う場であると同時に、その共同体がなお続いていくことを確かめる儀式でもある。誰を招き入れ、誰を外に置くのか。いかなる記憶を顕彰し、いかなる未来を準備するのか。その設計に組織(企業)の統治の在り方が透けて見える。
さる2026年3月21日、兵役を終えてメンバー7人全員が揃った韓国のアイドルグループ「BTS」は、3年9カ月ぶりのコンサートをソウル・光化門で無料の野外公演という形で開催した。他方、日本のアイドルに目を転じると、新体制へ移行した「嵐」が、3月13日の札幌ドームを皮切りに5月末まで解散コンサートを続けている。こちらは一定時点以前からファンクラブ会員であった者に参加資格を限定する形で開催されている。
どちらも、グループにとっても、ファンにとっても、特別な意味を持つ節目の「祭り」であることに違いはない。一見すれば、前者は大胆な還元策であり、後者は長年支えてきたファンへの誠実な報いにも見える。いずれにも、それぞれの合理性があるだろう。しかし、このふたつを並べてみると、そこにはプロモーション手法の違いを超えた、より本質的な問いが立ち上がってくる。
それは、IP(知的財産)とは誰のものか、という問いではなく、むしろ、IPをいかに開かれた状態に保ち、次の世代へと受け渡していくのか。その設計思想こそがエンタメ企業のガバナンスの実質を映しているのではないか、という問いである。
ファンを「未来に向けて育てるべき基盤」と見るのか。それとも「これまで支えてくれた人々への精算対象」と見るのか。この差は、単なる販売戦略の差ではない。IPを短期の収益装置として扱うのか、長期の文化資産として育てるのかという、企業統治の姿勢の差である。
前者は広く開かれた祝祭であり、後者は長年支えてきた者への報償として理解することもできる。ここで問われるのは、どちらが道徳的に優れているかという単純な善悪ではなく、両者の設計が、IPをいかなる資産として捉えているかにある。すなわち、短期的に回収すべき収益源としてみるのか、それとも継続的に開放・更新されるべき文化資産としてみるのか。この差異は、販売手法の違いにとどまらず、経営判断の時間軸、ひいては企業統治の質そのものに関わる問題である。

「無料」という名の投資
BTSを抱える韓国のエンタメ企業HYBEが行う無料公演は、当然、チケット収益の放棄との評価もありうる。しかし、財務とガバナンスの双方の視点から見れば、この判断は、フローの最大化よりもストックの厚みを優先した意思決定として理解するほうが的確であろう。
無料開放は、単なる還元ではない。参加障壁を引き下げることで接触面を最大化し、沈静化しかねないIPの熱量を再び市場へ循環させる行為である。入口を狭めて単価を上げるのではなく、入口を広げることによって、将来の接点、派生需要、関連消費、さらには後続アーティストへの波及まで視野に入れる。その意味でこの判断は、一時点の売上計上を犠牲にしても、企業価値の基礎となる顧客基盤の厚みを維持・拡張しようとするものだったと評価できる。
エンタメIPのような無形資産を抱える株式会社の取締役は、ブランド資産、顧客基盤、社会的信認といった非財務的基盤をいかに毀損せず、むしろ増幅させるかに傾注して職務を果すことが求められ、BTS公演の無料化は、戦略的な経営判断として位置づけることができる。
「限定」という名の回収
これに対し、嵐の解散コンサートが採用した「既存会員中心・有料・限定的参加」という構図は、別種のメッセージを発する。もちろん、解散を控える以上、長年支えてきたファンに優先的に報いることは、情緒の水準においても実務の水準においても十分説得力があり、短期的なキャッシュの確実性という点でも、相応の合理性がある選択肢といえるだろう。
しかし、ガバナンス論からみると、参加資格を強く限定するクローズドな設計の選択には見逃し難い構造的な論点がある。特定の既存ファンだけがアクセスできるシステムは、その瞬間にはロイヤリティへの報酬としての機能を果すが、同時に、「嵐」という巨大IPを承継し、その基本路線を発展させうる後続アイドルへの新規流入を自ら細らせ、ファン市場のサステナブルな存続にとって障害となるのではないか。この疑問をどう克服するか。
すなわち、中長期的な企業価値との関係で、経営陣(ジャニーズ所属のタレントを引き受け、エージェントとしてタレントの維持・承継するSTARTO ENTERTAINMENTの判断なのか、株式会社嵐、あるいは嵐のメンバーの判断なのかは不明)はいかなるステークホルダーを視野に入れて、解散コンサートの設計を決定したのかが問われる。
トップIPは、単独で収益を上げる商品ではない。それは企業全体のブランドを支える象徴資産であり、後輩グループへの入口であり、外部の潜在ファンを会社全体の経済圏へ引き込む導線でもある。
にもかかわらず、その出口局面でアクセスを絞り込めば、失われるのは一公演分の拡散機会などではなく、将来のファン、潜在的顧客、同じ企業グループに属する後続アーティスト、さらには業界全体の需要形成にも影響を与え、ファン市場の新陳代謝、ひいては企業内部における次世代投資の回路までもが細る可能性がある。参加資格を強く限定する設計は、本当に最適化された判断といえるのか。
弾かれないバイオリン
「ストラディバリウス」の価値をめぐり語られることに触れよう。
この高価で希少なバイオリンをはじめとする弦楽器群は厳格な管理の対象となる名器であることはいうまでもないが、名器の価値は、保管されることのみによって維持されるわけではない。弾かれてこそ、はじめてその価値は生きる。音を発し、空気を震わせ、聴衆の記憶に触れてこそ、その存在意義は維持・持続される。
公益財団法人の日本音楽財団が保有する名器を現役演奏家に無償貸与するのも、まさにこのような発想に立っている。囲い込み、閉じることではなく、むしろ、適切に開いて使わせることによってこそ、資産の価値を過去から現在に、そして現在から未来へとつなぐのである。
エンタメIPも基本的な構造は同じではないか。「嵐」というバイオリンを、限られた者(会員)だけが立ち入れる密室に置くことは、一見保護に見えて、実は接触の機会を減らすことでもある。語られ、歌われ、憧れられてこそ、IPは生き続ける。開かれないIPは、劣化こそしないとしても、静かに風化していく。
法務の視点からも、資産保全は、単純な隔離ではなく、どのような条件で外部に開き、いかなる手続きで利用を許し、いかなる仕組みで価値を持続させるか。その設計こそが管理の要諦である。閉じることは容易い。しかし、開いたまま毀損を防ぎ、価値を継承する設計を行うことこそ、より高度な管理システムである。
商品やコンテンツの領域でも同様なことがいえる。ブロック玩具の「レゴ」が長期にわたり強いIPであり続けているのは、単に製品力が高いからではなく、ファンによる創作や独自解釈の自由を認め、それを内側に折り込み、その一部を公式化することによって、レゴというIPを世代横断的な創造の媒体として存続させてきたのである。
これは無制限の自由を認めるのではなく、一定の秩序のもとで参加可能性を確保し、そのことによって利用者を単なる消費者から、IPの更新主体へと転換してきたのである。これは、統制を弱めた結果ではなく、むしろ統制概念を高度化した結果といったほうがよい。
これに対し、厳格な囲い込みを優先するIPは、短期的には純度を保てても、新しい文脈で語られ、新しい世代に再発見される機会を失いやすい。管理が厳格であることと、価値が長命であることとは、必ずしも一致しない。むしろ、過度に閉じた管理は、「更新停止」というかたちで価値の減耗を招くことがある。
伊勢の遷宮が示すもの
この問題を考える際、さらに想起されるのが伊勢神宮の式年遷宮である。巨額の費用と膨大な労力を投じ、20年ごとに社殿を建て替える営みは、一見すれば非効率にも映る。しかし、遷宮が守っているのは、古い建物の現物保存ではなく、木組みの技術、作法、共同体として営みに従事する人々の記憶であり、技術を身体で継承する回路そのものでもある。
建てて、使い、壊し、また建てる。その反復を通じてしか残らない価値がある。閉じて保存するだけでは、技術は伝わらない。統治とは、現物を凍結することではなく、継承の回路を制度として維持することなのである。
BTSの無料コンサートには、どこか、この遷宮に似た側面がある。「復帰」という象徴的局面を、単に高収益化するのではなく、熱狂の技法そのものを広く市場へ開示し、再び共同体の外部へ流し出す。その結果として、自社IPを更新するだけでなく、業界全体の生態系(エコシステム)の維持・形成にも資する。自社利益と市場活性化を、接続可能なものとして捉える発想がそこにはある。
エージェンシー問題と「推しの私物化」
BTSが復帰局面で示したものを、「未来への投資」と呼ぶことは許されるだろう。他方、嵐の解散コンサートが示すものは、長年の支持への誠実な応答であると同時に、構造としては過去の関係性を優先的に回収する設計でもある。ここで本質的なのはどちらがより持続可能なIP統治に近いか、という問いである。
解散や復帰のような劇的局面は、企業にとって最も収益化しやすい瞬間である。だからこそ、その局面で組織の統治思想は剥き出しになる。短期の回収を優先するのか。それとも、「神話」を次の世代へ手渡すことを優先するのか。企業統治の実質は、この種の局面における設計判断に現れる。
弾かれないバイオリンは、やがて楽器ではないただの木と弦に還っていく。建て替えられない社殿は、やがて技術を失う。参加の余白を失ったIPは、やがて特定世代の追憶の中にのみ残る。これらに共通するのは、「開く」という行為の欠如である。
エンタメ企業の経営陣が真に守るべきものは、目先のチケット売上の極大化ではなく、そのグループの物語が、活動終了後であってなお、100年後のファンにとってアクセス可能な文化資産であり続けるための、門戸の広さ、手続きの公正および継承の制度設計であるはずだ。ガバナンスの問いは、常に数字の外側から立ち上がる。そして数字の寿命を最終的に決めるのもまた、その外側にある思想である。
「ファンを大切にする」とは、ファンを閉ざされた座席に固定することではなく、ファンが愛した物語を、次に来る誰かもまた出会いうる広場へ置いておくことである。
その問いを、誰が経営の中枢に持ち込めるのか。エンタメにとどまらず、あらゆる企業に当てはまるガバナンスの要諦なのかもしれない。
(次回は2026年4月16日配信予定)
